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旅、映画、食べ物、哲学?

イスタンブル・マジックアワー

世の中にはたくさんの街があるが、それぞれの街にはめいめいの時刻があると思う。つまり、その街が最も美しく見える時間帯のことである。

例えば、ハノイは朝が美しい。朝もやがかかったホアンキエム湖、立ち上る湯気に感じるフォーのにおい。人々の活気も、朝早くから始まる。以前ハノイの旧市街の中心部に止まっていたことがあったが、朝六時きっかりに、窓の外から聞こえてくるクラクションで目を覚ましたものだった。クラクションは、あの街では、人間の象徴だった。活力の象徴だった。ぐったりとベッドに横たわる旅人に、ハノイの持つ独特の活気を、注入してくれるのがクラクションである。

あるいは、台北の華は夜に咲く。街に灯りがともると、どこからともなく人が集まってくる。それは、ハノイと比べれば多少閑散とした感のある朝とは大違いである。まるで文化祭のような光景が、毎日台北の夜市では繰り広げられ、市場から離れても、ネオンとバイクが夜を演出していた。

そんなふうに考えた時、イスタンブルは夕暮れ時から夜にかけての街だと思う。

 

私は二度イスタンブルに滞在したが、泊まるのは新市街だった。新市街というと、ヨーロッパやカナダでは「風情がない方」という感じがするが、2500年もの歴史に彩られたイスタンブルでは、新市街は「たったの1000年ほどの歴史しかないひよっこ」程度の意味であり、日本でいうと鎌倉くらい古い。しかも、新市街はジェノヴァ人などのヨーロッパ勢力の居留地だったので、建物的には、ヨーロッパの旧市街といった雰囲気を放っている。

新市街を選んだのは、夜遊びのためだった。新市街には、イスティクラール通りという道があり、そこは不夜城の様相を呈した場所であった。日本の夜11時くらいの人通りになるのが午前2時くらい、といった感じである。

私の目当ては、その道を少し外れたところに乱立している「テュルキュ・エヴィ(Türkü Evi)」と呼ばれる店だった。英語に訳せば「ソング・ハウス」とでも言えようか。偉大なる『地球の歩き方』では、「民謡酒場」と呼んでいる。小さな店に、ステージがあり、そこに歌い手が座って、トルコの伝統的な旋律の歌を歌い上げる。客はビールや、トルコの蒸留酒ラク、あるいは水タバコを片手にその音楽を聴きながらおしゃべりをする。それが、私の見たテュルキュ・エヴィだった。

そんな店で夜更かししたければ、やっぱり新市街に泊まるしかないだろう。そういう算段だったのである。だが、新市街の真価は夜だけではなかった。夕暮れ時にもまた、輝きを放っていたのだった。

 

初めてイスタンブルへ行った時、私は夕日で照らされた新市街の町並みを見た。新市街のシンボル的存在、ガラタ塔はオレンジ色に染まり、ヨーロッパ風の建物もオレンジと哀愁を放っていた。イスティクラール通りに乱立するお菓子屋からは甘い香りが漂い、有名なトルコアイス屋は客寄せに、棒でバットか何かをカチャカチャカチャカチャと叩いている。街は活気と美しさと哀愁を放ち、道を歩く私もまたそこに包み込まれる。

新市街を離れ、ガラタ橋を通って旧市街へ向かうと、その美しさはより力をます。海が色づくのだ。海、空、そして街が、甘いオレンジ色になる。橋から釣りをする親父さんたち、船、かもめ、そして旧市街で等間隔に並ぶモスクの影が唯一のコントラストだった。

イスタンブルは、甘い香りに包まれていた。比喩ではない。多分お菓子屋さんが多いからだろう。しかしそれが夕暮れの中となると、より甘く、とろけるような香りになるような気がした。そこには、少しばかりの哀愁と、まるで時がそこで止まったかのような雰囲気がたたえられていた。

 

なぜイスタンブルに夕日が似合うのかというと、それは案外単純な理由があるのかもしれない。

イスタンブルは、坂道が多い街である。海に突き出したゴツゴツした岩場がそのまま街になったような形状だからかもしれない。イスティクラール通りからガラタ塔に行くためには坂を下りるし、港があるエミノニュ界隈からグランドバザールに行くには、坂を登る。トプカプ宮殿やスュレイマニエモスクはびっくりするくらいの高台にある。ローマは丘の街だ、七つの丘がある、などというが、「新しいローマ」たるイスタンブルの方が体感的には丘の街である。

そうすると、建物が斜めに立つことになるだろう。そうなると、夕日が差し込みやすいのではないか。街の建物は、日陰になるよりも、夕日に染まることになり、街全体が夕暮れそのものに包み込まれる。だから、イスタンブルは夕暮れ時が似合うのである。

 

だが、夕暮れが湛える哀愁は、そんな物理的理由だけではない。これは口からでまかせだが、イスタンブルは常に、夕暮れをとどめた街だったと言えるかもしれない。ローマ帝国の夕暮れ時に都となり、その後、夕暮れ時をそのまま維持し、夕暮れの光を黄金にした。オスマン帝国は日の昇るところ(オリエント)の国として大国にのし上がったが、夕暮れきらめく時代に、文化を爛熟させた。その、この街の、永続する夕暮れは、首都の座をアンカラに持って行かれたあとも、沈んではいない。建物にはそんな歴史が染み込んでいる。細かな装飾は黄金に輝き、その黄金が、夕日にきらめく。ガラタ橋がかかる入江は、金角湾。夕日の金が煌めいている。

 

夕日が一度沈めば、街は新たな活気を手にする。イスタンブルの夜は、まるで昼である。人通りは増える。客引きも増える。いつでも、ラマダーンの夜、イフタールのように、一仕事を終えた人たちが日々の喜びを得ている。ヨーロッパではああはいかない。日本でもダメだ。イスタンブルの夜の活気はどこかこう、健全である。休日の昼間をそのまま、毎日行っているみたいなのである。

 

だから、イスタンブルは、私の中では間違いなく、夕暮れから夜にかけての街だった。甘く、悲しく、楽しい、夕暮れから夜にかけての街だった。

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