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旅、映画、食べ物、哲学?

アンダーグラウンド・タイフード

入ってはみたいが、入りづらい店というものがある。

それは常連でいっぱいだからだったり、店主が怖そうだからだったり、ドアがガッチリと締まっていたからだったり、閑静な住宅街の奥まったところにあるからだったりする。そういった店には人を寄せ付けない雰囲気を放っている。勇気を出さないと、結界を超えられないような何かが。

私の今住んでいる街にもそういう店がある。そして今日、その店に入った。

 

私のいる街にはそれなりに大きな駅があり、その周りに街が広がっている。メインストリートと言えるところは3本ほどある。そのうちの一本のまわりには古くからある店がたくさんあったが、今では再開発で、チェーン店と取り替えられつつある。だがもちろん生き残った店もあり、私が入りたかった店は、おそらく生き残った店だと思う。すくなくとも、再開発が激化する前にはあったはずだ。

『本格タイ料理』

メインストリート沿いにノボリが立っている。確かシンハービールの紋章もどこかにあったはずだ。そういう意味で、この店は基本的にウェルカムだし、奥まった場所にあるのでもない。なんなら加えて、ノボリの近くに大きなメニュー表が置いてあって、どんな定食があるのかわかるようになってもいる。

どこが入りにくいのか、と疑問に思われてもしょうがないだろう。私があまりに臆病すぎるのではないか、と。正直な話、私は一人旅などをするわりに対人関係に臆病なところがある。だが、それを差し引いたとしても、店の前に来てくれさえすれば、私の躊躇にも納得してくださるはずなのだ。というのは、そもそも、入り口が見当たらないのである。

 

今日は、今日こそは絶対にここに入ってやろうと意気込んでやってきたから、私はなんとかして入り口を探すことにした。すると、入り口が地下にあることがわかった。

おうっと、より入りづらくなった。地下へと続く階段はあかりに照らされることもなく、真っ暗な闇へと続いている。もはや飲食店へ行くというより、これは探検である。学校の、入ってはいけない場所へと降りていくような気持ちである。だが、今日はこの店に入るのだ。私は決意し、階段を下りた。

階段をおそるおそるおりきると目の前には扉があった。わりとしっかりとしまっている。ここまできて後戻りはできない。私は扉を引っ張り、中へと入った。

 

中は予想していたよりも人がたくさんいた。内装はどうやら、スナックである。もともとスナックが入っていたのだろうか。そんなことを思っていると、

「何名さま〜?」というおばさんの声がする。

「一人です!」と答えると、

「はいこっち」と随分奥の方へと通された。ひょっとするとスナックと言うより、キャバクラに近い店だった可能性がある。椅子も、ソファのようになっていて、どうも「夜のお店」である。そんな名残を残しながらも、タイの影絵が額縁に入って壁にかかっていたり、象の像や台風の布なども置かれている。きっとエロい曲(?)がかかっていたであろうスピーカーからはタイの音楽がうっすらと流れてきている。

アンダーグラウンド。不思議な空間。

ソファに座り、メニューを眺めた。定食を頼むと、サラダとコーヒーもついてくると言う。しかしなぜコーヒーなんだろう。あまり腑には落ちないが、まあいいだろう。ありがたいにはかわりない。私は口内炎があったため少々迷いつつも、レッドカレーの定食を頼んだ。

 

ゆで卵の白身の部分だけを切ったものがはいっているサラダがきた。いや語弊がある。基本的には普通のサラダである。だが特徴として、普通の茹で卵ではなく、白身の部分だけをカットしたものが入っていたのだ。私のものだけ白身になってしまったのか、そう言う伝統なのかはわからないが、伝統だと信じたいものである。ドレッシングと大きなレタスが口内炎を刺激する。カレーは大丈夫だろうか、と不安になりつつも、なんとか食べきる。お次はメインだ。

しばらくして出てきたメインは、たくさんの白米の上にちょこんとのったレッドカレーだった。タイ料理となるとグリーンカレーを食べることが多かったので、あまり食べてこなかったレッドカレーだったが、この配分から予想はついた。おそらくとても辛いか、とてもしょっぱい。そしてご飯全体を使ってカレーと絡めることで美味しくなるのだ。

私はタイの伝統に則り、右手にスプーン、左手にフォークを鉛筆持ちし、赤いカレーとご飯を絡めた。香りが立ち込める。ココナッツの香り、そしてタイ料理らしいハーブの香りがする。口内炎を庇いながら、カレーのしみたご飯の上に肉をのせて、口へと運ぶ。口中にタイが広がる。うまい。豚肉もうまい。具のタケノコの食感がアクセントをくれる。そして、案外口内炎が痛まない。辛くないわけではない。むしろ辛いのだが、全然問題なかった。最高だ。

私はご飯の山を少しずつ崩しながらカレーを食った。タイのカレーというのもなかなか奥深い。インドカレーにはない香りがするし、インドカレーでは表現できない繊細さをもっている。レッドカレーは、グリーンカレーよりも、甘味が控えめで、塩味が強い。きっとタイカレーが好きではない人も虜になる味だろう。もちろん個人の見解だが。

うまい、うまい、とカレーを貪り食っていると、おばさんがやってきて、コーヒーを置いた。

「砂糖は?」と尋ねる。私はとっさに、

「いや、大丈夫です」と答えた。日本語の中でも難しい部類の「大丈夫」を用いた否定文を用いてしまったことを反省したが、

「いらないね」とおばさんが返したので、心配はご無用だったようだ。

 

コーヒーは思いもよらないほどに本格的なカップに入っていた。スプーンもおしゃれだ。まるで喫茶店のようである。もしかするとこのコーヒーはおいしいのかもしれない。

だが、辛いカレーのあとでブラックコーヒーを飲む気になれなかったので、私はコーヒーフレッシュを入れた。これでは本当に美味しいコーヒーなのかはよくわからなくなってしまうが、そんなに期待することもないはずだ。私はコーヒーを啜った。悪くない。普通にきちんと入れたコーヒーのようだ。それにフレッシュを入れたおかげで、カレーの辛味が口の中で和らぎ、ちょうど良い。タイ料理の後のコーヒー、というのも悪くないようだ。

 

会計をレジで行い、私は手を合わせて、

「コップンカッ(ありがとうございました)」と言った。おばさんは笑顔で、

「コップンカァ(ありがとうございました)」と返した。

アンダーグラウンドのタイ料理はうまかった。入るのに勇気がいるが、お客さんの数からしても、これはなかなかの当たりくじを引いたようだ。