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旅、映画、食べ物、哲学?

15都市目:モンサンミッシェル(2)〜異様な城塞〜

モンサンミッシェルがそびえ立っている。塔に掲げられた旗はフランスとノルマンディー、ブルターニュとは違う歴史を宿している。とにかく風が吹きつけてくる。そりゃそうだ、城の向こう側は海なんだから。

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モンサンミッシェルは山である。頂上にある御本殿が修道院と礼拝堂であり、その周りを取り巻く門前町は世俗のエリアということになる。日本で似たような形式のところといえば江ノ島である。江ノ島の場合本殿に入るのにお金はかからないはずだが、モンサンミッシェルの場合は礼拝堂に行くには金がかかる。だがもちろん、門前町は無料だ。

そして、門前町が細い路地でできていて、鮨詰め状態というのも江ノ島と同じである。江ノ島の場合フェリーで裏口から入れるが、モンサンミッシェルは多分無理なので、全ての観光客が路地に集中するのである。

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門をくぐり、日本の城のように正面ではなく右側に走って行く道を行く。朝早いのでそこまでの観光客はいない、と思ったのだが先に進めば進むほどかなりの客が詰まってることがわかった。門前町入り口のすぐ左手の店は「プーラール母さんの店」で、オムレツが有名だ。時間をかけてかき混ぜたおかげでフワフワらしい。でもお高いんでしょ、と試しに値段を見てみると、期待を裏切らず38ユーロ、要するに5000円くらいした。お高かった。

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人でごった返す参道には日本語の看板も多かった。やはり日本人はこのモンサンミッシェルに大量に姿をあらわすらしい。こういうのは決まっているのだから面白い。観光地には観光地の面白さがある。例えば看板の中身だ。例えば案外綺麗な文字でも、中身が謎の日本語ということが多々ある。

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「おみやげ随一」。おみやげはわかる。随一もわかる。だが何故そう繋げたんだ?

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デリシャスデザートとは何なんだ?赤いフルーツって雑すぎないか?

観光地独特の脇雑な雰囲気を味わいながら参道を登って行く。途中でいくつか博物館があった。拷問博物館の類である。フランス革命の後、ここは監獄になった。その歴史を踏まえてのことだろう。だが時間があまりないので、わたしは一路、礼拝堂を目指した。

 

巨大な建物に入り、金属探知機を抜けると、先ほどの雰囲気とは打って変わった、中世の城塞の面影が感じられた。列に沿ってエントランスホールのところに行き、チケットを買って入場するらしい。

「チケットを一枚ください」と言うと、

「10€になります」と受付の女性が言った。わたしは駄目元で、とりあえず、

「わたしは21歳です」という語学テキストLeçon3ばりの表現を使ってみた。

「IDはありますか?」と同じくleçon3ばりの表現で聞かれたので、パスポートを見せると、8ユーロになった。言ってみるもんである。

それからは人がそこまでごった返していない塀で囲まれた城の道を登るだけだった。上に見える塔にはなぜか作り物の黄金のワシの人形が入っている。日本でこんなことやろうものなら「景観を乱す」と言われそうなものだが、これはお国柄の違いなのか。

本殿一つ前にある建物に入ると、モンサンミッシェルがいかにして増殖し、今の形になったのかがジオラマで再現されていた。最初の方はまだ小さな小屋のようなものが山にあったくらいだったのに、改修を経ていつの間にやら、ここまで大きくなってしまったわけだ。まるでモンサンミッシェルという生き物の一生を見ているようだった。

その建物を出て階段を一気に登れば、頂上だ。バルコニーのようになっており、なぜか何体ものジャコメッティ感溢れる細長い現代アートが並んでいる。そういえばアヴィニョン教皇宮殿の前にも謎のアートがあった。フランスではやっているのか。よくわからないが、とにかく微妙に心地よい場違い感がある。

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バルコニーのへりに行き、海を見た。湿地帯のせいか、暑さのせいか、海はうっすら泥の色で、遠くは幻想的にぼやけている。その微妙なグリーンが美しい。潮の香りがする。風が吹きつけている。この先に英国があるのか。そう思うと、別に不思議なことではないのに、不思議なことに思えてならなかった。靄のかかったような風景がそう思わせたのかもしれない。モンサンミッシェルはやはり神秘の山だ。

