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旅、映画、食べ物、哲学?

死ぬまで幸福かどうかなんてわからない〜地下鉄事件とアクロポリス〜

朝になると、街の様子がよく見えるようになった。ホテルを出て、考古学博物館の横を通ると、手榴弾やら催涙弾やらが、熟れたオレンジと一緒に落ちている。やはり昨日の銃声は本物のようだ。街を歩くと、壁という壁に落書き。まるで、耳なし芳一の如しである。

朝ごはんは、麻薬の取引も夜になると行われていると噂のオモニア広場の、そばにあるパン屋だった。事前に、ギリシアではねじねじのドーナッツ型のパンを朝に食べると聞いていたので、それを頼んでみたが、これは思いの外うまかった。生地はほんのりと甘く、程よい歯ごたえ、くっついているゴマも香ばしくてうまい。いくらでも食べていられそうな味である。

 

気分良くオモニア広場駅から地下鉄に乗る。そこまで混んではいない。スリが酷いという噂を聞いていたが、これなら平気そうだ。だが念のために、裸の紙幣と小銭入れが突っ込んであるポケットに手を突っ込んだ。私は日本での癖で入口のそばの角に立った。すると、次の駅で老人と中年の女と若者が乗り込んできて、私の周りに立った。あまり混んではいなかったが、なんとなく混んでいるような雰囲気で。どうもおかしい。なんだか違和感がある。

その違和感が確信に変わったのは、胸ポケットのボタンがパチンとあく音がした時であった。間違いない。私は生まれて初めてスリに遭っている、と。だが、案の定、そのポケットに入っているのは、ヴェトナムで使おうと思っていた、ヴェトナム語の辞書なのである。スリのおじいさんが困惑している方が見える。私は、ポケットの紙幣を握りしめる。おそらく、気づかれていない。私は次の駅でなんとか彼らをかいくぐって、友人がいた場所に向かった。

老人とおばさんと若者はグルだったようで、なにやら話している。多分、「あいつ、辞書しか持ってなかった」というようなことでも話しているのだろう。残念でした、と私は心の中で言った。ひとまずよかった。

しかし、である。私は難を逃れたのだが、一緒に行った女子数名は別のグループにやはり全員なにかしら開けられ、一人が被害に遭ってしまった。アテネ、おそるべしである。

 

そんな、朝とは一転、どんよりとした気持ちで私たちはアクロポリスの丘の麓に立った。両替をしようかと思ったら両替所がないし、国際学生証で割引になろうと思ったら、日本の学生証しか受け付けていないと言われて二倍の料金を払う羽目になるし、どうも今日はツイていない。いや、だがツイていないからこそ、こうやって人は神聖な場所にやってくるのではないか。とにもかくにも私たちはついにかのアクロポリスに入ったのであった。

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アクロポリスとは、何もアテネだけにあるものではない。強いて言うなら、イスタンブールトプカプ宮殿だって、元はと言えばアクロポリスの跡地だ。アクロポリスは、高いところ、城市を意味し、古代ギリシアの都市の中で最も中核的な部分のことであった。だから、小高い丘に置かれることが普通で、戦争などの際には、そこに市民が立てこもった。アクロポリスには政治上、文化上の拠点も置かれたが、主に目立つのは宗教施設であり、アテネにおいては、アテネアテナイ)の守護神であったアテナ女神が祭られていたパルテノン神殿がその中心に置かれている。パルテノンとは乙女、処女を指し、アテナが処女を貫いたことに由来してその名が付けられた。

さて、アクロポリスの丘は、丘というだけあってかなりの急勾配であり、岩もゴツゴツしていたから、登るだけで一苦労である。岩の要所要所に遺跡があるのが見える。まず真っ先に目に入ってきたのは、デュオニュソス劇場で、これはアテナイの祭りデュオニュソス祭の際に大規模な演劇大会が行われた場所だった。アテナイで実権を握った支配者(テュランノス)、ペイシストラトスが始めた演劇大会だが、これはアテナイの名物となった。古代の悲劇の多くがここで披露されたという。今では、修学旅行生たちがかつての観客席に座って、ガイドの言葉を聞いたり、聞かなかったりしている。私たちも、日光照りつける座席に座ってみた。気分はアテナイ人である。

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ディオニュソス劇場

 

