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旅、映画、食べ物、哲学?

And Then, There were None〜アテネの孤独〜

一人旅が性に合っていると思っていた。それは多分そうなんだと思う。だが、今まで7人もいたのが、一気にいなくなるとなると話は変わってくる。ソフィアに発つ日、私は孤独のどん底に突き落とされ、不安に震えた。一人で台風を台湾で二つもやり過ごし、バルセロナのテロをくぐり抜け、宿が取れないかもしれなかったビルバオの危機も乗り越え、体調を悪化させてもブルターニュを脱出した私が、である。

 

翌朝、8人中6人がいなくなった。日本に帰って行ったのだ。私と、残ったもう一人で朝食を食べることになり、朝のアテネに繰り出した。向かう先はオモニア広場。ちょっと汚い、現地人向けのところに行こうということになったのである。今までは女子もいたし、あまり冒険はできなかったから、私は少々の自由をかみしてめいた。やっと、こんな感じになった。明日には一人だ。明後日にはもう二人合流する。ちょっと残念、などと余裕をぶっこいで、路上のパン屋で例のねじねじドーナッツを購入したのだった。

友人が朝ごはんを買ったチェーンと思しきパン屋の店先にあるテラス席に腰掛けて、パンを食った。あたりを黒い大きな犬がうろちょろしている。飼い主はそばに座っていて、ボールを投げては、犬に持ってこさせている。黒い大きな犬などというと、非常に怖そうだが、事実は違う。この犬は怖い犬種ではなく、顔も優しげである。

しばらくして、友人が忘れ物をしたというので、ホテルに戻って行き、私は一人椅子で朝食を食べた。昨日の大きな店で買ったものよりも上手い、チェーン=パン屋で買ったカプチーノにもよく合っている。満足だ。私はうろちょろしている犬を見ながら、腰掛けに深々と座った。しかしその時、私の胸の奥底で何かがもぞもぞとした。その正体はその時はわからなかった。

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これがネジネジパンだ。ほんのり甘いのが良い。日本人好みの味なので日本でもヒットしそうだ。タピオカの次はこれである。

友人が戻ってきて、私も朝食を食い終わったので、二人でオモニア広場から南下してアクロポリスのある界隈を目指すことにした。遺跡は、昨日買ったアクロポリスのチケットで回れるからである。しかし、自由を満喫している以上、一筋縄に、すぐに遺跡に行って、はい終了、とはいくまい。私たちは朝の市場を散策することにした。

 

朝の市場は、午後の市場より活気がすごかった。昨日も混んでいたが、朝は坂なう千葉の細い路地に集まる人でとんでも無いことになっている。おばちゃんは魚を品定め、おじさんは最高の一品を求め、子供は退屈そうだ。一旦巻き込まれたら、自分の意思で歩いたり止まったりということはできない。自分の意思などなく、私たちはひたすらにこの市場の流れに乗って行くのである。私たちが魚を見ているのではなく、魚が私たちを見ている。魚屋はそんな偉大なる魚様のために、客を呼び止める。それも、ものすごい味のあるダミ声でである。魚も、午後と比べて新鮮だ。

そして、この時初めて気づいたのだが、市場の要所要所に店があって、肉を焼いていたり、魚を焼いていたりする。その香りもまたよくて、とにかく美味そうだ。私たちは昼食をここで撮ることに決定した。だがまだ時間はある。

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活気あふれる魚市場。一面、人人人である。

ひとまず、魚市場の向こうにある肉市場に入った。すると、昨日以上に店員が元気で、こちらはテレビクルーなどつけていないにもかかわらず、またも、

「ニーハオ!」

「チャイナ?」

と声をかけてくる。当然それには、

「こんにちは!アイムジャパニーズ!」と返すわけである。ブッチャーたちは、

「コンニチハ!」と頭を下げてくるが、なぜか手は合掌している。それはタイとかインドの挨拶だ。

そんなやり取りをしたかと思えば、お兄さんが突然グーでこっちに手を出してくる。どうしたものかと思ったが、カンでこっちもグーを出して、相手のグーにぶつけたら、ハッハッハと笑っていたので、これが正解であろう。ハイタッチのひともいた。わざわざ肉の血がついた手袋を取ってやってくるところが、プロ根性である。プロ根性といえば、太い肉の骨を叩き割る様はすごい。彼らもフレンドリーお兄さんなだけではないのである。彼らの戦利品は店先に飾られ、時に豚の生首だって吊るされている。あれはどこを食べるのだろう。

