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旅、映画、食べ物、哲学?

殺伐とした叡智の町〜ソフィア①〜

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バスを降りた瞬間、違う世界にいると悟った。まず空気が違う。突き刺すように朝の空気は寒い。ギリシアの暖かい気候とは違う。それに、バスターミナルのカフェテリアのおばちゃんは無愛想で、英語が通じない。そんなことは当たり前である。ここは英語圏じゃないし、旅行者にいちいち愛想よくなんてできない。非常に当たり前だ。だが一度ギリシアになれると、少し寂しさも覚える。そんな寂しさ自体が間違っているというに。

「バルカンチャイ・モーリャ(バルカンティーをください)」と昨日覚えた当地の言葉でオーダーすると、ティーバッグはセルフサービスらしく、お湯の入ったカップが渡された。

「メルシー」この国では、ありがとうはフランス語と同じである。「ブラゴダリャ」という単語もあるが、あの時はついぞこの言葉を覚えられなかった。トルコやイランでもメルシーは使うらしい。やはり、そちら側に片足突っ込んだってわけだ。

 

私の予想に反して、バスはなんのことはなくギリシアブルガリアの国境があるプロマホナスを通過した。国境管理のおじさんがやってきて、私のパスポートを受け取ると、スタンプを押す仕草をして去っていった。しばらくしてパスポートは返され、バスは先へと進んだ。どうやらEUの人はIDカードの提示だけでことが済むらしい。いっそシェンゲンに加盟しちゃいなよ、とも思うが。

バスは国境地帯を進んだ。だがいつまでたってもブルガリア側の検問につかない。どうしたものかと寝ぼけながら窓の外を見ると、カジノが乱立しているのが見えた。国境にカジノ?変なところだ。だが、カンボジアとタイの国境にもカジノがあると聞く。しかし国境上にあったら誰が管理するというのだろう。などとあれこれ考えていたら、私はいつの間にか眠り込んでしまった。どうせ、ブルガリア国境に着いたら誰かが起こしてくれるだろう。だって、入国できないのだから。

目覚めてみると、空はまだ明るくない。しかし、ブルガリアの入国審査は良いのか。不安が募る。窓の外を見ていると、不安はかなり増大した。というのも看板の文字がキリル文字で、「София(ソフィア)」と書かれていたからである。地図によれば国境からソフィアまでは遠い。随分ときてしまった。そうこうするうちに、バスはもう街中に入っている。太陽も登りつつある。私は不法入国者になってしまった。入ることはできたが、これでは出る際に困る。なんとかなるような気もしつつ、不安で不安できがきではなかった。

もしや、と思い、パスポートを見てみる。すると、かつてヨーロッパに行った時のスタンプの下に、ものすごく薄いスタンプが確認できた。よーくみると、ブルガリア。そうか、さっき出国と入国のスタンプを一気に押したのか。なんだよ。ただの勘違いである。だが、ひとまずよかった。私は一人、ニヤリとした。そりゃそうだ。そんなにガバガバなはずはない。

 

というわけで、冒頭に戻る。不法入国騒動ののち、私はターミナルで本格的な夜明けを待った。それで、バルカンティーなるものとクロワッサンを購入し、朝ごはんとしたというわけである。ちなみにこのバルカンティーは、ハーブティーが嫌いな私が飲んでもかなり美味しかった。体の芯から温まった。なお、配合はわからない。

バスの中には充電用のコンセントがあったのだが、さしてみても、充電されなかった。バスターミナル内も、コンセントは軒並み勝手に使えない様になっており、充電は不可能である。ということはつまり、私はこの1日を充電20パーセントのスマートフォンと共に過ごすということを意味していた。むろん、そもそもWi-Fiも無いし、スマートフォンなど見れないくらいがちょうど良い。だが、ソフィアについて何も知らなかったので、やはり少々不安は伴う。

ただ、アテネで別れた友人が、アテネに来る前にソフィアにいたので、情報を聞いていないことはなかった。例えば、公共交通機関の一日券の買い方、使用法等はわかっていた。また充電があるうちに、と、アテネで事前に、ソフィアの中心部はどうやら「セルディカ」という駅にあるということも調べていた。バスターミナルから駅までは非常に近いこともわかっている。とにかく、やってみるしかないだろう。

 

私は日が昇りきったことを確認すると、外に出ることにした。だがその前に野暮用をすませねばならない。イスタンブール行きのバスのチケットを購入するのだ。私はターミナル内をウロウロしたが、どうもバスのチケットは見当たらない。これは聞いてみる他ない。私はインフォメーションセンターへ行き、英語は話せるかと確認を取った上で、イスタンブールのチケットがどこで買えるかを聞いた。

