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旅、映画、食べ物、哲学?

再起

またあっという間に一年が終わり、新しい年になった。

意識は時に緩やかに、時に急いで進んでいく。年というのはそこに嵌め込まれる人為的な制度に過ぎない。本当は12月32日と1月1日に違いなんてない。だけど、ぼーっとしているうちに繰返しの単調な生活を漫然と過ごしながら死へと向かっていくことに不満があるなら、心機一転するいい機会である。

でもその前に、ちょっと去年を振り返りたい。

 

去年は私にとって、「思いついたことはなんでもやる」というモットーを掲げて始まった。それができたかどうかはよくわからない。ただ、10月にnoteを本格的に始動させ、ほぼ同時にsound cloudで毎月曲を一曲アップロードし始めた。そして、去年は国内を旅することが多くなり、その中で、自分の「思いつき」も重んじることが多かった。

5月頭に高野山・大阪・神戸・明石、7月には淡路島・徳島・高松、8月は広島・松山・今治尾道・倉敷と松本、9月は静岡・彦根・大阪・京都・比叡山・福井・金沢・和倉・美川・富山、10月は仙台・平泉、11月は高松・金比羅山・丸亀・倉敷・岡山。

瀬戸内沿岸地域に偏りがあるが、日本国内はほとんどが未到の地だったので面白かった。

瀬戸内沿岸地域が多い、という事実は実は去年の一年間が私にとって実際のところどういう意味合いを持っていたのかを示している。というのは、私は父方も母方も両方とも瀬戸内(というか四国)にルーツがあったのだ。つまり、去年は「思いつき」を実現する、ということ以上に、「自分のルーツ」を見つめ直す、という意味があった。自分のルーツを見つめ直したい、という「思いつき」を受け取った一年だった。

 

きっかけというものはほとんどない。強いていうなら、友人が淡路島に転勤になったからかもしれない。友人に会いにいく、という口実のもと、自分のルーツである「関西」を回ってみようと思ったからだ。

私の父方の先祖は、祖母が京都、祖父が神戸であり、雑煮も白味噌でないと気持ちが悪い。だが、祖父の方をたどっていくと、最終的には香川県の高松に辿り着く。だから、ルーツとしては、「関西」であり、もっと辿れば「四国」になる。

母方はというともっとストレートに瀬戸内にたどり着く。祖母が愛媛の出身で(正月なので明かすと愛媛はおすまし系雑煮が主流とのことで、母はすまし系出身者になる)、そのルーツを辿ると宮崎らしい。宮崎が瀬戸内かというのは議論が必要だが、「環瀬戸内」世界ではある。

そんな知識はあったのだが、いかんせん私は国内では出不精で、そのあたりに行くことがなかった。大阪はかろうじて大学四年の時に行き、ミナミのエネルギーの強さに惹かれたのだが、それ以降は行かなかった。

だが口実ができた、というわけで、私は神戸に行ってみた。それが五月の旅だった。その時友人から、神戸からのバスに乗れば徳島に着くこと、四国はもう目と鼻の先だということを聞いた。そう言われると行ってみたくなる。母のルーツである愛媛には幼少期に行ったことがあるが、記憶という記憶はない。そして7月、徳島まで足を伸ばしてみたのだが、その際、父方のルーツである高松に行くことを思い立ってしまい、隣の香川に行く羽目になったのである。そのあとは愛媛も気になるようになり、広島へ行った際に船に乗り込んだ。

そんな「思いつき」の芋づる式により、毎月最低一回の国内旅行が六ヶ月も続いた。

 

私たちの人生は絶えず過去の記憶を引き受けながら進む。幼少期の記憶にならない記憶、思い出すこともできないような出来事でさえ、自分の人格の一部になっていると思えば、ひょっとすると、遠い昔のルーツのあゆみが私の心臓の鼓動の一部になっているかもしれない。そう思えば、ルーツの場所を訪れることは、あながちくだらないことでもなく、道に迷った時の対処法の一つと言えるかもしれない。靴擦れを起こしたら、自分の足に合う靴を探さないといけないが、自分の足の形が分からなければ、靴の探しようもない。足元をじっと見つめる必要がある。例えて言えば、そんなところである。

そう思いつつたずねた高松は一つの発見だった。海が近く、ゆったりとしていながらも、四国の玄関口としてしっかりと「街」でもある高松を歩くと、なんだか自分の胸の奥でピースがはまったような感覚になった。それは言葉になる部分から言葉にならない部分まで、さまざまなところからくる感覚だが、あえて一ついうとすれば、次のようになる。

昔から私は新しい街に来ると、何かに取り憑かれたように水辺を探していた。それは川のこともあれば海のこともあったが、一つの条件として、ビーチや川遊びのできる河原ではダメで、絶対に何かしらの船が浮かんだ港であって欲しかった。そしてそれに付随して、昔から船上生活に漠とした憧れを抱き続けていた。正直、マイホームなどどうでも良くて、マイシップが欲しかった。そんなあれこれが、高松の港や瀬戸内の海を見ていて、「だからか」と符合してしまったのである。

もちろん、高松はいい街で、誰だって同じ気持ちになるのかもしれないし、誰だって港のある水辺が好きなのかもしれない。それでも、ルーツを目指していた私には、大事な感覚だった。

 

一連のルーツを目指す旅へと誘った「思いつき」は、自分の足元をじっと見つめる必要があるというメッセージだったのかもしれない。ルーツの旅のみならず、去年はさまざまな折に、自分の趣味趣向や生について内省する機会が訪れた。おかげで、完全にではないが、自分の足の形に思いを馳せることができた。

だが、「思いつき」を回収しようとしてきた一年は、なんともいえない「空っぽさ」を味わう一年でもあった。それはきっと、「つくりあげる」ことよりも、とにかく思いついたら即「表現すること」にウェイトを置き過ぎたからだと思う。

クリスマスの日、深夜ラジオで、

「つくること、そして最後につくり終えること。そこに歓びがある」

という言葉を聞いた。思えば、「つくりあげる」ということを、私は本当にしたことがあったろうか。論文は常に締め切りで尻切れ蜻蛉だったし、もっと昔の小説も、最後は焦って書き上げた。これを書いている今だって、なんだか気持ちが逸って仕方ない。

 

今年は、多少時間がかかっても一歩一歩大切に、形が見えてきた足で、歩き始めよう。それが人にも自分にも優しく生きる糧にもなる。心の平安はきっと一歩一歩のうちにある。

2020年から去年まで、ちょうどコロナ流行と並行して、この三年間は就職活動とその後の閉じた円環のような繰返しの労働生活の中で閉塞感とともに生きていた。すぐさま飛び立つことはまだできそうもないが、歩き始めることはできる。

再起を図ることはできるはずである。

 

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