ここで、私は旅先での人との関わり方において一歩前に進めたような気がした。昔はのせられてたまるか、押されてたまるか、と警戒心をむき出しにしていた。だが、そうではないのだ。私は絶対に肉は買わない。だって、明日にはソフィアに行くのだ。だが、彼らは楽しげに声をかけてくる。そういう時は、こっちも笑顔で向かえば良い。警戒するのはこちらの心の狭さと常識への凝り固まりの証拠なのである。なぜこんなに笑顔でくるのか、なぜこんなにフレンドリーなのか、旅行者として扱われているとは心外だ……そんなことは皆どうでも良いことなのだ。私たちはどう頑張ったって、現地人にはなれない。私たちはお客さんなのである。だから彼らもお客さんとして私たちに向かう。楽しませてこようとする。だから、私も彼らと一緒に楽しもう。買うかと言われたら買わないと言えばいい。だって買わないのだから。付け込まれるとしたら、そこの部分である。このバランスこそ、旅、いやもしかすると人生において、非常に重要なものかもしれない。私は紛れもなく、あの肉市場を通り抜けて、一つ自由になっていた。

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肉屋の並ぶ市場

それから私たちは外に出て、野菜・骨董品・スパイスが売られている界隈へと向かった。肉屋や魚屋と決定的に違うのは、色合いの豊かさであった。赤黄緑茶と色とりどりのスパイスや野菜が並び、いい香りがする。ヨーロッパらしさと中近東の香りが混合している。ギリシアはやはり、純粋なヨーロッパでは無いようだ。

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野菜市場

市場を後にした私たちは、最後の遺跡として、ちょっと遠いところにあるリュケイオン後を選んだ。リュケイオンというのは、かのアリストテレスの学園である。アリストテレスは、リュケイオンで膨大な学問分野を講義し、ギリシア哲学・自然科学の基礎を作り上げた。気象学、動物学、天文学……アリストテレスがかかわらない科学の方が少ないくらいで、彼の影響は現在にまで及んでいる。

私たちはプラカ地区という少々ハイソな地域を通ってリュケイオン方面へと向かった。プラカ地区は、アテネ観光を紹介する際に必ず言われるところだが、最終日にして初めて立ち寄った。相変わらず交差点には小さな祠があり、アテネらしさはあったが、特に考古学博物館周辺とは違い、ものすごく綺麗だった。まるで別世界である。繁華街の中心にある国会議事堂前までくると、状況は元に戻ったが、国会議事堂のあたりをしばらく歩いていると、プラカ地区以上に綺麗だった。それもそのはず、この辺りは大使館が密集していた。普段なら驚かないが、考古学博物館の周辺に泊まっていたため、アテネに来て一つも落書きが無い場所を見つけるとは思わなかった。

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プラカ地区の小さな祠

その小綺麗な地区を超えると、リュケイオンである。何よりも面白かったのは、リュケイオンのそばにある公園に動物園が併設されていたことである。なぜならアリストテレスといえば動物の研究をかなりやっていた人物だからだ。知ってか知らないでかは分からないが、その公園では動物が無料で見られる。ヤギや羊が闊歩し、道端を亀が横切る。なかなか粋なことをする。

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リュケイオンそれ自体は、かなり廃れていた。客もおらず、公園のど真ん中に礎石だけが飾られている。跡形も無い。思ったよりも大きくは無い。だか確かにここでアリストテレスと弟子たちが、散歩をしながら議論していたのだと思わせてくれるのは、遺跡ではなく、静けさだった。国会議事堂からこちらへ向かうと、非常に静かで、車の音すら聞こえない。当時はもっと静かだったに違い無い。古代ギリシアでは、哲学とは、自らの行き方を鍛えるものだった。一種の修行である。修行には、このように静かな場所が必要だったのだろう。アリストテレスと双璧をなすプラトンも、中心部から離れたアカデメイアに学園を築いたし、少し後のエピクロスという人も人里離れた地に、「エピクロスの園」と言われる場を作って、共同生活をしていたという。静けさが、彼らの生活を忍ばせる。いや、静けさだけが、というべきかもしれない。

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今はもう誰もいない



 

市場に戻り、私たちは魚屋のそばで魚を焼いて食わせる店に入った。愛想のいいおやっさんの進めるがままに、私たちはイカ焼きを頼んだ。飲み物はもちろんビール。今度の銘柄は「A(アルファ)」ビールである。スカッとしていてうまい。イカはというと、ただただイカを焼いてレモンとオリーヴ油と塩をかけただけなのだが、うまかった。さすがは市場、素材が良い。

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焼きイカ。台湾の淡水の10億倍うまい(過去の記事参照)。

魚だけ、というのもつまらないので、私たちは肉の串焼きを買って食った。これもまたうまい。ちょっぴり効いたスパイスが、肉の味を引き立てる。肉もジューシーである。アテネは食がすばらしい。

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串焼肉。これがまずいわけ無い。

 

