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旅、映画、食べ物、哲学?

不滅のアテナイ

アクロポリスの丘を降りて、私たちは行くあてもなく、日差しの差し込むアテネの観光地を歩いた。出てきたのはバスの停車場などがあるところのようで、ガランとしている。無数のシャボン玉を作る大道芸人がいて、そのシャボンに包まれながら、まるでニンフかムーサのようないでたちの女性二人がはしゃいでいる。

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駐車場だけど幻想的

少し歩くと、森のような場所に至る。どこに行こうかと思案していたら、この森の奥には、なんと、ソクラテスが入れられていたという牢獄があるという。てっきり、ソクラテスの牢獄はどこか絶海の孤島かと思っていたので、意外であった。今回のメンバーは全員哲学科。これは行く他ない。

坂を登って、右に曲がって、森を少し歩くと、巨大な岩があった。そこは中がくり抜かれている。これこそ、かのソクラテスの牢獄であり、彼が死刑に処せられた場所だ。そこはアクロポリスと比べて格段に人が少なく、みなソクラテスなど忘れてしまったかのようだ。だが、岩に設置された格子には新鮮な花がくくりつけられていて、そこに花を手向ける人がいることがわかる。

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ソクラテスの牢獄

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今でも花が手向けられている

ソクラテスは、アポロン神から「汝ソクラテス以上の知者はいない」という言葉を受け、その真偽を確かめるのが自らの使命だ、と行動した。町中のお偉方に、質問をぶつけ、道端を通る人に問うた。結果として彼は嫌われた。当然である。誰が問われたいだろうか。誰がこねくり回した質問をされたいだろうか。彼のやったことは非常にうざったかったのである。名誉を傷つけられたと思った有力者3人によって裁判にかかられたソクラテスは、命乞いもせず、ただただ理屈をこねたものだから、刑罰も重くなり、死刑となった。そんな彼が捕まっていたのがここである。

よくみてみれば、牢の洞穴からは、はっきりと、パルテノン神殿が見える。彼は死刑当日、友人のクリトンに「逃げろ」と言われて、「アテナイ市民が決めたことなのだから」と留まった。そんな彼の目には、アテナイのシンボルである神殿が見えていたのだ。どのような心情だったのだろうか。決していいやつではないし、大して好きでもないが、心情を慮れば、胸打たれるものがある。

 

牢獄の前を離れ、私たちは、ソクラテスが死刑を宣告されたのかもしれない民会の会場プニュクスの丘に行ってみることにした。しかし、どこなのかわからない。そうこうするうちに、私たちは別の丘にやってきた。そこは市民の憩いの場になっており、風景も美しい。ベンチのある一角が開けており、アクロポリスの全景をそこから見ることができる。もっと木が生い茂っていたら、「真夏の夜の夢」にぴったりな情景である。

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そのパノラマスポットから伸びる坂をさらに登ると、岩でごつごつとしたこの丘の頂点にたどり着く。てっぺんには何かがそびえ立っている。どうやらそれは、音楽の女神ムーサに捧げられたものらしい。そんな縁あってか、下界で奏でられたギリシア音楽が風に乗って、うっすらと、聞こえてきた。ここからはアテナイを四方に見渡せる。さきほどのパルテノン神殿のあたりから見るのもいいが、ここからはパルテノン神殿も見渡せるし、それに人も少ない。

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街の向こうに広がる海は、かつてアテナイが支配した海だ

 

それから丘を降りて、私たちは昼食をとった。そこは丘のそばの客の少ない食堂で、にこやかなおじさんが経営している。出会いは、向こうから声をかけてきたところから始まった。この辺から、私はだんだんと、警戒心の取り外し方を覚えてきたようだ。

頼んだのはギロス。ギリシアケバブである。飲み物は勝手にとってくれというので(この形式はボルドーケバブショップと一緒だった)、冷蔵庫を開けると、ビールがある。もはや、ビール以外の選択肢を失ってしまった。昨日のクラフトビールとは違う、大衆的ビールである。名前は、フィックスという。なんだか、何かを直してくれそうな名前だ。

ギロスは想像よりもぺたんこだった。薄いピタで包まれ、上にはマヨネーズソースがかかっている。それを、フォークとナイフで食べる。さすがはビザンツ帝国の末裔。手で食べるのではなく、優雅にフォークでいただくというわけか。

歯ごたえはしっかりしていて、香ばしい。マヨネーズとの相性も抜群でうまい。だがケバブというより、友人のうちの一人が形容したように、「ギリシアお好み焼き」の様相を呈していた。ビールの方も、さらっと飲める。ギロスは一つ4.5ユーロ。大体五百円くらいである。観光地だけにそこまで安いわけではないが、ローマと比べれば破格である。

