読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Play Back〜ハードボイルド大学生活〜

ある大学生の日常をハードボイルドなエッセイ調に書く。

さらば、愛しき南店

そこにはやはり予感というものがあった。

いつもと変わらない姿を見せているように見えても、実はそこには刻々と迫る終わりの時の予感があったのだ。寂しげな、その予感が。

昨日、わたしは新宿の南口にある紀伊国屋書店へ足を伸ばした。

紀伊国屋は新宿に大きいものが2店舗ある。まずは東口にあるもので、本店だ。もう一つのものが、南口(正確には新南口)にある新宿南店だ。本店も本店でいいのだが、わたしは南店も好きだった。どちらの方がいいというのではない。両方とも好きだった。というのは、古風な見た目で紀伊国屋書店の歴史を感じさせてくれる本店とは違い、新宿南店はおしゃれで、モダンな雰囲気を漂わせていたのだ。それに、新宿南店はかなり大きくて、いろいろと揃っていたから使い勝手が良かったということもある。

そんな新宿南店が、この8月7日に和書コーナーを閉じる。存続が決まっている洋書コーナーは6階だけだから、事実上の閉店と言ってもいい。それなりに繁盛していたように見えたし、わたし自身よく使っていたから、このニュースが春に飛び込んできた時は耳を疑った。理由はいろいろあるようで、まあ一種の「大人の事情」のようである。とにかく、新宿南店は幕を降ろすわけだ。

なんとなく寂しい気分に苛まれながら、わたしは何度か新宿南店を訪れてみたが、閉店するような雰囲気は全くなかった。もしや、ここでかなりの買い物をすれば閉店を免れるのではないか、などというテキトーな夢想をよくしたものだ。それほどに普通だったし、南店ラヴァーが閉店を惜しんでやってきていたため、いつも以上に繁盛しているように見えた。

だが、昨日は違った。

新宿駅新南口は、少し高いところにある。駅の改札口を抜け、紀伊国屋に入ると、そこは不思議なことに3階ということになる。3階は旅行の本などが置いてあって、よくそこの寄稿文のコーナーで本をめくりながら、ああ、旅したい、などと思ったものだ。この階は、昨日もいつも通り盛り上がっており、人でいっぱいだった。なんだ、7月になっても大して変わらないじゃないか。そう思いながらわたしは4階の文庫コーナーへ行き、そのコーナーも大して変化がないことに安心感を覚えた。

違ったのは5階だった。

エスカレーターで5階へ登ると、瞬時に空気感の違いを感じた。そのコーナーは学術書や語学書などが置かれていたのだが、なんとなく寂しい感じがあったのだ。その正体は、いつもはズラーッと本が並んでいた書棚がガラガラになっていたことにある。本が一冊も並べられていない書棚もあったし、本が並んでいる書棚も、まるまる一段は何も置かれていない、という状況であった。例えば、わたしがよく立ち読みをしていた語学書のコーナーは、四段書棚があったのだが、そのうちの一番上の一段には、何も本が入っていなかった。書棚の前に立つと、どことなく、寂しさを感じた。ああ、やはりこの書店は閉じてしまうのか、そう、思わせる何かがあったのだ。わたしはなんとなくその場にいづらくなって、哲学書のコーナーやら、国際関係書のコーナーやらに行ってみたが、どこもかしこも同じ状態だった。レジ近くの企画コーナーで、二人の店員が、もう店頭に置かなくなった本を運んでいた。ここの、もう売られなくなった膨大な量の本は、どこへと運ばれ、どこで売られるのだろう。ふとそんなことを思った。

レジの前を通ると、店員が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。いつもそうだった。だが、昨日はなぜか、何も買わない(というか、所持金が300円くらいしかなかったため何も買えない)で立ち去る自分を恥じざるをえなかった。

6階の洋書コーナーは逆に、新たなる門出(洋書コーナーだけはリニューアルオープンするということになっている)のための準備で忙しそうだった。ここも何もない書棚があったが、それは、「今後何かを入れるための」書棚だった。確かにここの洋書コーナーはかなり充実していた。それが残るのはせめてもの救いであった。

エスカレーターで6階から降りて行く途中、ふと考えた。1階から5階までが紀伊国屋でなくなるなら、一体何になるのだろう。洋服屋や、そんなようなものになるんだろうか。そう思うとなんとなく残念だ。あそこは今の今まで、本で埋め尽くされた、本の世界だった。別に洋服屋が嫌いなわけじゃないし、「低俗だ」なんて言うつもりはない。だが、洋服屋やそういった類のものなら、隣の高島屋にもある。もしそういったものが紀伊国屋に来てしまったら、全部同じになってしまうじゃないか。なんとなく、あの建物がいつの間にかごく普通のデパートになってしまうのが寂しかったのだ。

いろいろな店が、現れては消えてゆく。それは資本主義社会の定めだ。だが、それは少し寂しくもある。古ければいいとは思わないが、長い間存続し続けるものには独特の価値が出てくる。私たち人間だって、(母親からは異議を申してられるかもしれないが)赤ちゃんの時代はみんな同じようなものである。だが年齢を重ねて個性的になって行く。新しいものを追求して行く結果、同じようなものを量産してはいないか。どこもなんとなく同じものがあって、なんとなく同じ雰囲気がある。それではつまらないじゃないか。

だから、あのビルには是非、6階の洋書コーナーと相性がいいようなものを入れて欲しい。そう、願うばかりである。