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しばらく海とも沼ともつかぬ風景を見つめて過ごした。それから、礼拝堂の中に入ることにした。少々眩しくなってきたのだ。眩しいながらもふと上を見ると、モンサンミッシェルの外観の有名な高い塔がそびえていた。先ほどのジオラマによれば、一番上はミカエル像が設置されているが、避雷針としての機能も備えているらしい。夢の中のオベール神父に雷を落とした張本人の大天使ミカエルが雷の避雷針になるというのは、なんという皮肉だろうか。あてつけか。

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礼拝堂は歴史を感じさせる、すすけた色をしていた。きっとここで、幾たびも礼拝が行われてきたんだろう。祈る人というよりも、休憩する人の数が今では多いが、祈る人もいた。礼拝堂の中は荘厳さが支配していた。よくもまあこんなところに。わたしはふと思った。よくもまあこんなところにこんな礼拝堂を作ったものだ。そしてよくもこんなところで暮らす修道士がいて、祈る人がいるものだ。それは驚愕すべきことだった。ところどころ黒ずみ、苔むしているモンサンミッシェルの礼拝堂は見方によってはアンコールワットのような古代遺跡に見えてくるのに、そこはまだまだ現役なのである。それだけでもすごいが、この建物がこんなところに立っているというのはやはりすごい。よくもまあ、こんなところに……。苔も、黒ずみも、ステンドグラスなどおかない質素な雰囲気も、不思議と輝いて見えた。

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礼拝堂を一周し、わたしは山を降りた。入口と出口が区別されていないせいでちょっと苦戦したが、兎にも角にもわたしは猥雑な参道に戻ったわけだ。昼食の時間だ。

 

わたしはモンサンミッシェル名物のオムレツが無性に食べたかったが、38ユーロも払うつもりもない。実はこの店には支店があってもっと安くオムレツを売っていると聞いたのでその店に行くことにした。探してみると、奇遇にも、「デリシャスデザート」の店だった。オムレツは18ユーロなので、だいたい2000円だから、オムレツ的には異常な価格だが、まあここまできて食べないのもシャクだ。

こちらの店もかなり混んでいてなかなか先につかなかった。時間も時間だったが、まあ仕方ないので、わたしは特製オムレツと、「私たちの伝統的なリンゴ飲料」と書かれたメニューに載っていたシードルをボレ(マグカップ一杯)で頼もうかと思ったが、なんとなく水にした。思えばこういう店で水を飲むのはあまりないことである。いつも酒を飲んでいた。まあよい。休肝日だ(この日の夜、実は今までにない量の酒を飲むのは秘密である)。

案の定食べ物はなかなか来なかった。しばらくして運ばれてきたオムレツは不思議な形状をしていた。卵なのだが、折りたたまれて挟まれた空間に泡がある。プーラール母さんはかなり卵を泡立てるというが、本当に泡で出てくるとは。やはり、安かろう悪かろうなのか。わたしは少々後悔した。だが、食ってみるとなかなかいける。泡も、である。バターが効いていて、泡には独特の濃厚な味わいがある。プレートに一緒にどさっとのせられたフライドポテトともよくマッチしている。この味だと、シードルは合わなかっただろう。何が幸いするかわからない。これならビールだが、水も悪くない。それに聖地にいるんだ、いつこの水がワインになるかもわからないじゃないか……と馬鹿なことを思いながらわたしは黙々と食った。うまかったのもある。だがもう一つの理由として、バスの時間が近かったからだ。システム上いつのバスに乗っても良いのだが、パリ行きの電車にギリギリになってしまう。そしてパリではわたしがドイツでお世話になった老夫婦が待っている。

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時間がないのにエスプレッソとサブレクッキーを楽しみ、会計も済ませ、わたしはバスに乗るべく山を降りることにした。店を出ると、参道の混み具合はピークと言った感じで、行ったことはないが、まるでインドである。ゆっくりと山を降りざるをえなかった。まあなんとかなる。で、山を降りたらどうするんだっけか。山を降りたらシャトルバスに乗り、それからまたバスに乗り、レンヌへ行く。レンヌへ行けばパリ行きのTGVに乗るだけだ。そしてわたしの一人旅は終わり、また新しい形の旅が始まるわけだ。最後の一週間。そう思うと少し胸がきゅっとなる。