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旅、映画、食べ物、哲学?

13都市目:ナント(1)〜Live Together in Perfect Harmony〜

「次はフランス語で話そう」

「そうね、ムッシュー」

ドイツ人のジャーナリストとバス停で別れた私は、バスに乗ってバス停へ行くという稀に見るシュールなことをした。もちろん、乗るバスは市営バス、目的地のバス停から出るのは長距離バスだ。途中誤ったバスストップで降りるというミスもあったが、なんとかかんとか、ボルドー駅そばのバスターミナルにたどり着いた。

五日間お世話になったボルドーの街ともこれでお別れで、またひとり旅の日々が始まると思うと少し寂しくもあった。もう少しいれば、もっとフランス語ができるようになったかもしれない。だが、私は語学をやりにフランスに来たわけではなく、ひとり旅の言い訳として語学をやっていたわけだから、要するに、本来の仕事に戻ったわけである。ただいま、ひとり旅、でもある。

ところが、バスターミナルにバスがいつまでたってもやってこない。別のバスは来るが、目当てのバスがこない。どうしたものかと思っていると、周りの人が道路でストがあっただとかなんとか噂話をしている。まあ何かしらあったのだろう。仕方ない。そういうものだ。そうやって待っていると案の定バスはしばらくしてやってきた。運転手は降りてくると紙を広げ、点呼を取り始めた。名前やら何やらを登録したからだ。しかしその光景はなんとなく、修学旅行のそれであった。

 

目的地はナントである。決めたのは昨日のことだ。これからのミッションは、8月30日までになんとかしてパリに入ること。そう、ナントかして、である。そのためには北に向かう必要があるが、その途中ブルターニュ地方に寄りたかった。別にガレットやシードルに惹かれわけではない。私が惹かれるといったらもちろん、ブルターニュ地方に息づく「ブレイズ語」とよばれる、ウェールズ語アイルランド語に似ているという少数言語である。いわゆるケルト人の土地で、1532年まで独立を保っていたというのだから、歴史マニアの血も騒ぐ。それで、どのブルターニュ地方に直接行くのは少々ハードなので、その前にロアール地方にあるナントで一泊しようという魂胆だった。

ボルドーのワイン畑をこえ、なんてことはない田舎道を走り、『三銃士』で取り上げられるラロシェルの街に少し寄って、バスは北は北へと進んだ。途中でインターのようなところに入り、昼食を買った。お馴染みのパリジャンというスタイルのサンドイッチである。フランス語でやりとりして、2ユーロのかわりに20セントを出してしまうという謎の失態を犯し、

「確かにそれも2ね」と笑われてしまった。まあそんなものだと私も笑った。

 

ナント。日本人的には少しばかり笑える名前の街。世界史で出てくる「ナントの勅令」だけがやけに有名な街だ。フランスの北部の古城乱立地帯「ロワール地方」に属してはいるが、1532年のフランス王国によるブルターニュ公国併合までブルターニュ公国の中心都市だったという(これは行ってみて初めて知った)。

フランス併合後もその地位は保たれる。フランス国内で起こった泥沼の宗教戦争ユグノー戦争が、ユグノープロテスタントカルヴァン派)側のナバラ国王エンリケ、フランス語名ナヴァール国王アンリの勝利に終わると、アンリはナントの城で高らかに、宗教の多様性を認める、みんな大好き「ナントの勅令」を発布した。この勅令は、のちにアンリの孫のルイ14世の治世になって、あっさりと破棄される。

その後、カリブ海の植民活動の強化とともに、ボルドー同様、奴隷貿易の都市になる。カリブ海のサトウキビ、フランスの武器、アフリカの奴隷にされた人々がぐるぐるまわる三角貿易である。そして暴利を貪り、ボルドーもナントもさかえた。フランス革命が起こると、知識階級がいたナントでは革命支持に周り、奴隷貿易と衰退した。しかしその後は工業都市として発展して行く。そして、そんな工業と貿易の街で進取の気風を感じながら育ったのが、『海底二万マイル』『地底旅行』『八十日間世界一周』など、ディズニーシー系、ではなく、SFの父ジュール・ヴェルヌである。

 

バスが遅れに遅れ、ナントに着いたのはなんと五時くらいである。ホテル探しを今からやる元気もないので、街の中心部に向かうトラムの車中でネット予約をした。便利な時代になったもんだ。檀一雄沢木耕太郎のような在りし日の旅人のように足でホテル探しをしなくてもよくなった。たいていのところにはネット予約のシステムがあり、値段や口コミが一目瞭然である。これを使うのはしゃくではあるが、使えるものは使っておくべきだ。

ホテルはナント中心部からすこしはずれの、トラムでメディアテックいう駅の近くにある。トラムから見るナントの街は気持ちの良さそうな街だった。街路樹、公園、開放的なカフェがあり、人々は楽しそうに談笑しながら歩く。そんな街にも、突如として城が現れる。ブルターニュ公城である。ヨーロッパはこれが面白い。ローマの街を歩いた時もこんなことがあった。それにしても、ナントの街は気持ち良さそうだ。

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コメルス駅で下車して、坂を登れば、ホテルがあるという。わたしはこの時ばかりはグーグルマップというチート手段をふんだんに使い、ホテルへ向かった。日が暮れる前にホテルに入りたい。と言っても日が暮れるまでに三時間はあるのだが。