市場を出てから、私たちはホテルのあたりで別れた。彼もまた日本へ帰るのである。そして、一人になった。私の胸の奥はまたももぞもぞした。それを振り切るように、私は国立考古学博物館に入館してみた。

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国立考古学博物館

考古学博物館は、さすがはアテネという感じで、面白かった。

展示室に入ると、いきなり、ギリシアの伝説の王アガメムノンの黄金のマスクに迎えられる。アガメムノンは、今のトルコにあったトロイアギリシア諸都市連合軍の戦争「トロイ戦争」の時のギリシア軍司令官となったスパルタ王だ。もちろん本人の顔は分からないのだが、トロイ遺跡をも発掘したシュリーマンギリシアの遺跡でこのマスクを見つけて、

「これはアガメムノンに違い無い!」と叫んだときから、アガメムノンのマスクと呼ばれるようになった。これはギリシア半島最初の文明ミケーネ文明の代表的遺物として日本の世界史の教科書でも紹介されている。

その辺りは、ミケーネ文明の展示であり、当時は渦巻き型の模様がよく用いられていた、など全く知らなかったことも見えてきて面白かった。歴史を知ることは、空白部分を、身近なものとして埋めあわせることだ。ミケーネ文明なんてイメージもわかなかったが、遺物を見ている間に、少し愛着が湧いてきた。

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上がアガメムノンのマスク

そのあとは、いわゆるギリシア時代、ギリシアのポリスとアケメネス朝ペルシア帝国が戦い、アテナイとスパルタがしのぎを削り、マケドニアが台頭し、最後にはローマに征服されるまでの時代の展示だった。こちらも、どこかで見たことのあるような彫像だらけである。

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いい顔してやがる

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ポセイドンかゼウスか、最終決定は出ていないが有名な像


世界最古とも言われたコンピューター「アンティキティラ島の機械」の展示、古代の馬車などを見て、微笑を浮かべたアルカイック期の像を見れば、なんだか、今までは疎遠の感が否めなかったギリシアの歴史というものに愛着が湧いてきた。今でも「推し」はローマに変わりは無いが、ギリシアもやはり面白い。特にアンティキティラ島の機械なんて、古代のものとは思えないほど精巧だった。普通に、「これは大航海時代の発明品です」と言われれても納得する代物である。ギリシアにはきっと、古代中国顔負けの、変な奴らがたくさんいたんだろう。もちろん、褒めている。

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汚くて申し訳ないが、これがアンティキティラ島の機械の展示

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ツボもある

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ツボは多い

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半獣神パン

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アルカイック・スマイル

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先ほどは失礼しました、アリストテレス大先生

 

博物館を出て、ホテルのロビーでしばらく待機していたら、スマホの電池が20パーセントであることに気がついた。もしバスに充電がなかったら、これは困ったことになる。明日はホテルに泊まらないからである。そんなことを考え始めたときから、私の胸多くのもぞもぞは激しくなった。それは緊張にも似ていた。周りにいた人たちは誰もいない。このまま私は、無事イスタンブールまでいけるのか。いつもだったら、これくらいが心地いいと開き直れる孤独感と不安感が、どうも看過できないもののように思い始めた。

バスターミナルも、不安材料だった。当然ターミナルがあると思っていたら、バスターミナルはなく、バス会社のオフィスからバスが出るという。しかもそこに行ってみたら行ってみたで、みんなブルガリア語を話している。ずいぶんとディープなバスに乗ることになったものだ、とはじめのうちは面白がっていたが、時間になり、手続きを済ませ、バスに乗ると、ブルガリア語を介さないのは私だけなのでは?と不安感が鎌首をもたげた。

外国に来て外国語しか通じないなんていうのは当然であって、特に不安材料では無い。だが、ギリシアは英語がかなり通じたこともあって、私は突如として孤独に苛まれた。苛まれた、という表現が最も適切である。突き落とされたと言ってもいい。一度こうなると、人は不安材料を探し始める。国境審査で捕まるかもしれない。トルコで会う友人のために買ったワインで引っかかるかもしれない。いや、もうこうなるとソフィアにすらつかない気がする。そんな時、誰もそばにはいないまま、私は一人、誰にも見つからず、ひっそりと死んでしまうのだ。寝ようと思っても、膨れ上がる不安感と孤独感は抑えようがなかった。どうした私、今までこれくらいのことはくぐり抜けて来たろう、などと意見してみても、胸の奥のもぞもぞは、もぞもぞもぞもぞとして、私を不安の地底からすくい上げるのを拒んでいた。助けてくれ、誰か来てくれ、一人にしないでくれ、助けがなくってどうしてここからイスタンブールまでいけるというんだ! 心のうちはさながらビートルズの「HELP!」だった。