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旅、映画、食べ物、哲学?

9都市目:トレド(1)〜旧市街を探せ〜

マドリードからトレドに行くためには、「Plaza Eliptica」という駅にあるバスターミナルまで行かなければならない。洗濯物を取り込んで、乾燥機にかけたのにもかかわらずまだ生乾きの服を部屋の中で申し訳程度に干したあとで、わたしは身一つで外に出た。WiFiも持たなかった。人からの連絡がないかなど気になってしまっては、旅に支障が出る。

オスタルの最寄駅グランビアからプラサ・エリプティカまではマドリードの千代田線、1番線でパシフィコ駅まで行き、そこからはマドリードの山手線、6番線に乗り換えればたどり着く。外国の街で乗り換えとなると少しドキドキするが、バルセロナの時と違って、迷いもせずにたどり着いた。プラサ・エリプティカ駅はやけにモダンであり、改札を抜けてエスカレーターを上ると吹き抜けになっていて、そこにいろいろなバスの発着所があるようだ。東京住まいの人に分かりやすく言うなら、新宿駅バスタ新宿が完全に一体化したような感じだ。

今回の旅でバスを使うのは初めてだったが、テレビでやっているスペイン語番組でみた雰囲気を思い出しつつ、その場でチケットを買ってみることにした。バスといえば、カナダでモントリオールからケベックシティまで行くのに使ったのを思い出す。あと、そうだ、カンボジアプノンペンシェムリアップの間の往復にバスを使った。バスは、人と話さずとも独特の一体感を産んでくれる奇妙な距離感が魅力だった。

といっても、どれがトレド行きかわからない。インフォメーションセンターの人に聞くと、下の階だという。わたしは大急ぎで降りて、下の階にある大手バス会社ALSAのカウンターに行った。自信がないので英語がしゃべれるかと尋ね、

「トレドまで行きたいのですが」

「トレドね。往復ですか? それとも片道?」うん、それなら往復を買ったほうが良い。トレドでワチャワチャしたくはない。

「では往復で」

「分かりました。往復で9.67ユーロです」往復でだいたい1000円。30分だからだろうが、やはり安い。鉄道よりもバス網が発達しているというスペインはバスが安いという話は聞いていた。チケットはレシート上のペラっとしたやつで、座席指定も何も書いていない。

「何時のバスですか?」と尋ねると、

「次は12:00だよ」という。そうか、このチケットさえあればいつ乗ってもいいわけだ。といっても、次のバスがわからないので、わたしは急いでバス停のある上の階へと向かった。

間に合いそうだ、と急ぎ足で歩いていると、ターミナルの方から中国人らしきこぎれいな格好のすらっと背の高い若い女性が歩いてきて、何やら中国語で話しかけてきた。わたしは「我不会説漢語」などと言える余裕がなかったので、ただ渋い顔をすると、その女性ははっとして、今度は英語で、

「チケットはどこで買えますか?」と聞いてきた。

「ああ、下の階です!」とわたしは答えた。女性は急いで階下へと降りて行った。わたしはバスに向かい運転手に「¡Hola!」と言ってチケットを差し出した。するとサングラスの運転手はチケットの上の部分をピリッと破いて、こちらに返した。これでいいようだ。わたしはGraciasと言って、会いていた席に座った。結構満員に近い感じである。

12:00になるまでバスは止まっていた。すると先ほどの女性が入ってきた。こちらには気づかなかった。どうやらチケットは買えたようである。と、それと時を同じくして、バスはブルルンという音を立ててトレドに向けて走り出そうとしていた。バス停は覆われていて暗かったが、車が走り出して外に出ると、マドリードらしい強烈な日差しがバーっとさしていた。電車もバスも地下にあるのは日差しを避けているのか、それはわからなかったが、一つ言えるのは、宇宙船が発射するときの気分をなぜか味わえて良い。

 

白いマドリードの街を超えると、道路のそばにモーテルやらガソリンスタンドやらが立ち並んでいる。カナダも、カンボジアも、そうである。どこも同じ風景だ。それに加えて、マドリードの外側には中国系が多いらしく、中国語の看板がたくさんあるので、ますます自分がどこにいるのかわからなくなる。しかし、そうした風景を出れば、一面に広がる黄金色の草原だ。カナダのような小麦畑でも、カンボジアのような水田でもない。そこに湿度はないのだ。とにかく、そこでは全てが乾ききり、遠くの山も乾ききっている。ところどころに木が生えていて、あぜ道のようなものも走っている。畑なのか、荒れ地なのか、正直よくわからない。土の色は乾いた色で、カンボジアの赤茶けた砂とも違う荒涼感がある。

