Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

南米かっ!〜アテネの夜の冒険〜

アテネのホテルはびっくりするくらいいいところだった。一人三千円くらいだが、中高級ホテルの風格がある。それに真っ先に気付いたのは、着いて早々ウェルカムドリンクとしてしぼりたてのオレンジジュースが配られた時である。暑かったし、ありがたい。ウェルカムドリンクなんて配られたことはないから、おどろいた。ホテルのフロントの人も穏やかで、従業員も品格ある優しさを笑顔の中に湛えている。素朴な優しさはいいもんだが、品格ある優しさも心地が良い。

ホテルがあったのは、国立考古学博物館の裏手である。この地区の評価は、「アテネ 治安」で検索すればすぐわかる。在住者や旅行者が口を揃えて、優しく、満面の笑顔で、「昼間に博物館に行く以外では近寄るな!」というチャーミングな地区である。このホテルがとても雰囲気がいいことから考えると、おそらくこの地区もはじめは平和だったが、ギリシア危機のころからおそらくは治安が悪化していったのだろう。

部屋に案内してもらい、テレビをつけながら身支度をした。テレビはその国の窓だ。例えばギリシアのほとんどのチャンネルでは、討論番組をやっている、といったことが、テレビを見れば一目瞭然である。期待を裏切らない国である。古代から今の今まで討論好きは変わらぬようだ。長野の人は山奥に住んでいるからこそ読書量が多く、弁論に長けているという話を聞いたことがあるが、多分ギリシアもあんな山がちなところにいれば、弁論も上手くなるのだろう。古典ギリシア語の先生が、「ギリシアではオリーブとワインを育てていたが、地中海世界ではこの二つが重要だった」とおっしゃっていたが、それはギリシア偏重であろう。オリーブはそのまま食べるか、油になる。ぶどうもそのまま食べるか、ワインになる。生活の中に必要ではあるが、小麦はギリシアよりもエジプトだった。肉は遊牧していたため手に入ったが、炭水化物や野菜なしでは暮らしは成り立たない。要するに、ギリシアの土地はやはり細いのだ。その分、商売、弁論や学問、芸術の方へと向かっていくことになったのかもしれない。

 

夜も更けてきたので夕食の時間だ、と我々はフロントに集合した。フロントにあった地図を手に、私はホテルの人に、オススメのレストランを訪ねた。

「このあたりで一番美味しいギリシア料理店は、ここです」と彼は言いながら、考古学博物館とは反対側の地区に印をつけた。ちょっとだけ嫌な予感がする。以前のバルセロナに関する記事で書いたが、私はバルセロナのホテルのお姉さんに紹介された店に行こうとした結果、店の前で酔っ払いの屈強なドイツ人が叫んでいるのを目の当たりにして断念した記憶があるからだ。同じことが起きそうな気がする。ただでさえ、この地区はがさついている。だが、ひるんでたまるか、と私たちはそのレストランに行くことにした。

真っ暗な坂を登る。人気は少ないが、店の明かりがここそこにある。案外、治安も悪くない。もちろん良くはない。だが別に悪くもない。だが、件のレストランが見つからない。どうしたものか、と別の路地に入ってみる。だが、そこも暗い。とりあえず戻ろう。だがただ戻るのも面白くないので、別の道を通ってみよう。そんなわけで、アジア人の集団が夜道を練り歩くという情景となった。

と、ここで、私たちと合流する前にアムステルダムにいた友人が、「この香りアムステルダムでも嗅いだことがある」と言った。他の人も不思議な香りがするという。アムステルダム。なるほど。これは間違い無く“あれ”の香りである。

以前、バイト先の知り合いでバックパッカーをやっている人と飲んだことがあるが、彼女は、ブラジルであれの香りを嗅いだという。なんと無く懐かしい香りだというが、私はあいにくよくわからなかった。そしてボルドーにいた時、ホストマザーがトゥールーズの川沿いではあれの香りがすると言っていた。私はその時もよくわからなかった。今回もいまいちよくわからなかったが、その香りが「あれ」らしい。マで始まってナで終わるやつである。クで終わってもいい。

とりあえず歩くしかないので、歩いていると、大通りに出た。道の真ん中に公園のようなものがあり、テラスも出ていて、賑わっている。ちょっと一息つく。これだけ賑やかなら安全地帯だ、と。しかしそれは間違っていた。まず、前にいる二人の男性が何かのやり取りをして握手を交わしている。ちょっと別のところでは喧嘩をしている。多分タバコではない香りがする。そして店の前には意味も無く立っている人が数人いる。

ちょっとやばいかもしれない。私たちは早足で、その地区を通り過ぎようとした。すると、意味も無く立っている人が、しまりのない笑顔で、「ハーイ」と声をかけてきて、絡んできた。どうにかこうにかかわし、考古学博物館前の大通りに出た。

 

