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旅、映画、食べ物、哲学?

『最後の審判』とカツレツ

誰しも教訓となることの一つや二つある。かのシャーロック・ホームズも、自らが尊大な振る舞いをしたら、自身の推理が外れた事件を思い出すために「ノーバリ」という地名を耳元で囁いてくれ、と言っている。エルキュール・ポワロにとってのそれは「チョコレートの箱」だった。そして私にとっては、『最後の審判』、あるいはカツレツである。

最後の審判』も、カツレツも、私の人生観を一つ変える存在なのだ。

 

昔、画家としてはミケランジェロが嫌いだった。どちらかといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチラファエロのような絵が好きだった。ミケランジェロの彫刻は、そりゃ大したものである。だが、絵となると、人物が皆筋肉の肉襦袢を着ているようで、馬鹿らしい。端的に言って滑稽だ、などと思っていた。こいつはきっと、彫像の中で肉体を表現するように、絵画の中でもやろうと試みて、うまくいかずにあんな感じになったに違いない。何が万能人だ、彫刻屋としてやっていればいいのに、とまで思っていた。

だから、初めてイタリアに行き、ヴァチカン博物館内のシスティーナ礼拝堂に行くことになった時も、大して期待はしていなかった。私としてみれば、ラファエロの「アテナイの学堂」や、ローマ皇帝の彫像などを眺めていられれば十分であり、システィーナ礼拝堂はおまけに過ぎなかった。何故あんな肉襦袢をありがたがっているのか。

ところが、である。システィーナ礼拝堂に入り、天井を見上げた時、私がとんでもない誤解をしていたことが白日の元にさらされた。ミケランジェロの肉襦袢は、均整のとれていない肉襦袢ではなく、計算された構図だったのだ。つまり、私が天井を見上げた時に目の前に現れたのは、3Dの最後の審判だった。預言者たちはまさにそこに立ち、イエスもそこにいた。この天井画はもはや天井画ではない。そこに天井というものすらない。それはそこで繰り広げられる何らかのドラマだった。いつまでも見ていられる代物だった。人物の一人一人が浮き出ているのだ。それぞれと顔を合わせざるを得ない。肉襦袢は、天井という場に、最後の審判を宿らせるための計算だったわけだ。平面の写真を見たところで何の意味もなかったのだ。私はミケランジェロの天才性をまざまざと見せつけられた。要するに、私の先入見がこの審判の場にかけられたのである。

それ以降、私は写真で美術作品を先に判断するのがバカバカしくなった。というは、無性に恥ずかしくなった。あいつの絵はあーだこーだということそのものも、恥ずかしい。またいつ審判にかけられるかわからない。いや、かけられるだけマシだ。かけられなければ、知らないまま、自分のヘイトに囚われるという地獄にそのまま気づかれぬままに堕ちるのだから。だから、黙って見ろ、というのだ。絵の真理は絵の中にある。

それ以降の経験で、この教訓は裏付けられていった。

例えば、ターナーである。私はターナーなんて何を描いているのかわからない、ピントボケボケの絵だと思っていた。全体的にぼやっともやっとしている絵の何がいいのか。きっと、いいなんて言う奴は、きっと『坊ちゃん』の太鼓持ちのようなやつなのだ。とはいえ、「ミケランジェロ・ショック」もあったので、私はあえてターナー展に行ってみた。するとどうだろう。ターナーの絵は決してピントぼけぼけな謎の絵画ではないではないか。画面の中には動きが凝縮されていた。視覚的情報だけではない何か、質感と言っていい何かが迫ってきている。ターナーは動きを描いている……

もっと最近で言えば、印象派なんかも同じような体験をした。私は相変わらず印象派にも良い印象を持っていなかった。というのも、これもまたボアボアしているからだ。はっきり描けよ、と言いたくなる。だが、パリのオルセーで見た印象派は違った。彼らの絵はリアリティで溢れていた。彼らは空気まで描くのである。

あまり自信はないのだが、確か、ドイツの思想家ベンヤミンは印刷技術の発展によって、「本物」という概念が薄れてゆくと言っていたような気がする。それというのも、本物が持っている「アウラ(オーラ)」は、一つしかない、という「一回性」に寄っているからだ。だが私は違うような気がする。写真で見た絵と本物は明らかに違う。「本物だから」と思って見ているかではないか、という指摘は的外れだ。なぜなら、私が本物とコピーの間の差異を感知するのは決まって、写真となった絵画に好感が持てなかった場合だからである。実物の絵には、写真では写しきれない本物らしさがある。画家の意図がにじみ出ていて、色すらも異なっている。場所、色、光の具合、筆のタッチの質感……違いを生み出す要素は数あるだろうが、やはり本物の絵はそうした要素とともに、何かを訴えてくる気がする。本物の絵には、何かがある。

