Play Back

旅、映画、食べ物、哲学?

アジアの香り〜大阪〜

初めての大阪だった。

というと、驚かれることが多いが、国内旅行そのものが、3年ほど前に行った函館以来だったのだから、大阪が初めてでもおかしくはない。だが、不思議なのは、私は関西系のルーツしか持っていないにもかかわらず、大阪という土地に行ったことがなかったのである。

私の父方のルーツは、神戸と京都、より辿れば香川になる。すると大阪は一つも関わってこないことになる。祖父が大阪か何かに疎開していたというような話を聞いた気がするが、しかし根を張ったわけではない。まあ、そんな話はどうでも良い。

今回は京都の旅の予定だった。だが、せっかくだから大阪も行ってみるか、とふと思いついてしまったのだ。一度この種の思いつきを旅の最中にしてしまうと、行かざるをえなくなる。そんなこんなで、京都初日に、京都の四条から大阪へと向かった。

そもそも大阪に行ったことがないのだから、大阪のどこに行けばいいのかわからない。通天閣大阪城、道頓堀、グリコ、ミナミ、とまあ、いろいろなキーワードはでてくるがどこが良いのか。色々考えたり調べた末、とりあえずはグリコを見よう、食倒れをしようと、道頓堀を選んだ。

メトロの心斎橋駅を降り、グーーーーッと御堂筋を歩いて、道頓堀を目指す。心斎橋の感じはさながらヨーロッパか何かのようで、イメージする大阪より幾分も綺麗である。高級店のある繁華街だとは聞いていた。これはこれで面白い。

しばらくまっすぐ歩くと、橋が見える。本当はグリコのあるところに突入しようとしていたのだが、どうやらミスを犯したらしい。御堂筋から直接グリコではなく、その隣にある商店街からグリコへとつながるようだ。なので軌道修正。左へと川沿いに曲がった。

f:id:LeFlaneur:20180909100129j:image

するとそこには、どこかで見たことのある光景があった。橋の向こう側にはグリコのマーク、ガチャガチャした感じの雰囲気がその奥には広がる。橋を渡りながら川の方を見ると、ドンキホーテやらなにやら、これまたガチャガチャしたものが並んでいる。東京ではガチャガチャしたものが独立してガチャガチャしているため、ああガチャガチャしてるな、くらいにしか思わないが、ここまでガチャガチャしたものがゴチャゴチャと並べば、むしろ文化すら感じる。

f:id:LeFlaneur:20180909100235j:image

橋を渡り、左へ曲がると、そこは喧騒である。わけのわからないたこ焼きのテーマソングが垂れ流され、店の看板は道にせり出してくるほど3Dだ。暑い日差しが照りつける中、大阪は大阪を主張していた。楽しい。街は活気が溢れている。

友人(正確に言えば後輩だが、友人といっても差し支えないと思っている)4人も一緒だったので、これからどうするか協議をした。食い倒れるつもりはあったが、なにを食べよう。結局、選ばれたのはたこ焼きだった。買ったのは、たこ焼きソング垂れ流し店の真向かいにある露店だ。そこのたこ焼きはトロッとしていた。ソースも何種類かある。私は個人的には、トラディショナルなソースが好きだった。味も結構良い。本場補正があるのかはわからないが、うまい。ただ、口に火傷を負ってしまった。

次どうするか、と思い歩き始めると、かなり暑い。これはどこか店内に入ろう。と、結局別のたこ焼き屋に入ることになった。決め手は生ビールである。店内二階のテーブルで、みんなでノーマルタイプのたこ焼きを頬張る。先ほどのよりもしっかりしている。なるほど、店によってかなり違うようだ。これもまた楽しい。食べ較べのしがいがあるってもんだ。

 