「ここでは無理よ」とおばちゃんがむすっとした顔で答える。

「じゃあどこで…」

「あっちにある国際ターミナルで買って」とおばちゃんは窓の外を指差した。ギリシアからのバスが着いたくせに、ここは国際ターミナルではないという。なかなかこの国は曲者かもしれない。わたしは仕方なく隣にあるターミナルに向かった。

そのターミナルは国内線のものとは違い、屋外にある。屋外に面してずらりとバス会社のオフィスが並び、そこでチケットを買うというわけだ。事前情報では、メトロビュスともう一つの会社が出てきたが、トルコのバス会社として有名なメトロビュスにしておくことにした。

 

市内に出る前に、バッグを預けよう、ということで、私は駅の地下にある預かり所へ向かった。まだ朝早いからか、駅は閑散としていて、地下は特にコンクリートむき出しの、殺伐とした雰囲気だった。これが東欧か。南欧が懐かしい。私はドギマギしながら一箇所だけ上がるかなっている荷物預かり所の中に入ってみた。

「ドーブロー・ウートロ(おはようございます)。英語は話しますか?」

机のところに座っているのはパーカーのフードを被ったひょろりとした若い男性だ。その風貌は、すこし、「トレインスポッティング」に出てきそうな感じであり、若干怖かった。いや、怖い、というか、なんとなく、フーリガン風なのである。

「話しますよ!」予想外に気さくにこの男性は言った。

「荷物を預けたいのですが」というと、紙に名前を書くように言った。私は二つ荷物がある、と言い、背中のリュックと、ワインやらなにやが入った袋を出した。

「その袋をリュックに入れられないすか?」と彼はいう。ワインが心配だった私は、

「無理ですね。」と答えた。すると、

「一つにしたら一つ分の料金にできるんすよねぇ」と彼はいう。なんだ、めちゃくちゃいい人ではないか。私は表情を緩めた。

「でもちょっと入らないですね」

「そうかあ。それでも平気っすか?」

「大丈夫です」

というわけで、二つ預けることにした。私が書類にサインをしていると、

「どこの出身すか?」とお兄ちゃんが聞いてきた。

「日本です」

「日本?やっぱりね。そう思いましたよ。実は俺の従兄弟は日本人と結婚したんすよ。だから、俺にはわかるんす」とお兄ちゃんはいう。日本人と結婚か。それは随分とすごい偶然だ。

「日本に行ったことは?」と尋ねると、

「いや、それは流石にないっす。行ってみたいすけどね」と答えた。私はにっこり笑って、

「ぜひ来てくださいよ」と言った。

ブルガリアもいいとこなんで、楽しんできてください」とお兄ちゃんは言った。

「ブラゴダリャ!」私はなんとかして覚えた「ありがとう」と言う意味の単語を披露した。お兄ちゃんは爽やかに笑っていた。

 

地下鉄の駅で殺伐としたおばあさんから殺伐とした一日券を購入し、殺伐としたホームへと向かった。目的地はソフィアの中心地があるセルディカ駅だ。セルディカまでは、そんなに遠くはない。はずだ。

アテネでの失敗を踏まえ、私は扉の前を避けて、壁を背にしてたった。どうやらそう言う事件は起こりそうもなかったが、念には念をである。アナウンスで聞こえてくる言葉は、ロシア語のような響きである。文字もロシアと同じ文字であるし、ロシアにどことなく似ているのかもしれない。だが、歴史的にはブルガリアの方がビザンツ帝国と早くから関わりを持っており、むしろ、ロシアがブルガリアに似ているといえよう。

 

セルディカ駅には壺やら何やらが陳列されていた。後で知ったのだが、セルディカというのは、ソフィアの町の原型になった町で、その起源は古代ローマ時代にまで遡るという。その後、セルディカはビザンツ帝国ブルガリアとの最前線になった。今やそのブルガリアの首都なのだから、少々皮肉な話である。不名誉な形ではあるが、マンツィケルトの戦いでセルジューク朝と戦い、破れて捕囚となったことでよく知られるビザンツ皇帝ロマノス4世ディオゲネスは、もともとこのセルディカ長官として名を成したらしい。

駅を出ると、目の前には本物の遺跡が広がっている。広がっているというか、駅の前のスペースがそのまま遺跡である。レンガの並べ方はローマ式で、細長いレンガがどでかいセメントを支えている様な形である。だが、使う石が違うためか、ローマで見たものとは色が若干違う。ちょっと白めである。この遺跡は、調査が終わっている様で、今では市民に開放され、昼になると子供達も遊んでいた。