 

そろそろカツレツの話をしようか。

カツレツと言っても、洋食のカツレツではない。以前ザルツブルクで食べたヴィーナー・シュニッツェルである。実を言えば、ヴィーナー・シュニッツェルとは、ウィーン風カツレツのことなので、ザルツブルクで食べるというのは非常に馬鹿げた花時なのであるが、ウィーンで食べたシュニッツェルは駅のファストフードだったし、最初に食べたヴィーナー・シュニッツェルはザルツブルクのものだったので、その辺は大目に見て欲しい。

私は食にはうるさかった。要するに私はいろんなものにうるさかったのだ。食に関して言えば、その昔は、甘いものとしょっぱいものを混ぜるのが大嫌いだった。よくやり玉に挙げられるが、酢豚の上のパイナップルなど言語道断であった。他にも、サラダに入ったキウイフルーツやりんごなども嫌だった。ソースが甘いというのもダメだった。

そうしたこだわりを破壊したのがこのカツレツ事件なのである。シュニッツェルを頼むと、横にベリーのジャムが付いてきたのだ。「ベリーだと?」と思った。カツレツ+ベリー。それは犯罪である。だが当時は、いろいろな事件を経て、私の心は昔よりも開かれていたし、旅を通じて自由になりたかった。そこで私はベリージャムを塗ってみた。

これがうまかったのだ。ちょっと酸っぱく、程よく甘いベリージャムが、不思議なことにしょっぱい肉にマッチしていた。そんなことがあるとは思っていなかったので拍子抜けしてしまった。それ以降私は色々やるようになった。もちろんあまり好きではない組み合わせはあるが、頑なに拒むのはやめることにした。味わってもいないのに嫌いというのはアホくさいからだ。それは錯覚であり、悪循環である。味わっていないから、嫌いになり、嫌いだから、味わわない。それはなんか嫌である。

カツレツとジャムの組み合わせは、自由と解放の味である。私が閉じこもっていた何かから引っ張り出してくれたからだ。それ以降は、あまり好き嫌いを言わなくなった気がする。馬鹿らしくなったのだ。いや、実際には言っているのかもしれないが、少なくとも、もし好き嫌いを押し出していたとしたら、そんな自分を叱りつけてやりたいとは思っている。もちろん人には強制しない。これは自分のための、ルールを作らないルールだ。自分の言葉が引き金となり、勝手に自分を制約しないための。

 

私たちは喋りすぎているのかもしれない。主張しすぎているかもしれない。何かが好きで、何かが嫌い。そう主張することがあたかも個性かのように感じている。だがそう言ったことをするあまり、自分のナマの、現場の感覚に嘘をつき、さらには自分というものを自分で造った檻に閉じ込めてしまう。昨日嫌いだった食べ物が今日は好きかもしれない。嫌いだと思っていた画家の絵の中に、すごく好きな絵があるかもしれない。言葉は時に大股がすぎる。「印象派の絵は好かない」という時、いったいどの絵の話をしているのか。それはいつ感じたのか。そういうことは覆い隠されてしまう。もしかしたら、写真を見ただけかもしれない。もしかしたら、その絵が嫌いなのではなく、その絵の良さがわからない、それでいて世の中的に評価が高いことが腹が立つ、ということかもしれない。どれも正直な気持ちだが、ちょっと待て。主張して何になる?あなたにとってカセになるかもしれない。

私は、少なくとも、今まで、いや今も、かなりのカセと頑丈な檻を築き上げ、自分を閉じ込めてきた。それが個性的だと信じていたからだ。だが、『最後の審判』とカツレツは、嘲笑う。主張に主張を重ねる人は、自分の性質を明らかにしているような気になっているが、それは自分勝手な決めつけにすぎない。だから、もっとオープンになっていいはずだ。撤回していいはずなのだ。そうすればもっと自由に、いつもは見えてこないものをもっと見ることになるかもしれない。

だから私がまたも何か主張し始めたら、耳元で囁いてほしい。私自身もできるだけ囁くつもりだ。

「『最後の審判』とカツレツ」と。