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旅、映画、食べ物、哲学?

餃子は回る

実は昨日、父の誕生日があって、そのお祝いということで母とトルコ料理を作った。できはなかなかで、本物を食べたことあるのは私だけだったが、再現度としては90パーセントくらいはいけていたと思う。作ったのは、トルコの餃子マントゥと、レンズ豆のスープ、マフルタチョルバス。マントゥにかけるソースはヨーグルトソースで、これがもう少し酸っぱければよかったということで再現度から10%引いたという次第だ。

 

餃子はもともと遊牧民の食べ物で、恐らくはモンゴル高原から中央アジアにかけての料理と思われる。遊牧民の移動に合わせて、餃子は世界中に広がった。知っている人は知っているだろうが、ロシアにはペリメニ、中国にはもちろん餃子、モンゴルにはボーズ、ウズベキスタンにはチュチュバラ、そしてトルコにはマントゥがある。さらに、古くから中東地域とも接触し、交易を行なっていたイタリアにもこの料理は流入する。後の、ラヴィオリである。

 

とまあ、もはやユーラシア料理の様相を呈しているこの餃子だが、マントゥを食べながら父がこんなことを言った。

「ドイツにもあるよね」

父はドイツに三年ほど住んでいたので、多分確かだろう。よく知らなかったので調べてみると、ドイツには確かにマウルタッシェンという餃子があるらしい。ドイツ南部のシュヴァーベン地方の郷土料理だ。シュヴァーベン地方は、神聖ローマ帝国皇帝家の一つであるホーエンシュタウフェン家を出した地方だ(わかりにくければ、フリードリヒ1世バルバロッサとフリードリヒ2世の家)。となると、ロシア方面から伝わったというよりも、イタリア方面の方がありそうである。真偽は不明だが…。

(後で知ったのだが、こちらのマウルタッシェンは、修道士が肉をこっそり食べるために生み出したらしい。遊牧民と完全に無関係かどうかは不明)

 

翻って東アジアには、マントゥが、マントウや饅頭の形で音としては伝わっている。ここまでくると立派な日本料理である。饅頭。何気なく接してきたが、遊牧民の伝統を引き継いでいる。

そういえば、焼き餃子なるものは、中国では店に出すものではないらしい。家庭の残り物を焼く程度だという。基本は水餃子が餃子だ。

これは、他の地域でも変わらない。ペリメニサワークリームソース、マントゥはヨーグルトソースに浸かった姿でサーヴされる。基本はそういうソース付きの、茹でた姿だ。それを焼いて、しかもそれをメインにするとは、アレンジの天才日本人も、なかなかやる。と我ながら(?)思う。

それで思い出したのだが、去年フランスへ行った時のことだが、ストラスブールの街を歩いていたら、「Gyoza」を売っている店があった。ボルドーやパリでも見かけた。中国風のジャオズではないところから、多分日式の焼き餃子なのだろう。ついに世界中に回り始めたようだ。

ちなみに、ここまで語ってきて言いづらいが、私は水餃子の方が好きだ。水餃子にも頑張ってもらいたいものだ。

 

そういえば、ネパールのモモも、わりと餃子系だった気がする。それも、この前、阿佐ヶ谷のネパール料理屋で(多くに知られているのかはわからないが、阿佐ヶ谷はネパール人街だ)食べたカトマンズモモなるものは、まるでマントゥであった。生地といい、ヨーグルトソースといい、似ている。多分、同じ系列を組んでいるのではないか(憶測)。

 

こうやってみていくと、ユーラシア大陸中に餃子があるようだ。そう思うとワクワクしてくる。まだ知らない餃子、まだ食べたことのない餃子が世界にはある。いつかユーラシア横断餃子の旅をしてみたい。そういえば、そんな感じのテレビ特集が松重豊主演で組まれていたような気がする。確かにテレビにしがいはあるだろうなと思った記憶がある。

餃子はそれほどまでに奥深いのだ。世界史を習えば、ほとんどの地域の歴史に、必ず遊牧民が登場するのをみてとるだろう。すると、世界史では習わないが、遊牧民が現れるたびに、餃子の歴史も紡がれているのである。餃子の分布を見るに、遊牧民がいかにこの世界を動かし、動き回ってきたかがわかる。遊牧民うごめくユーラシアは餃子の島だ。いつか地球が滅び、人間がロケットでどこかに避難した時、共通の懐かしい料理は、餃子になっているかもしれない。

などと、バカなことを思いつつ、世界の歴史を背負った餃子を食べようではないか。見知らぬ世界の餃子の情報があれば求ム。

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