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しばらく外を眺めていると、集落が見えた。古い建物ばかりで、ここにきてやっと、「ああ、これはスペインなんだ」と思えた。ドン・キホーテに出てきそうな感じの集落だからだ。とは言っても、実を言うとドン・キホーテを読んだことはないのだが。

 

トレドに着いたのは、12:50くらいのことだったと思う。先ほどの中国人女性と目があったので、「Hi」と声を掛け合って、わたしは外に出た。空気が熱い。バスターミナルの中に入ると冷房で涼しいわけだが、これからが少々思いやられる。とにかく、どこかで水を買わなくては、と思いつつ、まあ外に出ればなんとかなるだろうと外に出てみた。人の流れに沿って行くと、みんな送迎の車やら何やらのほうに行くので、あっという間に一人取り残されてしまった。わたしは仕方なく、トレドの城壁の中に入れそうな場所を探すことにした。

と、その前に水だ。目に入ったミニショップで、わたしはアジア系のおばさんから水を買っておいた。スペインでは水やら何やらを売るのはアジア系が多いらしい。

 

トレドの町は高台にある。バスから降りてトレドを取り囲むように流れるタホ川の周りを歩いてゆくのは絶景だとガイドブックに書いてあったが、行ってみると方向すらわからない。ただひたすらにどうやったら目の前に見える高台の城塞都市に入り込めるのかを考えながら、炎天下の中を歩くだけである。周りは明るいベージュの壁で覆われ、地面は石畳。周りには人っ子一人いやしない。もう12時だっていうのに。まだシエスタでもないというのに。わたしは少々心細くなりつつ、暑さに耐えつつ、それっぽい坂を登った。この感じ、どこかで経験した、と思ったが、それはおそらく2年前に行ったイタリアの古都シエナであった。あの街も、旧市街は高台にあって、坂をグイグイ登らなければいけない。途中でエスカレーターすらあるくらいだ……と思い出していると、案の定エスカレーターが出てきた。トレドにもあるようだ。しかしわたしはあえてそれは使わずに、坂を登った。上の方には先客のカップルが歩いている。

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早くも水が終わりそうだ。しばらく歩くと、城門のようなものが見えた。ついにきた。わたしは心なしか早足で城門へと向かう。が、そこにも人はおらず、閑散としている。どうしたというのだ。世界遺産だろう? カスティーリャ有数の観光地だろう? それに今はバカンスシーズンだろう? どうしたというのだ。わたしはお土産用の甲冑やら何やらが置いてある道をさらに抜けた。きっとここは中心ではないのだ、とおもったのだ。すると先ほどのものよりも俄然大きな門が現れた。きた、今度こそここだ。

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その門を出ると、閑散とした公園が現れ、道だけがぐーっと向こうのほうへと走っていた。なんということだろう。地図もwifiも持っていないし、人もいないので、迷うままになるしかない。普段はこういう状況も結構好きなのであるが、なにせ今日は暑すぎる。ふと、インフォメーションセンターがあったが、どうも開いているようには見えない。とりあえず道をまっすぐ進むと、道路を挟んで平行に走る歩道に看板があった。それは観光用の矢印だ。じーっと目をこらすと、こう書いてある。

「Ciudad Vieja(旧市街)」矢印の向きはというと、先ほど歩いてきた方だった。

とまあそんなこんなでわたしは引き返した。こりゃまずい、と思ったし、このあと旧市街に入った場合、よくよく考えてみるとその旧市街のベースはイスラーム圏式の旧市街マディーナであるわけで、このマディーナはデフォルトで迷路のようだという話を思い出した。地図が必要だ。わたしはダメ元で観光案内局へと向かった。すると、開いているではないか。暑さを防ぐために、中が暗くなる作りになっていたようだ。

