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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

ヘイル・シーザー!

昨日、朝早く起きて、午前十時の映画祭の「マイフェアレディ」を見に行った。断片的には見たことがあったが、全部通しては見ていない。だから見たかった。

ところが、だ。恐るべし、日曜日。そして恐るべし、オードリー・ヘップバーン。五分前に劇場に着いたら、もう、完売であった。

せっかく朝早く起きて新宿まで出てきたのだ。それを無駄にはしたくない。わたしはそう思って、劇場の時刻表を見て、ちょうどいい時間に何かちょうどいい作品はないか探った。そして見つけたのがジョージ・クルーニー出演の「ヘイル・シーザー!」だった。

「オーシャンズ」シリーズや、「ミケランジェロ・プロジェクト」を見て、わたしはジョージ・クルーニーという俳優が気に入っていた。また、「007」シリーズの新Mであるレイフ・ファインズ(ヴォルデモート俳優といったほうがわかりやすいだろうか)も出ているし、舞台は華やかな1950年代の映画世界だから、この「マイフェアレディ」を見れずに鬱屈した気分のわたしの心を晴れやかにしてくれそうだった。

そういう経緯で、わたしは全くの思いつきから「ヘイル・シーザー!」を見ることにしたわけだ。

結論から言えば、不思議な映画だった。不思議、というのは、悪い、という意味ではない。単純に、不思議なのだ。なんとなく、一筋縄ではいかない。

表面だけ追えば楽しい映画である。西部訛りの強い西部劇俳優が、おしゃれな映画に出演せざるをえなくなり、レイフ・ファインズ演ずる英国人監督に発音を矯正されるシーンは爆笑だった(見逃した「マイフェアレディ」もそうだし、「雨に唄えば」でも出てきたのだが、英語圏の人は発音矯正にトラウマでもあるのだろうか)。当時の映画のオマージュ、というかちょっとばかりネタにしているのも面白い。主軸となる撮影中の映画「ヘイル・シーザー!」も、ナレーションの感じとか、どこかで見たことがあるものだったし、途中のミュージカル映画も、「雨に唄えば」や、「エニシングゴーズ」にそっくりである。ああ、あるよな、こういうやつ、と思いながら笑う。

この映画には何かメッセージがあるのか。そう思うと、わけがわからなくなる。

映画の冒頭はキリスト教の聖歌が流れ、主人公のプロデューサーが懺悔するシーンで始まる。撮影中の映画も、キリスト教へ改宗する古代ローマ将軍の話であり、キリスト教精神を監督は伝えたいのかと思ってしまう。

が、そうではない。主人公は途中、宗教論争をする人たちを一蹴(この論争の荒唐無稽さも、わかる人にはネタとして面白い)するし、最後にはなんと、新婦にアドヴァイスを求めながら、アドヴァイスされたら、「わかってますよ!」とあしらう。

共産主義も登場する。結構重要な役なのだが、彼らは集まって、おたくの会議のようなことをしていてどこか滑稽である。それでいてジョージ・クルーニー演ずるスター俳優ベアードは彼らに影響されたりする。また、なぜかエンドロールは、ロシア語の歌が流れていて、あれ、共産主義の映画なんだっけ、と思ってしまう。しかし、共産主義は無礼極まりないとプロデューサーはスター俳優を殴る。

とにかく、いろいろなものがごちゃまぜで、それを滑稽に描いている。一つの価値観ではなく、いろいろなものがあり、どれにもあまり肩入れをしない、ドライな映画である。アメリカの水爆実験の話も一瞬出るが、それは一瞬で終わり、そのあとは何もなかったようになる。これは異例の映画である。だが、そのほうがリアルなのかもしれない。この映画は、1950年代という時代を丸ごと描こうとしているのかもしれない。

 

だが何はともあれ、笑える映画だ。笑って、何か色々起きたけどなんだったんだろう、と思いつつ、最後はなんとなくまとまっている映画。三谷幸喜の「ギャラクシー街道」に似ている。こちらはあまり評判芳しくなかったが、わたしは嫌いではない。

「ヘイル・シーザー!」がどんな映画なのか、それはぜひ劇場で確認していただきたい。