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旅、映画、食べ物、哲学?

カレーなる道

今年から大学でヒンディー語を始めた。理由は割とテキトーで、今までやったことがなかったのと、インドを背負う大言語であるのと、文字の関係で自力での学習が難しそうだと判断したからだった。しかしこれが思いの外楽しく、そこから芋づる式にインドにはまってきた。インド映画は見たことがあった(「きっとうまくいく」「pk」「リンガー」)し、インドカレー屋も行きつけがあったから、下地はあったのかもしれない。

ヒンディー語の授業はちょうど昼食前にあり、私は一緒に受けている友人とともに最寄りのインド料理屋に昼食を食いに行くのがおきまりのコースになった。今まで行きつけにしていた店とは違うのだが、その店の店員は気さくで、私のヒンディー語の実践に付き合ってくれる。

「パーンチローグ!(五人です)」

「マタン・カリー・ディージエー(マトンカレーください)」

「イェ・リージエー(どうぞ)」

「トゥデイズ・カリー、キヤー・ハェー?(本日のカレーはなんですか?)」

「ザラー・スニエー、エーク・ガラム・チャーイェ・ディージエー!(すみません、温かいチャイをひとつください)」

「バホット・アッチャー・ハェー!(すごくおいしいです!)」

とまあ、超初級な感じの拙いヒンディー語に、時に日本語で、時にヒンディー語で、大体の場合は英語で答えてくれる。今では、店に入ると、店のおじさんがニコニコしながら手を合わせ、

「ナマステー」と言ってくれるようになった。

私のお気に入りはビリヤニセットだ。ビリヤニはインドの炊き込み御飯で、有名といわれるのは南部ハイデラバードのハイデラバービリヤニだが、基本的にはインド中にあるという。その店で提供しているビリヤニはチキンビリヤニ。マトンビリヤニはすごく旨いと聞いたことがあるが、まだ未体験である。鶏肉とご飯(インドの高級米バスマティライス。パラパラの細長い米だ)の他に、様々なスパイスが入っており、からさとともに複雑で食欲を刺激する香りがする。このまま食べても旨いが、付け合わせのヨーグルトソースをかけると、よりアッチャー、失礼、より旨い。ヨーグルトはトルコ料理などでも使われるわけだが、やはり酸味が強く、それでいて乳製品特有のまろやかさを持っているから、ビリヤニに酸味とマイルドさを加えてくれるのだ。一緒についてくるカレーを入れるのも良い。ビリヤニがより一層複雑な味になるからだ。日本の料理は素材の味を生かすというが、素材の味を生かすだけが料理の花ではない。いかしつつ、インドのようにたようなスパイスで何にも例えがたい味を作るのも素晴らしい。

カレーやビリヤニを食った後は、必ず最後にチャイを飲む。ヒンディー語の発音では、チャイではなく、チャーイェだが、この単語で紅茶をさす地域は広大だ。ロシア語も、トルコ語も、チャイである。とはいっても地域によってチャイの形は違う。トルコのチャイはミルクなど入れず、澄み切った赤色のお茶をグラスに注ぐ。それに砂糖を入れるのだ。インドの場合は、日本では「ロイヤルミルクティー」と呼ばれる紅茶、つまりは牛乳で煮出した紅茶にスパイスを加える。私の行きつけは北インド料理の店だが、そこでは砂糖は後で入れるようになっている。以前南インド料理屋に二度行ったが、南では初めから砂糖が入っている気がする。そして実を言えば南インド料理屋のチャイの方が香りが立っており、旨い気がする。

 

そうそう、インドは広いだけあって(もしユーラシア大陸に激突していなければ、インドは大陸だったくらいだ。だからインド亜大陸なんて言ったりする)、北と南で文化が違う。北インドヒンディー語を中心とした「印欧語族インドイラン語派」の言語を話す(失礼、チベット語系の地域もある)。南インドは基本的に「ドラヴィダ語族」である。タミル語テルグ語がそれにあたる。