「ボンジュール」と入ったはいいが、フロントに人はいない。チーンと呼び鈴を鳴らせば人がフロントの奥にある部屋からホテルの人が出てきた。

「ボンジュール」と髭面の上品そうな主人がいう。

「ボンジュール。ジェレゼルヴェユヌシャーンブル(こんにちは、部屋を一部屋予約しました)」というと、先ほど予約したこともあったかスムーズに身元がわかり、鍵が渡された。

「10時になると鍵が閉まりますので、あちらのガレージにある扉の暗証番号を解除して入ってください」と主人は言った。朝食は8ユーロ。面倒だし、6ユーロでコーヒーとパンなら食べられる。朝食は外で食べる派である。わたしはそれは断り、部屋に入った。

部屋はシックなダークな色で、なかなかオシャレだった。肘掛け椅子も二つ並んでいるし、テレビもある。45ユーロ(5000円くらい)だからなかなか優秀である。とはいえこうしてはいられない。しばらく体をベッドに任せ、テレビを見たら、町歩きに出発だ。それがわたしの仕事である。

 

フロントで地図をもらい、わたしは坂を降りて、川沿いを歩いた。川は泥で淀んでいる。ボルドーのジロンド川もそうだった。ドイツ人ジャーナリスト曰く、大雨のせいだという。行った時には雨の痕跡などにほど馬鹿みたいに晴れていたが、天気は変わるものだ。現にナントの天気はそんなに良くはない。

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川沿いを中心部とは反対方向に歩く。わたしにしては珍しい動き方だが、目的地があったのだ(目的地があるというのもまた珍しいのだが)。目指すはレ・マシーヌ・ドゥ・リルという場所で、いわゆるアミューズメントパークである。ナントに来た理由はここに行くためと言っても過言ではなかった。つい最近までディズニーランドは小学生が行くものと決め込んできた寂しい男がなぜ一人でアミューズメントパークに行くのかというと、そこがSF作家ジュール・ヴェルヌをモチーフにしているからだ。科学と自然の融合、そして人類の夢の結晶。そのようなことを言われるといってもみたくなるし、テレビなどでも実際に人が乗れる可動式機械式ゾウさんも、乗りはしなくても、見てみたい。

川沿いを行けば行くほど街は寂れて行き、徐々に不安になった。もしや、往時は有名だったレ・マシーヌ・ドゥ・リルも放棄されているのではないか、と。だがしばらくしてその不安は払拭された。汚らしい川にかけられた橋を渡り、しばらくするとメリーゴーラウンド(どういうわけかこれはフランス各地にある)がくるくると回っており、その周りには家族連れがたくさんいた。すごく混んでいるというわけではないが、もう6時半である。こんなものだ。

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ロマンティックなこととはほぼ無縁な学生生活を送っていることもあり、遊園地に入るのは多分小学校以来だろう。メリーゴーラウンドに、楽しそうな子供の声、大人たちの談笑。日本と同じだ。だがメリーゴーラウンドにはタコやらイカやら仰々しいものが乗っけられて回っており、この遊園地のコンセプトを物語っている。19世紀、科学と自然と魔法が共存していた時代の、夢である。ジュール・ヴェルヌの世界だ。わたしはジュール・ヴェルヌの作品は『八十日間世界一周』しか読んだことはない。他のものは恥ずかしながら映画か、小学生時代に行ったディズニーシーのアトラクションでしか知らない。だがその、「人間が想像できるものは、人間が実現させることができる(Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capable de le réaliser)」という言葉は子供の頃から好きで、わくわくさせてくれた。それは、わたしが好きな映画「ヒューゴーの不思議な発明」の世界でもある。機械にまだ人間味があった時代である。生命と機械が調和していた時代である。その時代をシャーロック・ホームズも(作品中で)生き、哲学者アンリ・ベルクソンは哲学した。ガウディはその時代に建築に命を吹き込み、夏目漱石はそんな時代に驚愕した。面白い時代である。

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入館料というものはなさそうなのでわたしは中に入った。入館料を払えば、空飛ぶ機械に乗ったり、いろいろなことができるらしく、機械式ゾウさんにも乗れるようだが、一人でやる気もなかったので、公園を散歩するだけにした。廃工場というか、駅舎というか、がらんとした空っぽの建物にはところどころ、プテラノドンなどを模した機械式の生き物がいる。そばにはシュロの木が立っている。そのだだっ広い建物を抜けると、公園があった。人だかりがあったので寄ってみると、そこには例のゾウさんだ。案外スムーズな動きで、時折見物客に水をばしゃーっとかけている。象の体の中には人がたくさん乗り込んでいる。この象、実は排泄もするようで、突如水をじょろじょろっと失敬していた。ユーモラスである。見ていて飽きない。

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わたしはしばらく象を鑑賞して、それから街の中心部へ戻ることにした。理由は象でもわかる単純なもので、そう、お腹が空いたのである。もう一度だだっ広い建物を通り抜けしていると、子供たちが全力で徒競走をしているのを見た。そりゃそうだろう、こんなだだっ広いところで何をするって徒競走しかあるまい。フランス人はヴェトナム人と似て、子供を自由にしているように思う。日本はいささか縛りすぎである。走ったら「怪我したらどうするの?」、喋ったら「うるさい」。うるさいときはうるさいし、怪我したときは怪我をする。それが人類だ。それでいいじゃないか、などと思ったりもする。

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雲行きは良くなかった。だが雨が降るわけでもなさそうだ。誰も傘など持ってない。それにしてもアミューズメントパークは一人で来るところではない。いや、この街、ナントは誰かと来たい街だ。というか、暮らしたい街だ。