よく考えると、ローマ、ナポリ、バーリ、アテネと、遺跡を回ってきた。セルディカが遺跡だと柱なんだが、これもまた何かの縁である。面白いものだ。

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セルディカ

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共産党本部とのこと。

 

駅の外に出たら、正面には共産圏らしい高い塔を備えた建物、左にはモスク、右には正教会と、豪華な風景が見えた。わたしはひとまず、ツーリストインフォメーションを探し、地図でも入手しようかと考えた。スマホの電池が瀕死の今、グーグルマップを使うなんていう贅沢はできない。だが、この、ツーリストインフォメーションが見つからなかった。街中にある地図をたどっていくと、明らかにツーリストインフォメーションではないところに誘導される。辺りを見回してみても、ファーウェイとマクドナルドしか見当たらない。私は諦め、とりあえず教会に入ってみることにした。

教会はアテネで入ったものと比べてかなりでかかった。中の天井もかなり高い。しかし、正教会正教会である。作りは同じで、要所要所にイコンが置かれ、参拝者はそれぞれのイコンに十字を切り、キスをして回っている。そして幸運なことに、入った時はミサの最中であった。噂に聞いた通り、正教会のミサは音楽を演奏せず、声だけで歌を歌う。それも、そこにいる全員が、暗唱をする。カトリックプロテスタントと違い、椅子の並んでいるところに立っているのではなく、とにかく、いろいろなところに人が立って歌っているから、さながらフラッシュモブである。

以前カトリックの教会でも同じことを思ったが、皆が歌えるという状況は、歌えない人間からすると非常に驚かされるものがある。おそらく信者にとっては普通のことなのだろう。だが、みんなで歌える、暗唱できる、ということが持つ意味は大きい。教会は信仰の場であるとともに、やはりコミュニティーであり、だから、皆が一つのものを歌うことができる。信徒とは、コミュニティーの一員であらざるをえないのである。

歌声は背の高い天井を伝って、響いていた。宗教施設は、神がいる感を見せなければいけない。しかしこのミサを見ると、この教会に神がいるというより、みんなで神に歌声を届けている施設の様である。これもまた、一つの宗教施設のあり方だ。

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教会と山

 

教会を出た後、街中はがらんとして殺伐としているので、今度モスクに行くことにした。なんだか節操がない様だが、そこにモスクがあったのだから仕方ない。

説明書きをみると、このモスクはオスマン帝国時代に名匠ミマール・シナンが建てたらしい。彼の作品はトルコに行ってから見ようと思っていたので、思わぬところでフライングシナンである。確かに見た目は、由緒正しそうな、トルコっぽいモスクである。ブルガリアの宗教事情には明るくないが、今でも使われているのだろうか。

私はモスクの入り口までやってきて、そこにいたお兄さんにアイコンタクトをして、入っていいか、とジェスチャーで尋ねた。いいぞ、とジェスチャーが返ってきたので、私は扉を開け、モスクに入った。

モスクは当たり前だが非常にモスクらしかった。赤いカーペットが敷かれた部屋から天井を見ると、美しいブルーと赤の装飾が施されている。それは紛れもなく、イスラームの美だった。モスクもまた、神がいる場所ではない。神がいそうな場所でもない。あそこは神と自己に向かい合う場所である。そういった意味で、なんとなくアジア的だし、そういった意味で、美しいのかもしれない。街の喧騒とは違う世界をそこに置くことで、神以外のものから切り離されることができるのかもしれない。

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モスク

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モスクを出ると、そばに博物館があることに気づいた。しかし、私はあまりお金を持っていなかったので、できるだけ無料で行ける場所に行きたかった。さて、どこへ行こうか。ソフィアに関しては情報が非常に少なく、しかも、人通りが少ないため、どうしたら良いのかがイマイチ分からなくなる。

少し歩くと、市場があるという建物の前にやってきた。だが、なんとなく敷居が高く、通り過ぎてみる。するとシナゴーグがあった。教会、モスクときたらシナゴーグだ。私は意気揚々とシナゴーグへと向かったが、あいにく定休日らしい。仕方なく、市場に入ってみることにした。

市場はもちろんアテネの活気はなく、やはりどことなく殺伐とした空気が漂っていた。しかし独特な食べ物の匂いを嗅ぐと、ここにも人が生きているんだという当たり前のことを気付かされ、こちらも少し元気になった。地下に行くと、薄暗い食堂がある。若干ハードルは高いが、こういうところはきっとやすいだろうから、昼に来てみよう、と考え、ひとまず外に出た。

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市場の中

さて困った。次は何をすればいいのか。思いついたのは、事前に調べた時に出てきた、共産時代の文化宮殿という建物である。いっちょそこまで行ってみようか、と私は歩き出すことにした。空気はピリッと涼しい。