「¡Hola! buenas.(こんにちは)」と声をかけると、薄暗いインフォメーションセンターの奥に二人の女性が立っていて、挨拶を返してくれた。

「この町の地図はありますか?」

「ええ、もちろんです。ここがこの場所で、マディナ(旧市街)はここです」

「アルカサル(宮殿)はありますか?」とわたしは尋ねた。アルカサルとは、アラビア様式で建てられた宮殿である。ここにきたからには、イスラームキリスト教の折衷様式「ムデハル様式」の建物に行きたい。わたしはアルハンブラなどのああいった雰囲気が好きだった。

「ええ。この道をまっすぐ行くとつきますよ」と係員は言った。わたしは礼を言って、外に出た。とりあえず旧市街だ。そこに行けばなんとかなる。わたしは地図を見ながら来た道を引き返し、門を再びくぐった。西洋式の街並みや、日本の城下町、中国の都城と違って、イスラームのマディーナの影響を受けるトレドの町は、いきなり入り組んでいるようで、門をくぐっても簡単に町の中心に連れて行ってはくれないようだ。

迷路のように湾曲した狭い道を歩くと、陳腐な表現だが、タイムスリップした雰囲気を味わえる。レンガは大きなものではなく、細長い長方形のものを積み上げている。ルネサンス時代を描く歴史漫画「チェーザレ」に出てくる風景を思わせる雰囲気だ。これは同時に、ムデハル様式でもあるのだろう。

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一方で、もっと近代的な感じの建物もある。そういったところには大抵、商店があった。イスラームの雰囲気を醸し出す建物はあまりに堅固すぎて、店構えにしては強すぎるのかもしれない。おみやげ物屋は、判を押したようにみな甲冑を売っている。マドリードの小学校の修学旅行では、「いいですか、お土産として甲冑とか剣とかは買っちゃいけませんよ!」などと言われているのだろうか。

トレドは11世紀にカスティーリャ王国イスラーム勢力のトレド王国から奪取してからというもの、カスティーリャの騎士達に守られてきた。アフリカ大陸から、トレド王国らイスラーム諸国を支援しつつイベリア半島を征服してしまおうと狙っていたムラービト朝の軍隊がやってきた時も、この町は落ちなかった。だから、売っている甲冑は、トレドの町の戦いの歴史を示すものでもあるのだろう。

しばらく歩くと、人数が増えてきて、メインストリートにたどり着いた。その道は坂道になっていて、坂の下には巨大な教会が見える。教会の方からは、ストリートミュージシャンがいるようで、哀愁のあるギターと歌を聴かせていた。まさにスペインの古い町にふさわしい旋律だ。坂の上には広場がある。お腹が空いたので何か食べたいな、とウロウロしていると、同じカスティーリャ地方のサラマンカ名産の生ハムを売る店があった。生ハムを食えるだろうかと店の看板を見ると、「ボカディージョ(サンドウィッチみたいなもの)」があるという。今日の昼は、こいつに決めた。値段も、豊富に生ハムを入れておきながら4ユーロ。さすがは物価安のスペインである。

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わたしは生ハムのボカディージョ片手に、坂を下りて教会のそばにある広場に向かった。日差しを防げる場所は全部埋まってしまっているが、しかたない。わたしはベンチに腰掛けて、生ハムボカディージョをかじった。素晴らしい香り、とろけるような脂。やはり日本の生ハムとは全く違う。だからもしかすると、日本の生ハムを食べた人の中にはスペインのものが合わない人もいるかもしれない。それくらいまでの歴然とした差があるのだ。

教会の前をサーッと風が吹いた。いや、空気が動いたという感じだ。暑いからである。メインストリートからわたしが昼食を食べている広場まで来るには、教会の前を通って、トンネルのようなものをくぐらないといけない。そのトンネルの中に、さっきメインストリートでも聞こえたギター弾きがいた。これほどまでにマッチすることはないんじゃないかという古き町の哀愁を湛えた曲を弾いている。風はその歌を引き立てていた。わたしはボカディージョをかじった。さて、これからどうしようか。地図を見ると、裏面に観光地がリスト化されている。それじゃあとりあえず、ユダヤ、キリスト、イスラーム三つの宗教の建物を見て回ってやろうじゃないか。わたしはそう思って、ある程度あたりをつけた。

ボカディージョを食べ終わってしばらくストリートミュージシャンの曲を聴いた後で、わたしはまずかつてのユダヤ人地区に行くことにした。