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旅、映画、食べ物、哲学?

9都市目:トレド(2)〜逢いに行けるアンダルス〜

ボカディージョを食った広場の目の前にある教会は異様にでかかった。巨大な尖塔は天に届かんばかりで、そこら中に彫られている聖人の像がこちらを見下ろしているが、像一人一人の大きさが規格外である。トレド大聖堂というそうだ。そのままである。

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教会の横を抜けて行くだけではつまらないので、教会の入り口に出て、そこを横切って進む。すごい観光客の量だ。後で知って勿体無いことをしたと思ったのだが、この教会の中には著名なエル・グレコの作品があったらしい。彼の強烈な筆さばきは圧巻なので見ておくべきだった。しかし、この時は三宗教が共存したイスラーム支配時代に想いを寄せて歩いていたので、そんなことに気持ちが行かなかったのだ。

一度間違った道をさまよい、それから引き返して別の道に行く。または迷路のようだ。中世から続く石を積み重ねた建物が所狭しと配置されている。何等の馬がこの石畳を駆け抜けたんだろう。そう思うと、ここで馬に乗ってみたくなる。さぞすごい音がするのだろう。乾いた感じのコツッコツッという音が。

 巨大な真四角の建物があって、扉が開いている。のぞいてみると、別の道と通じているようだ。入ってみると、先ほどの教会前の大きな広場(ボカディージョを食ったところではなく、通りかかった正門前の観光客で賑わう広場)に出た。トレドは歩いているだけで楽しい。

もう一度四角い巨大なアラブ風の建物のところに戻り、閑散とした坂道を下りた。閑散としているが、建物の雰囲気のもつノスタルジックでミステリアスな感じのおかげで、嫌な気にはならない。むしろ、タイムスリップ感が出て良い。気分はタイーファ(アラブ君主)、あるいはカバリエジョ(騎士)。剣を脇にさし、馬に乗って疾走して、敵と戦う。この町にある陰謀をつきとめ、イベリア半島を救うのだ……などとくだらない妄想をしてみる。

先ほどまでは日陰だったのだが、坂道を抜けると突如日差しがさして来る。飲食店が並んでいるが、人はまばらだ。ちょっと区画が変わったようだ。そのまままっすぐ進むと、大通りに出る。車も時々通っている。驚いたのは、大通りに立っている巨大な建物である。アルハンブラ宮殿とまではいかないが、幾何学文様で彩られ、明らかにイスラーム風の建築スタイルで建てられた要塞のような建物が現れたのだ。そう、こういうものが見たかった。ここトレドは、AVEに乗って南まで行かずとも行ける、逢いに行けるアンダルス(かつてムスリムに支配された南部スペイン)なのだ。

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 この建物には入れそうになかったので、その隣にある建物に入った。ここがかつてユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグだったと書かれていたところのような気がしたからだ。

中に入るとすごく暗くて、先ほどまで日差しの中を歩いていたために黒が緑に見える。階段を降りてホールに出て、チケットを買った。2.50ユーロ。

順路に導かれるままに歩くと、中庭があった。中庭の回廊は、イスラーム建築風で、繊細で美しい幾何学文様で飾られていた。やはり、イスラーム建築というのは美しい。他のどこにもない感覚を持っている。途中、壁に意図的に穴が開けられていた。その穴の中にはもう一枚壁があり、アラビア文字が書かれていた。どうやら、ここもかつてはムスリムのもので、キリスト教勢力が入って来た後にリフォームされてしまったようだ。

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 最初はシナゴーグかと思っていたが、様子がおかしかった。回廊をつたって入った聖堂はゴシック様式のごちゃっと豪華なものを詰め込んで荘厳な雰囲気を生み出す感じであり、シナゴーグではなさそうだ。どうやら、かつてムスリムのものだった建物がキリスト教会になったという感じである。その歴史を思うとちょっとだけ寂しい気分になる。その重層的な歴史のせいか、教会の祭壇の前でじーっと立っていると、教会の奥の方に、他の教会では感じないような生々しい、生き生きとした感じが浮き上がってくるのを感じた。

