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旅、映画、食べ物、哲学?

4都市目:アヴィニョン〜グリーングリーン〜

9時20分の在来線TERで、わたしはフランス南部の都市アヴィニョンへと向かった。今までフランスというとパリとリヨンにしか行ったことがなく、リヨンより南に至っては通過したこともなかったから、初めての「南仏」であった。

車窓から見える風景は徐々に変化していた。パリからストラスブールへと向かう列車の中から見えたどこまでも続く緑の畑と小さな町も、ディジョンからリヨンへと向かう列車から見えたワイン用のぶどう畑も、そこにはもう存在しない。畑は徐々に小麦色に変わり、太陽はより大地に近づいてくる。北部の空はどこまでも高く、雲は大地を覆わんばかりに近かったのに、南部に来るとそんなダイナミックな空はない。雲は散り散り、晴天続き。少し赤茶けた青空がムワーッと空にある。ホールのチーズのような形をした藁の束が畑には転がっていた。それは、ゴッホの絵のような雰囲気だった。格好つけていっているわけではない。現にゴッホの拠点は南仏だった。

音楽を聴きながら電車に乗っていると、前に座っていた女性が、隣にいる若い女性に話しかけている。「ヴァカンスなの?」「そうなんです、ヴァカンスです」というようなことを言っている。前にいる女性とは席に着いた時に挨拶だけ交わしたが、もしかしたら話しかけたかったのかもしれない。すると、イヤフォンで音楽を聴くというのは、実は凄く失礼な行動だったのかもしれないな、とわたしは少しだけ反省した。

偶然にも、前にいる女性もアヴィニョンで降りた。わたしはその後に続いて駅に降りた。暑いんだろうと踏んで、ディジョンでは前のチャックまでぴっちりと締めていたコートを腰に巻き、眼鏡に装着できる形のサングラスを眼鏡にくっつけた。予想は大当たりである。暑い。突然夏に引き戻されたようだった。と言っても8月13日である。夏真っ盛りだ。

駅を出て、町の中心に向かって、人通りが多そうな方へと歩いて行くと、不意に目の前に巨大な城壁が現れた。分厚く、見張り台もある、立派な城壁。わたしは、これがアヴィニョンなんだと感心した。なぜなら、アヴィニョンにはかつて、城壁で守るべき人が住んでいたからである……

 

ことの起こりは1303年にさかのぼる。

当時フランス王国を治めていたのは、フィリップ四世、あだ名はル・ベル(イケメン王)。彼はフランス国王の力を強めるべく邁進した人だった。彼は、予てからボルドー一帯の「アキテーヌ(ギュイエンヌ)地方」に居座っているイングランド王国から、アキテーヌ地方を奪還するため、戦争を起こしていた。だが、戦況はあまり芳しくない。問題は戦費調達だった。そこでフィリップ国王が目をつけたのが、広大な領地を持ちながらも税金を一銭も払うつもりがない教会だった。教会は税金免除というのが慣例のところを、フィリップは教会から税金を取ると宣言したのである。

これにカンカンになったのが、時のローマ教皇ボニファティウス8世だ。彼は、弱まりつつあった教会の力を取り戻すことを目指し、陰謀によって先代教皇の精神を蝕んで生前退位に追い込み、教皇の位に上り詰めた男だ。ローマへの巡礼を義務化したり、今のバルセロナを中心とする海の覇者アラゴン連合王国からシチリア島を奪還しようとしたり、ローマの貴族でアラゴンと仲のいいコロンナ家を粛清したりと強行な政策を推し進め(教皇だけにね)、ローマの繁栄の最盛期を築き上げた彼に、フィリップ王の言い分が認められるはずはない。

教皇を敵には回せないので、フィリップは一度自分の祖父を聖人に認定してもらうことで手を打ったが、しばらくすると国内の貴族、平民、そして聖職者を集めた「全国三部会」なる会議を開いて、教会への課税を再び認めさせた。「みんなが言ってるんで」とフィリップは課税に踏み切る。これに対し教皇は、「教皇(パパ)のいうことが聞けない奴はみんな地獄行きだから」と宣言。今では某米国大統領の脅し文句くらいにしか聞こえないが、当時は重みがあった。教会は死後の世界をも司っていた。フィリップ王は1303年、ついに部下に命じて、アナーニというところにある教皇の別荘を急襲させ、監禁した。名目は、「今の教皇は陰謀で位についた悪徳教皇」。その後教皇はすぐに解放されるが、病状を悪化させ、死去。勢いに乗ったフィリップは、1309年、自分が使いやすいフランス人司教を教皇の位につかせ、あろうことか、教皇の住まいをローマから当時は田舎町だったアヴィニョンに移動させてしまった。いわば、フランス国王が人質として教皇をフランスにおいたのだ。これがいわゆる「アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)」である。

