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旅、映画、食べ物、哲学?

街が生きる(神楽坂)

最近、よく神楽坂にいる。毎週日曜日、飯田橋でちょっとした用事があって、それが終わるとちょうど昼の時間になるから、昼を食うには手ごろなのが神楽坂なのだ。何の因果か、飯田橋に通うようになって二回中二回、天気にも恵まれている。それに、これまた何の因果か、日曜日の夜に両日共に予定が入っていたので、時間を潰す必要があった。つまり、散歩をするのに最高の条件が整っていたってわけだ。

神楽坂は、JR飯田橋駅の西口を出たすぐのところにある。大正時代くらいから栄えていたようだ。日曜の昼は、坂全体を歩行者天国にしていて、大勢の観光客などが行き来をしている。それから、この坂の隣には東京理科大があるせいか、学生街のような雰囲気もある。スタバやドトールが軒を連ねる一方で、入ったことはないが、カレーと謎のトルコライスなるものを売る「トレド」という喫茶店のような食堂のような店もある。その一方で、何やら和菓子のようなものを売っている土産物屋もたくさんあった。

以前来た時、私はこの「大通り」の部分しか知らなかったと思う。だからその当時は、「確かに盛り上がっているけど、アメ横の方が面白い」と思ったものだった。どこか観光地の香りがし、日本の数ある観光化された道のうちの一つ、というようにしか思えなかった。だが、神楽坂の面白さは、一歩入った通りにある。

この前行った時、私は食事できる場所を探していて、ふと路地裏に迷い込んだ。するとどうだろう、迷路である。こちらに行くとどちらに行き、あちらに行くとどちらに行くのかよくわからない、狭い通りがあった。時折、こじんまりとしたカフェや、小料理屋のようなものがひっそりと立っていて、迷い込んできた旅人や、わざわざ探し求めてやってくる強者をじっと待っていた。ここのところ私はかなり金がないので、中に入る財力も勇気もなかったので、ひとまず通り過ぎながら、路地裏から路地裏へと歩いた。ひょっとすると、迷路みたいだと言われることの多いモロッコの街は、これをもっとハードにした感じなのかな、と思いつつ、私はひたすら歩いた。迷宮、というにはあまりにイージーだが、ただのまっすぐな道よりは楽しい。そして、もしかするとイージーだと思っているのは、私のまだ見ていない道がどこかにあるからかもしれないな、と思うとこの界隈をマスターしたくなってくる。

結局、その日の昼食は、坂をもっと上に行ったところにあった「魚串」の専門店にした。途中で、鳥の丸焼きを焼いている店や、南イタリア風のコロッケを売っている店があって、ここで買って食べ歩きもいいなと思ったのだが、若干高かったこともあり、一人でも入りやすそうでありかつ安めの「魚串」にした次第である。この店は、焼き鳥のように魚を串に刺して焼いて出している店(メザシなどの類ではない。魚の切り身に串を刺して焼いているのだ)で、どうやら神保町にも店を出しているのだという(事実、魚串を食った数時間後、神保町で発見した)。その「魚串専門店一号店」が神楽坂店であった。昼は三串の定食で780円、と割安だ。そして、味はというと、明らかに780円では普通は食えないだろうというくらいうまい。鮭は脂がのっていて、アジフライはジューシーだった。そしてどれも串に刺さっている。私は串に刺さったものが好きだ。串に刺さった肉、串に刺さったフルーツ、そして串に刺さった魚。今まで行ったところで私は必ず串ものを食っている。インターチェンジによれば、必ず牛串を食う。中身が同じでも、串刺しになっているだけで、5倍はうまそうに見えるし、6倍はうまく感じるのである。ここの店長も、同じような性分なのかもしれない。店長は真剣な眼差しで、一人、カウンターの向こうで魚を焼いていた。店員は若い女性が一人だけ働いていて、アルバイトなのかもしれないが、どこかその店に思い入れがありそうな感じもあった。メニューの表紙には、「小さいお店ですが、日本の文化にしたい」というようなことが書いてあって、なんとなく、その心意気はいいな、と思った。そんなこんなで、私は魚串定食を平らげた。ただし、アジフライが熱々だったので、口の中を火傷した、という話は秘密である。

神楽坂は、「生きている」。大通りは人で溢れ、「魚串」などという新進気鋭なものが生まれたりする。一方、ちょっと道をそれると、古い街並みが残り、石畳もあり、そしてその中に、新しくできたのであろうこじんまりとしたカフェと、古い小料理屋と、まあまあ古いカラオケ屋(どでかい看板に「カラオケ」と書かれているのを見た人もたくさんいるだろう)がある。街を行く人は、学生だったり、会社員だったり、そしてフランス人だったりする。近くにアンスティテュ・フランセ(フランス政府公認の機関でフランス語教室をやったりしている)やブリティッシュ・カウンシル(英国政府公認の機関で英語教室をやったりしている)があるせいか、国際色豊かな雰囲気も流れているようだ。特にフランス人は多くて、フランス語をしゃべる子供達が遊んでたりする。そのせいか、神楽坂の坂の上の方では、フランスっぽい音楽をスピーカーで流しているのだが、うーん、あれはやめたほうがいい。やるならアコーディオン奏者か何かを雇って路上でパフォーマンスして貰えばいいのに、と思う。とにかく、神楽坂は、よいい意味で混ざり合って空間である。そしてそれでいて、いや、それだから、「神楽坂」は「神楽坂」なのだ。時代を経て現在を生きる街、色々な文化が共存する街、それが、神楽坂なのかもしれない。ステレオタイプみたいな表現になってしまったが、何度か通ってみて、そう思ったのだから、しかたがない。

哲学者のアンリ・ベルクソンは、人が街で年を重ねるとき、街もまた年を重ねる、というようなことを言っていた。かつて私が神楽坂をそんなに面白くないなと思っていたけど、今はいい街だなと思うようになったのは、きっと私が少し変わり、それに伴い、目の前に開かれる街も変わったからだろう。また次に行くときには、かの街はどんな街になっているんだろうか。