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旅、映画、食べ物、哲学?

旅することは動き続けることではない PART1

「It is hard for me to exchange money」

嵐の前の静けさは、台湾の灼熱の太陽の前では、嵐の前の激しさに変わる。その話はこの前にもしたはずだ。だが、それをまた経験することになるとは思ってもいなかった。

 台北滞在五日目

台北滞在四日目の夜は、前述したようにかなり充実したものとなった。だが、それと引き換えに失ったものがある。現金だ。そう、現金。出発前に、わたしは一万円分だけ台湾ドルに両替し、それに加えて五万円ほど日本円で持ってきていた。一万円分の台湾ドルなど、すぐに消えてしまうと思っていた。

それがだ、そこをついたのは台湾滞在四日目である。ここまできたらもう一万円だけで七日暮らしてみたかったが、さすがにそれは無理があるし、ここまで楽しんでおいてこれだけの出費だと思うと、台湾恐るべしだ。日本では考えられないだろう。一日1万円が日本やヨーロッパでの旅の原則なのだから。

思えばヴェトナムに行ったときも、同じような感じだった気がする。いや、ハノイはもう少し安かったかもしれない。

まあとにかく、わたしに今必要なのは両替だということである。

 

朝食のサンドイッチとコーヒーを受け取り、ロビーにあるカウンターでサンドイッチを頬張った。それからコーヒーを持って公園に出かけた。アジアに来たからには、朝の公園に行かなければいけない。

コーヒーをすすりながら、わたしは公園のベンチに座って空を眺めた。それぞ最高の旅のやり方だと、ケベックで気づいたからである。だが問題があった。暑いのだ。空は昨日の曇天と比べると、雲ひとつない快晴。台北では、それは地獄の始まりを意味する。ジリジリと照りつける太陽、暑い湿気が体にまとわりつく。そしてわたしの手には何と熱々のコーヒー。コーヒーをすするたび、汗が噴き出す。そんな状態で、わたしは朝の若干爽やかな空気を感じた。

今日に限っては、実は公園でのんびりするのには理由があった。というのは、日本円から台湾ドルに両替できるのは、「台湾銀行」という「外貨取引許可」を持つ銀行だけらしく、その台湾銀行の本店がホテルのそばにあったのだが、そこの開行時間が9:00だったのだ。現在時刻は8:30。30分ばかり待つ必要がある。

9:00になって、わたしはコーヒーも飲み終えたので、空いたカップをゴミ箱に放り込み、公園のすぐ隣にある、仰々しい日本統治時代の建物をそのまま使った「臺灣銀行旧字体がふさわしいような建物)」本店へと向かった。だが、みたところ、どうにも空いているようには見えない。どでかい地獄の門のようなもんはしっかりと閉じている。様子がおかしい。だがわたしはとりあえず扉を押してみた。だが、開かない。「押してダメなら引いてみな」と、引いてみても開かない。どうも、ここはダメみたいだ。

その後何件か「台湾銀行」を回ってみたが、やはりどうにも開いていない。暑い中、路頭に迷ったわたしは、現代人に大いなる英知を与えてくれる、偉大なる全知全能の存在、そう、あの、「google先生」に頼ることにした。そのためには、現代人の命の綱「wifi」だ。わたしは台北車站(台北駅)の大ホールへと向かった。そしてそこで地ベタリアンたちとともに地べたに座って、ケータイを開いた。

調べてみると、どうだろう。両替は「台湾銀行」以外でもできるというではないか。台湾では、タイやヴェトナムのようにその辺の店で両替をすることはできない(その辺の店、というのは、新宿にもあるような、両替屋である。レート表が掲げられていて、そこで両替をする)。なぜなら、台湾には「外貨取引許可」というものがあって、その許可が下りていなければ、外貨を取り扱えないからなのだ。だから、銀行で両替するしかない。あるいは、デパートやホテルでもできる。だが、銀行以外のところで両替をするとレートが悪く、確実に損をするのだ。

わたしは、台湾銀行が軒並み閉まっている上に、台北駅周辺以外で台湾銀行をあまり見ないので、台北銀行以外をあたることにした。幸い、一日乗車券を買うくらいの余裕(180 NT=¥540)はあるし、せっかくの晴天だから、わたしはどこかに出かけて、そこで両替をするという策に出た。

 

また、わたしはあてもなく地下鉄に乗り込んだ。さて、どこに行くか。わたしはとりあえず、今年の初めに台北に行ってきていた叔母のアドバイスに従ってみることにした。台湾の代官山「慶康街」へ行くことにしたのである。なぜか。それは、今まで見てきた台北とは一味違う世界を見てみたかったし、それがあるという台北中央部にはあまり行ったことがなかったからだった。そこに向かうには、「東門(ドンメン)」で降りる必要がある。だがせっかくなので、その前の「中正記念堂」駅で降りて、地図上に書いてあったおそらく有名スポット「中正記念堂」に行ってみることにした。前日に行った「國父記念館」がなかなか面白かったからだ。それに、多分無料である。

 