この状況は事実上、実に約100年続いた。歴史の表舞台となったアヴィニョンは、田舎町から徐々に整備が施され、一方ローマは最盛期から一気に転落し、貴族が好きかってをする廃れた街になってしまった。70年目に一度教皇はローマへ戻ったが、新しい教皇の選挙を不服としたフランスはすぐに別の教皇をフランスで任命させ、二人の教皇が存在するという状況にまで至ってしまう(「教会大分裂(シスマ)」)。こうしたゴタゴタのせいで教会の権威は失墜し、ルネサンス、ひいては宗教改革へと続いてゆく。そんな大事な出来事の舞台となったのがこのアヴィニョンなのだ。城壁も、この歴史を語っている。

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城壁

城壁を抜けると、メインストリートらしき道がある。街路樹が植えられ、風が気持ち良い。そして太陽はジーンと降り注いでいる。日曜日だったので服屋などは軒並みシャッターが閉まっていたが、カフェやアイスクリーム屋の類は小規模なテラスを出していて、地元の人たちがそこに座っていた。時間の進み方が、ゆったりとしているような気がする。

わたしは道を歩く途中で見つけた、まるで城のような形のツーリストインフォメーションに入り、町の地図を手に入れた。アヴィニョンに長居をするつもりはなかった。しても良いのだが、アヴィニョンはあまりアクセスが良くないので、これからスペインに入ったりすることも考えると宿泊地は変えたかった。そして、前日のディジョンの経験から、10kgのバックパックを背負いっぱなしで町歩きをし続けるのは無謀である。そう考えると、観光に取れる時間は大体二時間。

近くにあったキャルフール(大手スーパー)で本場のオランジーナを買って、私は再びメインストリートに舞い戻った。太陽の光が街路樹の葉を照らし、葉の緑はまるで新緑のような明るいグリーンである。穏やかな風、カラッとした空気。なんならここに捕囚されてもいいなと思ってしまうような気持ちの良い道だ。ただ、カラッと暑いので喉の渇きは凄まじい。私はオランジーナを一口飲んだ。思えば、佐藤二朗が出ている「コマンタレヴー(お元気ですか)」と聞きまくるオランジーナのCMは、南仏の雰囲気があるような気がする。

しばらく歩くと、ついに街の中心にたどり着いた。そこはちょっとした広場になっていて、ど真ん中にはメリーゴーラウンドがあった。その脇にはレストランのテラス席。建物は限りなく白に近いクリーム色で、太陽の光によく映えている。その雰囲気はどことなくイタリアに似ているが、イタリアにメリーゴーラウンドはない。ストラスブールでも、ディジョンでも、リヨンでも、フランスの街にはメリーゴーラウンドを置きなさいという法律でもあるのだろうか。

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広場

この広場から伸びる路地を進めば、かつて教皇が住んでいた教皇宮殿である。少しワクワクしながら、私は狭い路地を進んだ。道は間違っていないはずだ。路地にはたくさんの人が歩いている。

案の定、路地を抜けると突然開けた場所に出て、さっきの広場よりはるかに広い空間が出現した。左を見ればテラス席、そして右を見れば二つの尖塔に、のこぎり型の狭間、頑丈そうな壁を持った巨大ないかつい城塞が少し小高いところに立っている。サンピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂のイメージとはかけ離れている厳しい建物だが、これが間違いなく教皇宮殿だった。

基本的に大きな荷物を持った人はこういうところには入れないので、私ははなから入ることは諦め、宮殿を外からしばらく見つめていた。ここが、アヴィニョン捕囚の舞台か。この明らかに住居でも教会でもなく、城塞でしかない建物は、きっとフランス王の人質である教皇は閉じ込めるものなのだろう。そう、彼はやはり人質だった。こんな気候のいいところなら捕囚されてもいい気もしたが、これだけの城塞の中に閉じ込められたら満足に外にも出られまい。そして言われるのだ。「聖下、これは牢獄ではありませんよ。貴方様をお守りするものでして…」

広場は高低差があって、宮殿は小高いところにある。広場の入り口から向かって奥に進むと段差があり、宮殿に近づいて行くことができる。おそらく、山のような地形を街にしたのだろう。私は高い方へと進んでみた。そこにはジャコメッティみたいな細い像が立っていて、バンザイポーズを見せている。その像の前には記者の形をしたバスがいて、観光客を満載してちりんちりんという音を立てながら走っていた。

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教皇宮殿 Palais des Papes

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表示を見ると、この広場を通り抜けて街の城壁の外に出れば、有名なサンベネゼ橋がある。通称、アヴィニョン橋。この橋は、かつてアヴィニョンに住んでいた羊飼いのベネゼが神のお告げによって建てたという。時を経て半分も残っておらず、橋というよりもむしろ埠頭、横浜の大桟橋のようになっているらしいが、世界遺産にもなっている。この橋がどうして有名なのか。それはこの橋が落成した時に歌われたという、有名な歌のおかげだ。きっと今これを読んでいるみなさんも聞いたことがあるだろう。


