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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

それは解放だったのか

携帯電話を忘れた。

昨日のことだ。

朝寝坊をしていたから、急いで朝食を食べ、急いで家を出た。授業が始まるのは九時一五分。急がねばならなかった。家を出てしばらくして、わたしは自分が携帯電話を忘れたことに気がついた。だが戻っている時間などなかったし、まあ平気だろうと思った。

わたしはあまり携帯電話が好きではない。それは見てしまうからだ。電車に揺られ、遠い風景を見れば良いものを、携帯電話があればそちらを見て、ありもしないのに連絡が来ていないか見たり、大して何も起きていないのにTwitterを見る。そんなことに意味がないではないか。だからむしろ、携帯電話を忘れたことは、神が用意した「現代文明からの解放」だととらえた。

まず問題が起きたのは大学についてからのことである。大学には大きな掲示板があって、そこに授業の場所が張り出されているはずだった。朝そこに言ってみると、「インターネットで確認のこと」という卑劣で冷淡な張り紙が貼られていた。もし、かなりの高齢で携帯電話をもっていない、インターネットもつながらない学生がいたらどうするのだろう。わたしは二十歳だが、とにかく携帯電話はなかった。今週は二回目の授業だ。正直あまり教室の場所を覚えていない。淡い記憶を辿って、九時十分頃にわたしは正しい教室を探り当てた。探偵になれると思った。

授業が終わると、携帯を忘れた人間にとっての地獄が始まる。次の授業の場所に行かねばならないのだ。なんとか記憶を辿ったが、それが正しい教室なのかがわからない。同じ授業をとっている知り合いに連絡しよう、と一瞬思ったが大事なことに思い当たる。連絡する方法がないのである。そういうわけで、わたしは同じ授業をとっているあいつが現れるまで、教室の前を不審者の如くうろうろした。案の定、彼は現れた。

その後の授業の場所はそいつの携帯電話に頼った。かくして、そのひはなんとかやり過ごしたと思った刹那、最後の授業で先生が言った。

「この授業のリアクションペーパーはネットで今日の23:50までに出してもらいます」

悪いな先生、わたしは今日は呑んで帰る予定があるんだ、そしてあいにくわたしは携帯電話を持ち合わせちゃあいない。そんな台詞が通用するはずはない。不意打ちだった。次の予定までの間の一時間、わたしは少し歩いたところのカフェで優雅にレイモンド・チャンドラーでも読むつもりだったが、予定を変更してパソコンルームへと向かった。リアクションペーパーは心なしか、攻撃的な文章になってしまった。すまねえな、先生。わたしのせいではない。先生のせいでもない。すべては現代文明のせいである。

その次の予定というのは、哲学カフェ、のようなものだった。哲学カフェはいろいろな人が集まって、ソフトな雰囲気の中で哲学についての対話をする場だ。わたしはなんとなく代表者のような顔をしていたので、告知などを行っていたわけだが、いかんせんそのひは携帯電話がない。さて、誰が来て、誰が来れないのか、わたしにはさっぱりわからなかった。だがその時にはもう、その状況に慣れていた。

そんなこんなで、一日が終わった。いろいろ不便な点もあったが、不思議と楽しくもあった。電車に乗って、Twitterを開こうとして、携帯電話がないことに気づく。そして本を読む。その時は不思議と心が晴れやかになった。

それは解放だったのかもしれない。

まあ実際のところを言えば、単純にわたしが携帯を忘れた、それだけの話だ。