打ち捨てられた劇場を後にすると、他の劇場などもある。どうも、ギリシア史は弱い。ローマ史はかなり好きなので、フォロ・ロマーノなど行こうものなら、止まらなくなって話すのだが、ギリシアはダメだ。色々な理由があるが、そのうち最もくだらない理由は、ギリシア語の語感が好きじゃないというものである。「カイレポン」「テュキディデース」なんて、ふざけ倒しているではないか。だったら、ラテン語みたいに威勢良く、風格を漂わし、「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」などと言ってくれた方が、大河ドラマを見ているような気持ちにもなれる。「儂は立法者ソロンであるぞ」なんて言われても、ポケモンの名前みたいである。「儂はユリウス一門カエサル氏族のガイウスである」の方がずっといい。説明していて馬鹿らしくなってこないといえば、嘘になる。

そんなわけで、歴史好きには珍しく、ゴツゴツした丘の周りに建てられた遺跡は、みな無名の遺跡にしか見えなかったのだが、流石にその漂わす風格はすごい。胸像が見下ろし、柱が立ち、円形劇場が眼下に広がる。ギリシアはやはりギリシアだ。知らなくても、その物凄さは感じられる。

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Τις ἔστιν;(誰だろう?)

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ヘロデス・アッティクス音楽堂というらしい。今も使われていそうな感じだ。

 

岩山を登ると、巨大な建造物が現れた。それはどうやら、アクロポリスの入り口のようだ。つまり、この丘の頂点への入り口ということだ。私たちは少しその入り口まで休憩した。そこから遺跡と反対方向を見ると、アテナイの街が見える。これはスカイツリーなどと違い、古代人も見ていた光景である。そう思うとゾクゾクする。

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Stairway to Parthenon

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アテナイを神の視点で眺める

しばらく遠くを見つめた後で、私たちは入城する覚悟を決めた。人でごった返す、ボロボロの遺跡の門をくぐると、目の前には有名なパルテノン神殿がそびえていた。神殿が今の形になったのは、アテナイが最も栄えたペリクレスの時代。その後かつての神殿は、ビザンツ帝国による教会、オスマン帝国によるモスクへの改修を経て、武器庫兼避難所になり、その後、ヴェネツィア艦隊による砲撃で爆発した。そのため、神殿の建物は吹っ飛び、柱だけが残っている。さらに、日本でいう欄間にあるレリーフはイギリス人により引き剥がされ、今では大英博物館にあるので、神殿は瀕死である。だが、その均整のとれた形状は今でも残っている。

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有名な神殿

「遺産を武器庫にするとか、砲撃するとか、ダメじゃん」知識をひけらかしていたら誰かがこう言った。

それはそうだ。だが、遺跡の保存などという考え方が出てくるのは近代になってからであり、イタリアでローマの遺跡の石を教会建築の建材にしたことを考えれば、同じ形でとどめ置かれただけで十分と言える。あれだけ大きな箱モノがあれば、誰だって武器庫にしたくなるし、敵の武器庫があれば、誰だって砲撃したくなるのは自然だ。

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沢木耕太郎は、このギリシアの遺跡群を前に、死ぬなら死ぬに任せておいた方がいい、改修だの観光だののせいで遺跡が醸し出すノスタルジーが台無しだ、というようなことを言っていたが、たしかに、どこも人で溢れており、かつてバイヨン遺跡で抱いたような胸の奥からつき上がるような思いは感じられなかった。だが、思うに、この遺跡は、この遺跡として今を生きているのである。もはや神聖さなどは引き剥がされてはいる。だが、この遺跡はこの遺跡で、この遺跡の生命を保っている。多くの人を、その「アウラ(オーラ)」で惹きつけてやまないのである。

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誰も見てくれないが、確かに立っているエレクテイオン(右)

それに、神聖さと歴史を感じさせる遺跡も、アクロポリスにはある。女神が柱がわりになった有名なエレクテイオンである。みんながパルテノンばかり見るものだから、ひっそりと、一人、エレクテイオンは建っている。その、ちょっとはぶられた感は、逆に、神殿らしさをみにまとうことで、人の目を惹きつけているようにも思える。鼻が潰れてしまった女神たちは、アテネとなったアテナイの街を見下ろしている。上から見れば美しく、下で見れば治安の悪いあの街をだ。

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