アビニョンの橋で

アヴィニョンの橋で Sur le Pont d'Avignon

踊るよ、踊るよ On y danse, on y danse

アヴィニョンの橋で Sur le Pont d'Avignon

輪になって組んで On y danse, tous en rond

広場を抜けるとまた狭い路地があり、急な坂になっていた。狭くて急な階段と、それを取り囲む白っぽい建物と空から入ってくる日の光。これまたイメージ通りの南仏だった。写真を撮ろうとスマホを出すと、ちょうど階段の下で写真を撮ろうとカメラを構える初老の男性がいた。そりゃそうだ、ここは写真を撮りたくなる場所だ。世に言う、フォトジェニック、だろうか。私はカメラを持つ彼をみて、スマホで撮ろうとしている自分が急に恥ずかしくなり、彼の写真の邪魔にならないようにその場を立ち去った。

土産物屋の横を通って、しばらく閑散とした道を歩くと、城壁に出会う。城壁をくぐれば、突然道路が現れる。車がたくさん走っている。思えば城壁の中では車なんて、観光用の汽車型のやつくらいしかいなかった。突然現実世界に引き戻された気でいると、奥に水色の川があるのに気づいた。そして、その川には、シンプルなデザインの、美しい橋が途中までかかっていた。これが、あれか。私は感心した。だが、どうやってはいるのかわからない。まあそれも仕方ない。外から見るのも美しいんだ。私は橋をくぐって、近くにあった城門から市内に再び入った。

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サンベネゼ橋。よく見て欲しい。この橋は向こうまで繋がっていない。

すると、どうやら城壁の上に登ることができるらしい。せっかくだ。アヴィニョンで何もしないのもつまらない。わたしは見張り塔のような施設に入り、螺旋階段を伝って塔の上まで登った。前には家族連れがいる。急ぐ子供、ぐんぐん進むお父さん、待ちなさいと追いかけるお母さん。どの国でも見る光景である。階段はぐるぐるぐるぐるぐるぐると上へと伸びていて、狭い。時折、塔の外側が見えるようになっているが、わたしはあえてそれは見ないで、頂上でのお楽しみとした。

しばらくして、わたしは塔のてっぺんにたどり着いた。塔を出ればそこはもう城壁。気分は「真田丸」である。太陽が照りつけて暑いし、荷物は昨日より離れていてまだマシだが、やはり重い。わたしはオランジーナの最後の一滴を飲み干した。衛兵になったような気分で中世の城壁をつたって、より上の方を目指す。この城壁はどうやら、アヴィニョンの町の頂上に続いているようだ。

登りながら町の外を見ると、水色の美しい川が流れ、そこに向かってサンベネゼ橋が突き出していた。歌詞とは裏腹に、橋はきちんとした欄干がない上に狭いので、話になって組んで踊ると危険だという話を聞いたことがある。こうやって上から見るとそれはよくわかった。川の手前には車が走り、川の向こう側は文明とは程遠いような森と山だけの世界があった。きっと、ユリウス・カエサルがガリア地方、今のフランスにやってきたときは、全てがあのような森と山の世界だったんだろう。反対側には、城下町がある。街の外の街である。赤茶けた素朴な家が立ち並び、まるで中世の街並みを見ているようだった。そこでは時間の進み方が、川沿いを走る車のスピードよりも確実にゆっくり流れているように見えた。この、中世の城壁からは、現代と過去が見渡せた。

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頂上の公園で、しばらくベンチに座って空を眺めた。随分とたくさんのところに行ったようだが、まだ三日目に過ぎない。普段の東南アジア旅行なら、1都市目が終わるくらいだ。だが今回は、移動する旅。幸いまだ疲れは来ていない。

立ち上がり、山を下ることにした。方向がどちらかはよくわからないが、まあなんとかなるだろう、ととりあえず歩いていると、教皇宮殿が現れた。なるほど、宮殿を伝って降りてゆくわけか。かくしてわたしは知っているアヴィニョンに戻ってきたのだった。宮殿前にある小さな階段に腰掛け、宮殿前に設置された巨大な十字架を見た。そろそろ、アヴィニョンを離れる時間が近づいている。面白い街である。長期滞在したい街かと言われるとよくわからない。だが、気持ちの良い街ではあった。風と太陽と緑と、そして歴史。アヴィニョンには時の流れがあったからだ。

わたしは再び駅の方へと向かい、昨日一昨日の不節制を戒めるべく、駅のパン屋のぱさぱさのハンバーガーを食べた。5.20ユーロ。大体700円くらい。昨日のワインとムール貝に比べれば大きな差である。次の目的地は、アヴィニョンからほど近いニーム。ニースではなく、ニーム。今日はニームに滞在するつもりだ。