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ギロスとフィックスビール

それから私たちはプニュクスの丘へと向かった。今度は場所をしっかり調べたので、たどり着けるはずである。

プニュクスの丘とは、現在では絶景スポット的な扱いを受けているが、ありし日には民会の会場であった。民会、というのは、アテナイ市民(成人男性のみ)が一堂に会する議会であり、アテナイの「国権の最高機関」である。アテナイには行政府の長としてアルコン、そして後期にはストラテーゴスという役職が置かれ、政治の中心を担っていたが、何をするにせよ、民会での演説は重要なものであった。いわゆる、直接民主制である。この制度は一見理想的に見えるが、アテナイ後期になると、話が上手かったり(デモステネスなど)、見栄えが良かったり(絶世のイケメン、アルキビアデス)、金を持っていたり(なめし皮職人クレオンなど)する、いわゆるデマゴーゴイと呼ばれる、今でいうとト●ンプ大統領のような人が現れ、民会は撹乱され、アテナイは衰退の道をたどった。強権的な制度を作って民会を押さえつけようとする勢力も常にいたが(キモンや、スパルタの影響下で独裁体制をとった三十人委員会(トリアーコンタ))、彼らはアテナイ人の性には合わなかったようだ。

プニュクスの丘も、開けた場所にあった。更地が広がる丘からは、パルテノン神殿が見える。今では柵に囲まれた演説台が残っているが、今や丘にいるのはアテナイの市民ではなく、一休みする観光客である。しかし、日差しがかなりきつい。辺りはシーンと静まり返り、演説するにはもってこいである。それにしても、牢獄や民会会場からもパルテノン神殿が見えるのは、何らかの目的があるように思える。詳しいことはわからないが、パルテノン神殿、すなわちアテナが見守ることで、市民たちは神に見られている感覚で議論や服役に当たっていたのかもしれない。

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プニュクスの丘

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演説台

プニュクスの丘を出て、なにやら天文台のような銀色の建物の方へと向かった。理由は、それが何なのか気になったからだが、中に入れるわけもなく、結局謎は謎のまま、私たちは先へと進んだ。坂を降りると、オレンジ色の屋根の正教会寺院が見えた。入ってみようかと思ったが、閉鎖されている。どうやらこの坂は謎でいっぱいのようだ。そういう坂に一つや二つ、あっていい。しかしそれにしてもギリシアの日差しはきつい。

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やはり天文台だろうか。ここで星を眺めるというのはロマンがある。

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教会

坂を下り、少し歩くと、蚤の市をやっていた。ギリシアの小物がたくさん売っている。やはりギリシアオスマン帝国に支配されていたから、トルコの影響も見られるようで、トルコ土産として有名な目をかたどったお守りも売っていた。しかしこの蚤の市は蚤の市らしく、Tシャツやらおもちゃやら、マグカップやらも売っていて楽しい。だが、私は少々太陽にやられてしまいそうだった。水を買い、一休みしなければならないだろう。

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日差しが強い蚤の市

 

蚤の市から少し歩くと、突如人も増えてきて、賑やかな界隈になる。レストランが立ち並び、いかにも観光地である。良い観光地の雰囲気だ。レストランでは楽隊が音楽を鳴らし、観光客たちが楽しそうに一杯やっている。そんな界隈から視線を右にずらすと、そこにあるのはアゴラである。

アゴラとは、アテナイの政治文化経済の中心地である。古代アテナイの街の中心といっていい。かつては商店が立ち並び、政治の議論も飛び交い、なかには哲学者たちもいた場所だ。列柱回廊(ストア)ではストア派の哲学者が議論をし、もっと前にはソクラテスが往来の人に問いかけたのがこのアゴラである。だが今ではどこも廃墟、ローマのフォルム・ロマーヌムと比べても、衰退の影が激しい。草木もかなり生えている。正教会の会堂があったり、再建された「アッタロスの列柱」があったりと、少々カオスな一面もある。

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アッタロスの列柱。綺麗すぎるが、古代に戻った感覚も与えてくれる。

アッタロスの列柱は、ずいぶん美しく再建されているが、中は博物館になっており、コインや彫像、壺の類が置かれていた。特に私はその中でも、「オストラコン」には感動した。オストラコンとは、陶器の破片、というか、小皿のようなものであり、紙がなかった時代、それが投票用紙となっていた。言い換えれば投票用陶器である。と言って普通の投票ではない。当選させたい人物の名前を書くのではなく、この人物はアテナイを乗っ取り、意のままに操ろうとしているから追放すべきだと思った人物の名前を書くのである。この「陶片追放(オストラキスモス)」は、アテナイで支配者であったペイシストラトスの子ヒッピアスが父の権威をかさにきて独裁政治に至ったため、優良なアルクメオン家を中心とする市民がヒッピアスを追放したあとで成立した制度である。わかりやすく例えれば、日本の最高裁判所判事に対する国民審査や、地方政治のリコール制度のようなものだ。その後、この陶片追放は政治家が敵対する政治家の追放のために使うこともしばしばで、優秀な軍人だったテミストクレスもまた、追放されている(展示されていたオストラコンはほとんどがテミストクレス追放票であった)。そんなオストラコンの実物は初めて見たので、思わず声を上げてしまった。アテナイアテナイらしさが詰まった遺物だ。

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テミストクレステミストクレステミストクレス……嫌われすぎだ。いや、むしろ好きなのではないか。

アゴラはもう閉館時刻が迫っていて、私たちは急いで回った。詳細はわからないが、丘の上に建てられた神殿に登ると、パルテノン神殿、アッタロスの列柱、アゴラがよく見える。在りし日の喧騒は、フォールム・ロマーヌムよりも想像に難かったが、その沈みゆく風景は歴史の流れを感じさせる。そういえば、ここからもパルテノン神殿が見える。パルテノン神殿は常に、アテナイ人の情景とともにあったというわけだ。

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アゴ