しばらく居座り、外に出た。太陽が眩しい。次もまた食いもんだ。だが、大阪の街はなんとなく、歩いていたくなる空気を持っている。商店街方面へ、ふらりふらりと歩いてゆくと、そのうちいくつか串揚げ屋が見えてきた。そういえば串揚げも大阪名物である。二度づけ禁止で有名なやつだ。しかしわたしは世情に疎いので、そもそも二度づけOKな串揚げがあるのかを存じ上げない。

串揚げというと、わたしはベルリンを思い出す。6歳のまだ若かりし頃、わたしはベルリンに住んでいた。最寄駅はシャルロッテンブルク。その隣がザビニプラッツ駅。ホームの壁に何やら奇怪なアートが描かれ、子供心に強かったものだからこの駅のことは覚えている。たしか、まさにそのザビニプラッツ駅に、串揚げ屋が一軒あったのだった。ベルリン在住の日本人のたまり場のような存在でもあり、まだウブな年頃だったためによく身にしみていたホームシックの解消の場でもあった。

私たちは商店街から一つ道を逸れたところにある店に入った。案の定、二度づけ禁止である。たしか豚肉、ベーコン、ハツを食べたかと思うが、何を食べたかなど、どうでも良いくらいうまかった。思わず京都出身者の前で「大阪に泊まりたかった」などと失言してしまうほどである。これにまたビールが合う。そして二度づけ禁止ソースも合う。東京のソースよりも薄くて、全然どぎつくない。

 

そのあとは、もう一人と合流し、食倒れ作戦最終章としてお好み焼きを陥落させるべく、道頓堀の店に入った。

この店、なかなかにいろいろなものが出てくる。お好み焼きが来るのかなと思いきや、サラダ、たこ焼き、唐揚げ、焼きそば、とでるわでるわ、オンパレードである。正直食いすぎである。たこ焼きは皆絶賛していた。外はカリッと中はとろっとして確かにうまい。だがわたしとしては、案外最初の口を火傷しながら路上で食ったやつが一番好きだったかもしれない。たぶん、ファーストインプレッションバイアスがかかっているし、路上バイアスもかかっている気もする。

お好み焼きは、焼けた状態で出てきた。これが大阪式なのか。一軒しか見ていないのでよくわからないが、自分たちで作る東京方式に慣れていると、「なぜもう一度焼くの?」と少々思ってしまったりする。だが味はもちろん、うまい。そして、三杯目のビールによくあう。思えば、ビールを飲みまくっている。太陽が眩しかったからだ。

 

そんなこんなで食倒れ作戦は終了し、なんば駅まで歩き、そこから京都へと、いや、そこから上洛した。私たちが夜行バスに揺られている間に猛威を振るった台風21号の影響で列車がいくつか使用不能になっていたため、宿泊先に着くのが遅れ、必然的に夕食も遅れたが、大阪の食い倒れの力で、私たちは飢えを免れた。

大阪は面白い街だった。もっと行ってみたいと思う街だった。そこには京都とはちょっと違う面白さがある。それはちょうど、ヨーロッパとアジアに違う楽しみ方があるのと同じだ。もしかすると、中央アジアには中央アジアの、中東には中東の、アフリカにはアフリカの、北米には北米の、南米には南米の、それぞれ異なった楽しさがあるのかもしれないが、わたしはあいにくヨーロッパとアジアしかわからない。だが、大阪と京都にはアジアとヨーロッパに似た違いがある。アジアにもヨーロッパにも、深くて長い歴史がある。大阪も京都もそうだ。ヨーロッパや京都はその悠久の歴史を感じられるスポットがあり、町が芸術のようだ。言ってみればそこには深みと渋みがある。一方大阪やアジアにもそういうところはあるものの、それよりもむしろ、街の抱えるエネルギーがいい意味で泥臭い形でこちらにつたわってくる。どちらも、味わい深い。そういう意味で、タイプが違うのである。それは言ってみれば、高級料理と屋台飯の違いと同じかもしれない。高級なフォワグラはおいしい。だがその一方でレバーの焼き鳥もうまいのである。おいしいとうまい。そんなものだ。

要するに、また来たいということである。