礼拝堂を出て、回廊を伝って、二階へと向かう。一階の回廊と違って、二階の回廊は天井の装飾が素晴らしかった。寄木細工のような感じになっていて、気が組み合わさって幾何学模様を形作っている。偶像崇拝を禁じられたムスリムたちは、神聖なものを表すために、書道と幾何学模様を発展させた。その幾何学模様の方は、建物に彫り込まれ、この建物にもその影響が残る。ムスリムでなくとも、その幾何学文様は私たちを惹きつけている。天井の細工の所々には、キリスト教徒の領主のものと思しき紋章がはめ込まれていた。

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ぐるっと回廊を歩いた後で、わたしは外に出た。相変わらず陽射しが激しい。あてもなく、坂になっている部分を登った。素朴な建物が並んでいる。しばらく歩くと右側に、「サンタ・マリア・ラ・ブランカ」という建物が見えた。もしや、こっちがおめあてのシナゴーグではないかと当たりをつけると、「シナゴガ(スペイン語シナゴーグ)」とある。わたしは入ってみることにした。

チケット売り場があるのは、売店であり、売店の中には「メノラー(6本のろうそくを立てる燭台。ユダヤ教のシンボルにもなっている)」や、「ダヴィデの星ユダヤ教徒によるパレスチナ移住運動シオニズムのシンボルで、イスラエルの国旗にも描かれている。日本では六芒星と呼ばれる)」のアクセサリーが売っている。店のカウンターで2.50ユーロのチケットを買って、売店の近くにある、シナゴーグへと向かった。

門の目の前にいるチケット管理のおばさんにチケットを渡し、中に入る。「ラ・ブランカ(白)」というだけあって、白い。白い柱が立ち並び、金色の装飾が細かく入るその姿は、素朴な作りながらすっきりした力を持っている。シナゴーグの中に入るのは初めてだった。今はここも教会にリフォームされているが、それでも、今まで見たことのない雰囲気がそこにはあった。チープな言い方をすれば、聖書の後ろの付録に描かれているイェルサレムの神殿の図に似ている。がらんとしていて、柱だけが並び、奥に祭壇がある。それでも、何かが宿っているようだ。

かつては、三つの宗教が共存したというトレドも、キリスト教勢力に支配されてから行くねんかの年月を経ると、非寛容な街となってゆく。とあるカトリックの聖職者が、ユダヤ教を批判する演説をするや、たちまちそれはキリスト教徒の心をつかみ、このサンタ・マリア・ラ・ブランカには暴徒が突入、ユダヤ教徒は放逐された。その後少しずつ戻ってきたらしいが、1492年キリスト教国がイベリア半島を統一してすぐ後に出た法令で、ユダヤ人は追放されてしまう。そんな悲しい歴史を持っていながら、静謐なシナゴーグは生々しさを感じさせることなく、美しく建っていた。

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シナゴーグから出て、当たりを見回しながら歩くと、周りにユダヤ教関連の店がたくさんあるのがわかる。ヘブライ語で書かれた看板、ショーウィンドウにはメノラーなどが並んでいる。いやはや、モントリオールのウトゥルモン地区でみたものよりもはるかに強烈である。後で知ったのだが、今でもこの近くには現役のシナゴーグがあるらしい。ちなみに、サンタ・マリア・ラ・ブランカはもう教会に改装されている。だから写真を見ても十字架がある。