と言ってもよくわからないかもしれないので、雑に日本に例えてみよう。例えば、日本という国には、大まかに分けて(本当に大まかで申し訳ない。朝鮮語や中国語、ポルトガル語等は含んでいない)三つの言語がある。一つは日本語だ。もう一つは琉球語。そして最後にアイヌ語がある。日本語と琉球語は同じ日本語族に属するが、違う言語だ。アイヌ語は前者二つと系統が異なる。インドでは、大きく分けてヒンディー語やマラーティー語、オリヤー語など印欧語族に属する言語が北部で話されているが、南の方のタミル語テルグ語とは系統が異なる。日本語話者が琉球の言葉をあらゆる解説付き(古語だとこういう言い回しをするから……というような話だ)で聞いた場合、多少は理解できるのに対し、アイヌ語は歯が立たないのと同じように、インドも北と南の言語は完全に意思疎通が図れない。そもそもの基盤が違うからだ。そして、日本語話者が解説なしで琉球語を聞いても何を言っているのかわからないように、インドでも言語が異なれば伝わらない。国内で言語が違うなんて、と思うかもしれないが、よく考えてみればあれだけ広大な国土、多様な文化で、よくもまあ一国でやっているものだ。ヨーロッパと比べてみればそちらの方がすごいではないか。英国による侵略のツメ跡でもあるわけだが。

その辺の事情は「チェンナイエクスプレス」や「ムトゥ」と言ったインド映画でも描かれている(ムトゥの場合、多分同じドラヴィダ系同士でも意思疎通が取れないという話だと思う)。そしてなにより、映画業界でも言語によって色々異なっている。例えば「きっとうまくいく」はヒンディー映画、「ムトゥ〜踊るマハラジャ〜」はタミル映画、「バーフバリ」はテルグ映画である。よく聞けば違う言語であるのがわかるかもしれない。

このようにバラバラの言語、特に南北での違いが激しいインドにあって、インド連邦政府ヒンディー語を連邦公用語として制定したが、南部の人から見れば北部の文化的侵略であり、あまり喜ばれていないらしい。だから今でも、英国植民地時代の遺産である英語が一種の共通語の役割を果たしているという。

 

インドの北部と南部は言語が異なっているだけでなく、文化も差異がある。と言ってもそこまで詳しくないので料理の話をしよう。これは北インド料理屋と南インド料理屋に行けばわかる話だ。北インド料理屋といえば、定番は、ナーン、バターチキンカレー、タンドリーチキン、シークカバブ……などだ。たいていのインド料理屋はこれがある。南インド料理は、ミールスと言って、バナナの葉っぱの上に、米、数種のカレーが並ぶスタイルだ。まず主食が北は小麦粉を使ったナーンやチャパティ(薄いペラペラのやつ)などなのに対し、南は米食というわけだ。また北にはムスリムが多く、マトンやチキンなどの肉をよく食べるのに対し、南はヴェジタリアンが多く、野菜系が多いという違いもあるらしい。

もちろん例外はある。北でもビリヤニは食べる。というかビリヤニパキスタンの方の料理だということを聞いたことがある(真偽は不明)。南にも小麦粉の生地を揚げたプーリがあるし、クレープのようなドーサもたくさん食べるという。だが、雰囲気はやはりなんとなく違うなと、今のところ日本の店舗を見て思うわけである。

 

と、あれこれインドのことを調べているとやりたくなることがある。カレーだ。作ってみたい。特に、インドの屋台の様子を面白おかしく紹介してくれるとあるYouTubeチャンネルをみ始めてからというものの、自分でもやりたくなった。カンカンコンコンガッファンガッファンと豪快に料理する姿が楽しそうなのだ。というわけで私もカレーを作るようになった。しかし根がケチなので色々買い込むのが面倒になり、家にあるシナモンパウダーやらクミンやらを無理やり使ってやる。レシピは大抵その動画。そんなテキトーインディアンフードだが、なかなか上達してきたと自分では思う。だがやはり難しく、どこかがうまくいけば、どこかがうまくいかない。味は整ってきたと思う。

付け合わせは、二つチャレンジしている。一つはジーラライスだ。ジーラとはクミンのこと。だから私は冷やご飯をバターで炒め、クミンと塩を振ってあえて作る。最後にネギをまぶすと、なかなか悪くない。こちらは良い。さらに、この前チャパティを作ってみたが、これが大変難しい。焼きすぎなのか、伸ばし方が足りないのか、小麦粉が悪いのか、私の日頃の行いが悪いのか、カチンコチンになってしまうのである。あれではもはやせんべいだ。なんとかうまくできるようになりたいものだが……。

しかしやはりこうやって試行錯誤するのは楽しい。

 

とまあ色々書いたが、実はインドに行ったことがない。人生観が変わるとか、人生が変わるとか、うざいとか、騙されるとか、二度と行くかとか、色々聞くが、私は本当のインドをまだ知らない。行ってみたいものだ。実際の空気を感じなければ、知識は空っぽで終わってしまうし、私のカレーだって、本当のカレーにはならないのである。

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チャパティがカチンコチン。しかもカレーはレトルト。自作のカレーの写真を一枚も撮っていなかった。