「中正記念堂」駅は、降りるとすぐに中正記念堂に繋がっていた。明らかに、「国父記念館」より優遇されている。駅を降りると公園があり、公園の奥へ奥へと歩くと広場があって、正面にはどでかい中国風の社殿、その向かいにも巨大な社殿、そして正面の社殿の左隣には龍語句の陶器に描かれていそうな巨大なもんがそびえ立っていた。あまりの異空間ぶりに驚きながら、わたしは灼熱の広場(照り返しがものすごい)の中心へと向かった。これはすごい。すごいの一言に尽きる。巨大な空間、門、社殿、社殿。そしてくるりと回ってみると、二つの「社殿」は実はこの空間の主人公ではないということに気がついた。そもそも、社殿と門で囲われた空間は広場ではなかった。門から、門の向かい側に存在する社殿なんかよりもさらに巨大な白く輝く霊廟へと続く広い道だったのだ。主役はそう、霊廟だったのである。それこそが、「中正記念堂」の正体だった。

わたしは記念堂に向かって歩いた。灼熱の中を。何も遮るものがないので、太陽の光が直接、道へと照りつけている。写真を撮ると太陽の光線が写真に写りこむほどだ。巨大な一本道は人がまばらで、広大な砂漠を一人で歩いているような印象を抱かせる。

道を最後まで歩けば、霊廟にたどり着く。近づいてみると、かなりの高さだ。霊廟の本殿までは、マヤ文明のピラミッドのような階段が続いていた。階段は白く輝いていて、太陽が照りつけていた。階段を上れば、まるで閻魔大王の宮殿に登る死者の気分である。冥土の階段の上の方にはたくさんの観光客が腰掛けていた。腰掛けたい気分もわかる。ものすごく暑いのである。だが、腰かけているのはそれだけのせいではなかったようだ。登り終えて、階段の方を振り向くとそれがわかった。先ほどの間で歩いてきた巨大な道が、門の方まで貫き、その両端には社殿が控えている。空は青く、雲は少ない。門の向こうには台北の街が広がっている。まさに「絶景かな」。暑くても登る価値はあったわけだし、そこに腰かければきっとすばらしい何かを感じられるだろう。

だがとりあえずは、廟の中に入ろう。わたしは巨大な入り口の中へと入ってみた。

なかには、「国父記念館」よろしく、巨大な蒋介石(号が「中正」)の像が、ワシントンDCのリンカーン像の要領で、あった。微笑む蒋介石を、中華民国国旗が隣で支え、像の後ろの壁には「科学」「民主」「倫理」の三つの文字がそびえ立っている。きっとこれが、中華民国の理念なのだろう。

蒋介石の像があるホールには、社会科見学と思しき少年少女たちで溢れていた。ずいぶんこういうことに台湾の学校は力を入れるようだ。故宮博物院でも、社会科見学の子供らを見た記憶がある。

 

そのあとは、記念堂を降りて、ホールの下の空間にあった博物館の中を見た。国父記念館と違い、蒋介石の乗った車などが展示されていて本気度が見え隠れする。蒋介石の執務室の再現などもあった。そしてこれが重要なポイントだが、冷房がかなり効いていた。

とはいえ、わたしは「国父記念館」のほうが好きだ。こちらはどうも荘厳すぎる。「国父記念館」はなんとなく居心地の良さがあったが、こちらにはないのだ。確かにすばらしい建物だし、記念堂から見下ろす例の巨大な道と門は絶景だった。だがそこには人間らしさがなかった。国父記念館には、謎のレストランがあったり、記念館のバルコニーでダンスする若者がいたり、記念館の前で遊ぶ親子がいた。中正記念堂は綺麗過ぎるのだ。だがもし行くなら、億劫がらずにあの階段を上ることをお勧めしたい。

 

中正記念堂を通り過ぎると、中国の宮殿にありそうな回廊があった。そこを歩いていると、伝統的な楽器の音が聞こえた。そして歌声も。わたしはその声のヌシを求めてさまよった。すると二人のおじいさんが回廊の端に腰掛け、一人は楽器を弾き、一人は歌を歌っていた。それはどうやら観光客向けにカネを取る類のものではなかった。単純に趣味でやっているのだ。その証拠にカネを入れるものもないし、聞いている人もいない。純粋な練習の空間だった。どんなところにも、人の生活はあるのかもしれない。わたしはそう思い直し、記念堂の敷地を出た。

 

ブーンという車の音を聞き、わたしは思い出した。そうだ、両替をしていなかった、と。これは死活問題である。わたしは大急ぎで銀行を探した。すると幸いなことに「富山銀行」という銀行を発見した。ここも、「外貨取引許可」を得ているはずだ。

しかし、この銀行も閉まっていた。何かがおかしい。しばらく銀行の閉ざされた入り口を見ていると、張り紙がしていることに気づいた。張り紙は全編中国語で、漢字だらけだったが、日本人ならなんとか意味がわかる代物だった。「閉」、「五日間」……どうやら、五日間しまっているようだ。なぜ?……「中秋節」……そうか! 中秋節! 中秋節のせいだったのか。これはやられた。日本では中秋節は国民の休日ではない。だから忘れていた。この国では中秋節が休日らしい。そういうことだったのか。

これは重大な問題だった。中秋節は9月15日で、今日は16日。帰国は17日。となると、わたしの滞在中に銀行はひらかない。ピンチだ。今両替しないと、餓死してしまう。仕方がないのでわたしはデパートかホテルで両替することにした。といっても、両替できそうなデパートというと、わたしのホテルのそばの台北駅前にある「三越」くらいしか思い当たらない。そしてわたしは今、台北駅からわざわざ「中正記念堂」駅まで来ている。ここで戻るのは面倒だった。だが、背に腹は変えられない。そう決意したわたしは、現在地から一番近かった「東門」駅へと向かい、「台北車站」へと向かうMRTに乗り込んだ。