サンタ・マリア・ラ・ブランカのそばに、「セファルディム博物館」があった。セファルディムとは、ユダヤ人の一派である。紀元135年、ローマ帝国との戦いに敗れたユダヤ人たちは、あまりに反乱を起こしすぎたために、イェルサレムを追放された。その後彼らは各地に散らばったが、最終的に、東ヨーロッパに住み着いた人たち、西ヨーロッパ特にイベリア半島に住み着いた人たちが大多数となった。東ヨーロッパにいた人たちをアシュケナジムイベリア半島北アフリカに住み着いた人たちをセファルディムという。だからこの博物館は、イベリア半島ユダヤ人の歴史と文化を伝えるものらしい。昔からユダヤ人という人たちには関心があったので、入ってみることにした。太陽も高く、外が暑すぎたという理由もなかったわけではない。

「チケットを一枚ください」と聞くと、

「学生さん?」と聞かれた。わたしは国際学生証を出して、はい、と言った。

「OK」係員のおばさんは何やら機械を操作し、チケットをくれた。お金を払おうとしたがいらないという。そうか、学生は無料だったのか。計画性のない旅は楽しいが、時に損をする。わたしはちょっとだけ反省をしながら、中に入った。

中はいきなり祭壇のようなものがあった。ガランとした部屋にメノラーなどが置かれている。そこを超えると、本格的な展示コーナーであり、古代の時代のユダヤ人たちの遺物が置かれていた。いわゆるユダヤ的な感じという者は受けなかったが、ローマのものやギリシアのもの、あるいはエジプトやペルシアのものとは違う素朴なものが多かった。文字が刻まれた板もあり、ヘブライ文字は相変わらずの形をしていた。ユダヤ人女性の肖像画がいくつも並ぶ階段を登って二階の展示室へ行くと、そこは現代のユダヤ人の展示だった。聖書や、パサハ(モーセ率いるユダヤ人のエジプト脱出大作戦「出エジプト」の記念日)やハヌカユダヤ人によるエルサレム神殿奪回作戦の成功記念日)などの祭りのための祭具、伝統的なセファラディムの服装などを展示していた。じーっと観ていると彼らの歴史が語りかけて来るようで、予想以上に楽しめた。

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博物館を出て、地面を見ると、ユダヤ人地区の象徴である「הי」というヘブライ文字が刻印されていた。ここは、ユダヤ人の街だった。それも、東欧系のアシュケナジームではなく、セファラディムの街だ。パリで見たユダヤ人も、モントリオールのウトゥルモン地区に住んでいたユダヤ人も、みなアシュケナジームである。もっというなら、アインシュタイン、フォンノイマンフロイトシャガールベルクソンフッサールなどの有名ユダヤ人はみなアシュケナジームだから、このセファラディムの街には無名のユダヤ人が住んでいたのだ。知らない世界である。

ちょっと坂を上ったところに、公園があった。外が暑いので、ほとんど人はいなかった。公園にはベンチがあり、そこに座れば溶けてしまいそうである。しかし、それでもその公園に立ち寄りたいなと思った。それは、その公園からトレドの城壁の外が見えたからだった。

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大河ドラマではよく、城の天守閣か何かに父が子を連れてきて、一面に広がる青い田んぼを見せながら「そなたがこの豊かな国を治める城主となるのじゃ」的なことを言うシーンがある。しかし、このトレドではそれが成り立たなかった。トレドを取り囲むタホ川の向こうには、ただただ岩石があり、荒地という言葉だけがふさわしかった。それは日本でもフランスでも見ることのない風景であり、大自然の物凄さを感じるとともに、所々に立っている小屋のような家に住む人たちの強さも感じさせた。彼らは、どうやって食料を手に入れるんだろう。何をしている人なんだろう。草は生えていても、売れるような代物でもあるまいに。

 

しばらく公園にいたが、暑さの限界を感じたので、さらに坂道を登った。すると観光客がたくさんいる界隈に出た。どうやら、先ほど横を通り過ぎた大聖堂の前のようだ。

腰掛ける場所を探し、わたしは地図で次にどこに行くのか考えた。ふと目に入ったのが、「トレド最古のモスク」という言葉である。これは見てみたい。少し離れたところにあり、そこに行くには一度街の中心部を出る必要があった。それだったら、そこに行ったらマドリードへ帰ろうと思った。ちょうどマドリードに着くのはシエスタ明けくらいになる。