アテネはなかなかの町である。だが実を言えばこれはまだ序の口であった。だがその話をする前に、この夜の収穫についても書くのがフェアであろう。

私たちは例のレストランを諦め、中心街に出てみることにした。なんと無く疲れてしまったので、観光地に行きたくなってしまったのだ。これまたマで始まりナで終わるもの取引で有名だというオモニア広場を通り過ぎ(ここも意味も無く立っている人が多い)、地下鉄のチケットを購入して、中心街に当たるシンタグマ広場へと向かった。地下鉄も事前情報で評判が最悪だったのだが、見た目は清潔であった。

シンタグマ広場に着くと、そこは中心部らしく賑わっていた。夜の雰囲気は楽しげである。気を取り直し、レストランを探したが、案外これが見つからない。ほとんどがブティックなのである。最終的に見つけたのは、大きな正教会の前にあるちょっとおたかそうなレストランだった。だが、どうやら、物価のせいであまり高くはなさそうである。

f:id:LeFlaneur:20190708130430j:plain

レストラン前の教会。この日の夜撮った写真はこれだけだった。

流暢な英語を話す陽気なウェイターに連れられて、店に入ると、店はかなり賑わっていた。いい感じである。人気店のようだ。まずは酒を頼んだ(確か私はクラフトビールを頼んだと思うが定かではない。色々ありすぎて記憶が飛んでいる)。

「チアーズってギリシア語でなんていうの?」と店員に尋ねると、

「ヤマス」というので、みんなで「ヤマス」斉唱をして、食事が始まった。

それぞれおもいおもいのギリシア料理を頼んでいた。私はとりあえずオススメに従った。確か、少しバルサミコがかった味の、もつ煮込みだったような気がする。だがなんにせよ、うまかった。ギリシアはうまいのだ、と記憶している。友人が頼んだムサカ(牛ひき肉をマッシュポテトの上に乗せて、チーズで焼いたもの)もうまかった。驚いたのは、オーダーしたものは必ずテーブルの真ん中に置かれることだ。これには意味があるのだが、その意味は最終日に明らかになる。

食後、コーヒーを頼んだ。ギリシアコーヒーである。ギリシアのコーヒーは、煮出す。だから、飲むとちょっと粉っぽい。船で飲んだのだが、なぜか中毒性があり、また飲みたくなる。だが飲み干した後は口の中がボソボソになり、もう二度と飲むものかと思う。だがコツを掴んでくると、この粉っぽいコーヒー(コナコーヒーではない)の独特の旨味が病みつきになる。一気に粉を飲み、ついてくる水で流し込むのである。

食べ終わって、陽気な店員に、

「ポリ・カラ!(すごくうまい)」と告げると、店員は非常に嬉しそうにニッコリと笑った。

「エフハリストー!(ありがとね)」と彼は言う。

 

さて、なんと無くもともといた地区に戻りたく無くなってしまったが、どうにかこうにかホテルに戻ることにした。ここで、第二の事件が発生する。

私たちがホテルに戻るために考古学博物館のよこを抜けようとすると、そこがなぜか封鎖されていた。博物館前には日本の機動隊の車のようなものが置かれ、通りたかった道には横並びでずらりと、銃を持った機動隊がいる。その奥は見えないが、何やら叫んでいるひとがいる。麻薬なんて、序の口である。機動隊はゆっくりと被疑者を追い詰めていた。

仕方なく私たちは迂回して、ホテルにたどり着いた。アテネ警察24時はまだ続いているようだ。人質にされないうちに、とホテルのドアを開けようと思ったら、ホテルのドアは鋼鉄で覆われていた。そういえば、ホテルの窓には鎧戸が降りていた。そういうことだったのか。自己防衛だったわけだ。もはやここまでくると面白い。案の定、ホテルのひとが鉄扉を開いて、中に入れてくれた。

「あのレストランには行けなかった」というと、グーグルマップを使え、と至極もっともな意見を言われたので、明日の夕食はそこにしよう。もちろん、ヤクパークに踏み入れないようにしながら、だ。

しかし、ここでこの日は終わらない。部屋につき、テレビを見ながらシャワーを浴びたりしていたら、なんと、窓の外から、「パンパンパン」という乾いた音が聞こえてきたのだ。ついに発砲に踏み切ったらしい。それも、そのあとで何度かその銃声は聞こえてきたのだからすごい。ブラジル在住だった友人が、「銃声が聞こえない日のほうが珍しい」と形容したサンパウロを思い出した。この日の夜、アテネで合流する友人から、「空港に着いたよー」という平和ボケしたラインがきたので、思わず、「銃撃戦やってるから気をつけてね」と返信したくらいである(怖いもの知らずの彼だが、さすがにこの時ばかりは、タクシーでやってきた)。

アテネの、考古学博物館周辺の夜は、麻薬に銃撃戦にと、かくもエキサイティングなのであった。思わず突っ込みたくなるほどに。「南米かっ!」と。

f:id:LeFlaneur:20190708130520j:plain

翌朝、封鎖されていた道にはこんな落し物もあった。催涙弾である。なお、このそばにはオレンジも落ちていた。地中海らしい。