朝起きて、別室のシャワールームで顔を洗い、目を覚ました。パッキングをして、外に出ようとすると、鍵が硬く開かない。30分は格闘しただろう。なんとかしてドアをこじ開け、外に出た。代金は払ってあるので、声の高い女主人に声だけかけてホテルを立った。
「Agur!(さようなら!)」私はバスク語で言った。女主人もキンキン声でAgurと言っていた。
今日最初の任務は、朝食を食べること。私はついた時にうろちょろしていた広場のあたりをうろついた。すると、朝食を食わせるバルが何軒か並んでいた。
そのうちの一軒で、オレンジジュースとクロワッサンを食べた。あいも変わらずオレンジジュースは手絞り、クロワッサンは甘かった。オレンジジュースはビルボと違って冷えていて美味しい。食事は、イルンの圧倒的勝利。もはや住んでもいいレヴェルである。
バルのテレビではニュースが流れていた。テロのあったバルセロナに首相だけでなく国王が来ていた。案外仲良くやれているとその時は思った。裏では、独立に歯止めを効かせるためのテロの政治利用だなどと言われていることをまだ知らなかったからだ。
勘定を払った。朝食は大抵4ユーロ前後。スペインの物価と時間の感覚に慣れて来た。これでフランスで生きていけるのだろうかとふと不安になる。明日にはフランスだ。ついこの前までいた国だというのに、なぜだか、フランスが得体の知れぬ国のような気持ちになってくる。
それから、すぐに国境へと通じる道を歩き始めた。どれくらい時間がかかるのかわからなかったからだ。道は長いが、曲がりくねってはいなかった。真っ直ぐだった。だが高低差がある。初めは下り坂、途中で登りになる。
少なくとも10kg以上の荷物を担いでいたので、休み休み歩いた。それに、スペインにお別れを言うのだから、それくらいやったらゆったり歩かねば。スペインはハマるとよく聞くが、本当にハマる。麻薬より依存性がある。そんな国とのお別れだ。
国境へと通じる道は特別なものではなく、郊外にありがちな道だ。公園には人がまばらで、時折暇を持て余した老人が犬を連れてやってきたり、子供達が遊んだりしている。ベンチに座って空を見つめると、雲ひとつない快晴である。そういえば、カナダのモントリオールに行った時、サンルイ公園で空を眺めたことがあった。あの時、じっくりする時間の良さを感じたのを覚えている。
よいしょとバックパックを背負い直し、道をまた歩き始めた。暖かかった空気はだんだん暑くなる。私は昨日思い浮かべた異邦人の歌の続きを思い出そうとした。
市場へ行く人の波に 身体を預け
石畳の街角を ゆらゆらと彷徨う
祈りの声 蹄の音 歌うようなざわめき
わたしを置き去りに過ぎて行く 白い朝
時間旅行が 心の傷を
なぜかしら 埋めていく不思議な道
さよならだけの手紙 迷い続けて書き
あとは悲しみを持て余す 異邦人
この道を幾人の人が歩いたのだろう。巡礼者か、兵隊か、商人か。今ではよくわからない。今あるのはただの郊外の道だ。国境もゆるく、平和な道だ。
しばらく歩くと大きな橋が現れた。その橋には名前らしきものは見当たらない。サイクリングする人や、歩く人が何人かいるだけだ。だが紛れもなくその橋は、スペインとフランスの国境を越える橋だった。
深呼吸を一つして、橋を渡った。橋は川を跨いでいる。川は静かに流れている。向こうには緑の山が見えている。このような穏やかな自然に、人間は国と国と線を引いた。どちらがスペインでどちらがフランスかなど、この川は知らない。だが私たち人間にとっては大きな川だ。この川はを超えて仕舞えば、私はスペインに別れをいうことになる。
橋を渡っても、大して変化はなかった。シェンゲン条約とはそういうものだ。国の役所があるわけでも、閻魔大王の尋問があるわけでもない。変わったといえば、標識にある言葉がフランス語になったことくらいである。だがそんな些細な変化でも、その文字はフランスの面影を感じさせた。
ふと振り返って見た。すると、赤い屋根に白い漆喰の建物がたくさん並んでいる。あそこが、スペインである。そして今私はフランスにいる。私は心の中で呟いた。
「Adios, gracias」と。
今回の一人旅は、ここで終わった。私はふーっと息を吐いて、何もないガタガタの道を歩いてアンダイエ駅まで向かうことにした。