トレド最古のモスクの方へと歩みを進めると、広場が現れた。カフェのような店が何軒か並び、広場の一角には巨大な建物が建っていた。尖った塔が何本もくっついたムデハル様式キリスト教イスラーム折衷様式)である。おそらく、これが最初探していたアルカサルだ。軍事博物館になっているらしいが、バスの時間もあるのではあるのはやめておいた。

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中世の香りがある細い路地を抜けると、川沿いの坂道にたどり着いた。街灯が並び、その奥には広大な荒地が見える。風景は違うが、街灯などの配置の感じがララランドを思わせる。広がる風景はスターの街(City of Stars)ではなく、広大な荒野である。

 

坂道を下りて行けば、最古のモスクはある。と言っても暑くて疲れたので、わたしは一旦ベンチに座って荒野を眺めた。荒野を見ていると、些細な日々の悩みなんでどうでもよくなる。石があり、綺麗とは言えない川が流れ、所々に小屋がある。それ以上でも以下でもない。生きていられるだけで十分だ。

 

モスクは、いわゆるモスクとは違う形をしていた。ローマ時代の聖堂のようだ。建物の作りも、細いレンガを積み上げた感じがローマ時代の建築と似ていた。随分と保護されているようで、モスクに入るためには、チケット売り場と売店を兼ねた建物に一度入ってから入るしかない。本当に、「最古」なのだ。

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上品なおじさんがいるチケット売り場を通ってシュロの木がそこら中に生えている遺跡区画へと向かう。朽ちかけたアーチをくぐると、中世というよりも古代の雰囲気が満ちている。薄暗い会堂の中には観光客たちが座ったら天井を見たりしている。上の方から太陽の光が一本差し込んできている。もともとは西ゴート王国の聖なる場所だったらしい。それがまずはモスクに変えられて、それから教会になった。

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正面に、十字架にかけられたイエスの像があった。生々しい肌色のカトリックにはありがちな雰囲気の像だ。場の空気感にそぐわない。だがその違和感こそ、ここに重ねられてきた歴史なのだろう。イエス像のある部分の入り口にある柱が意図的に削られていた。削られた場所からは、アラビア文字が見えていた。といっても、アルハンブラアヤソフィアのような美しい書道の賜物ではない。もっとガサツな、太い文字である。最古のモスクであるがゆえに、文字もそのままの無骨な形というわけだ。

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わたしはモスクの一角に腰かけた。歴史番組のように、それでタイムスリップができるわけではないが、聖なる場所は少し仰ぎ見るように見たほうがいい。この建物の持つずっと胸に降りてくるようなオーラが感じ取れた。

モスクの建物を出て、シュロの木だらけの敷地内を歩いた。空の噴水があり、水路のようなものがある。もしかすると、ローマ時代もここは何かあったのかもしれないと思った。この場所では、ローマ、ゴート、イスラームキリスト教が交わっている。まさにトレドの象徴だ。

 

そのあとわたしは坂道を登って、トレドが一望できる場所にやってきた。相変わらず城壁の外は荒れ野である。一面に広がる麦畑もすごいが、荒野もまた心に訴えかけてくるものがある。荒野もまた美しい。しかし、暑い。私は行きは使わなかったエスカレータを使って下に降りた。目指すはバス停。マドリードへ戻る時間だ。歩いていると、日本人の老夫婦が車の置き場所について喧嘩しながら坂道を登っていた。これからトレドのようだ。きっとあの中世の街にはいれば、喧嘩などどうでも良くなるだろう。だから、¡Buen viaje!(良い旅を!)とわたしは心の中でその夫婦に投げかけた。

行きはかなり大変だったが、帰りは街もわかっていてすぐにバス停に着いた。一リットルはある水を手違いで買って、バスの時間を待った。遅れているようだ。まあこれが、スペイン、ケ・セラ・セラだ。