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旅、映画、食べ物、哲学?

絵を描くということ

絵を描くのは小さい頃から好きだった。小さい頃に習っていたピアノなどとは違い、教わることもなく、義務に成り果てることもなく、私は絵を描くのが好きだった。だからほとんど、描きながら、試行錯誤しながら描いていくというスタイルである。

私は基本的に何かを模写するということをしたことはあまりなく、私にとって絵はメモ書きのようなものだった。例えば、『シャーロックホームズ』シリーズを読めば、そこに出てくる登場人物を描く。また、歴史の本を読んだら、歴史上の人物を描く。あるいは、自分で小説を書いていた時、もしくは、書こうとプロットを練っている時は、登場人物や、そこに出てくる小物や建物、地図などをちょっとした紙に描く。

そう言った感覚だから、私にとって絵を描くことは日常に埋もれた活動でもあった。

 

だが、最近になって絵を描くための勉強のようなものを始めた。音楽の勉強が思ったよりも面白かったからである。なら、むしろ私の「畑」ともいえる絵も学んでみようじゃないか、と。

最初に手を取ったのは、意外にも、全くやったことのない、水墨画の本である。単純極まりない理由だが、少し前に家族で山梨の昇仙峡へゆき、こういうところでさらりと水墨画を描き、漢詩を読んでみたいな、という手垢に塗れて陳腐な欲望が湧き起こったからだ。だが、西洋の技法も興味がある。私は解剖学を用いたデッサン法の本を買ってみた。

このチョイスが、なかなか面白かった。というのは、「絵を描く」ということが洋の東西でどう異なるのか、まざまざと見せつけられたからである。

 

人は何を描くのか。そしてなぜ、描くのか。

漠然とではあるけれど、そのテーマにはちょうど関心を持っていたところだった。それは、私が偶然立て続けに読んだ二つの本の影響である。一つは原田マハの『楽園のカンヴァス』。もう一つはオルハン・パムクの『わたしの名は赤』。これらはともにミステリ形式であり、ともに謎の根幹に「絵を描く」という営みの意味が据えられていた。前者は20世紀に先駆けた早すぎる天才ルソーの創作活動に、後者は17世紀オスマン帝国で細密画と呼ばれる絵画を描いていた宮廷画家たちの活動に主眼を置くという違いはありながらも、である。

 

『楽園のカンヴァス』と『わたしの名は赤』には共通して語られる言葉がある。それは「永遠」だ。

『楽園のカンヴァス』の中で鍵となるのは、絵に描かれることでその人が永遠の存在となると言うことだった。物語のクライマックス、ルソーが自分が恋する一人の女性を絵に描くことで、彼女は彼の永遠の女神となる。そして彼自身も、その絵画の中で彼女とともに永遠に生きるのだ。だが、それは「永遠」という言葉が想起させる静謐なイメージとはことなり、「情熱」によるものなのだ。ルソーの情熱の結実が、絵画となる。

これがどちらかと言えば現代の絵画に特有なありようだとすれば、パムクが描くオスマン帝国の絵画のあり方は異なっている。

 

イスラームを信奉するオスマン帝国では、人間のありとあらゆる活動がイスラームと関わりを持っている。絵画芸術もそうである。絵師は最後の審判の日に神の御前で「お前が描いたものを出してみよ」と言われ、それができなければ地獄の業火で焼かれる……イスラームにはそうう言う伝承がある。これは人間如きが何かを創り出すのはあってはならないことだ、という価値観によるものだ。ひょっとすると自分たちがやっているのは禁忌にあたるのではないか、という疑念と恐怖心と隣り合わせの営みが絵画芸術なのだ。だから絵師たちは、自分たちの芸術は「神の眼」を通した完全な世界を描くものであり、人間による「創作」「創造」ではないと考える。その完全な世界こそ、「永遠」なるものだ。

細密画。細密画で検索してもらえればわかるだろうが、現代の西洋化された私たちの目でみると、どうも稚拙な絵画にしか見えない場合がある。人々の顔がなんとも言えない素朴なタッチで描かれていたり、遠近法も何もなく、べたべたっといろいろなものがいろいろなサイズで描かれている。だが、こうした描き方もまた、「神の眼」と強い関わりを持っている。

オスマン帝国の君主の顔はきちんと描く必要があるが、そうではない一般人をも同程度の描き方をするのは、むしろ神がお与えになった秩序を乱すことになるから、「モブキャラ」はモブキャラのタッチで描く。神は一点から世界を見ているわけではないから、遠近法は使わない。遠近法というのは、あくまで「人間の眼」を通した描き方にすぎないのだ。

だから、細密画が描くのは、「神が創造した完全な世界」であって、現実世界ではない。それはむしろ見せかけであり、その向こうにある永遠を描くのが絵師の仕事なのだ。そしてそれには、画家の「技法」、つまり、その画家に独特なタッチや斬新さなどは無用だし、むしろ害にもなる。なぜなら、神の完全な世界に異物が入り込むからだ。パムクの小説の中では、こうした考えをめぐり、西洋絵画全盛期のオスマン帝国の画家たちの間に巻き起こる不協和音が描かれる。

 

西洋式の絵の勉強、特に絵画のための解剖学の本を開くと、ルソーの絵とも、オスマン帝国の絵とも少し違う価値観が見え隠れしている。それはつまり、絵画を描くということは、一にも二にも、「観察」だ、ということだ。

レオナルド・ダ=ヴィンチやミケランジェロが解剖学に精通していたのは有名な話である。そして、特にレオナルドは科学者としても知られている。デッサンの手法は、むしろ科学に近いものだ。目の前にあるものをきちんと観察すること。そこに尽きる。

だが、誤解がないように付け加えておきたいのは、それは必ずしも、全く動かないものをただ模写すると言うのとも異なる、ということだ。例えば人間を描く場合、デッサンは人体の流れを意識しなければうまくいかない。筋肉はどの方向へ流れを持っているのか。そして、もっと言えば、人体が動く場合、その人体の動きの流れはどうなっているのか。そうしたことを観察によって捉えて、動く人体を描くのである。

こうした科学的な方法はいわゆる「印象派」になっても実は変わらないと思う。というのも、印象派というのは光の科学だからだ。光を観察する。色を観察する。そこから印象派の態度が出てくる。そこにはやはり常に、「観察」がある。

 

一方で、水墨画になってくると、またもや全く違う考えが登場する。それは、観察よりもむしろ心を重視する姿勢だ。水墨画は禅の修行と強く関わっているようで、観察によって作品を描くと言うことよりも、精神統一の意味合いが強いらしい。だから、大きく描いた円ひとつでも水墨画たりえるし、仙涯義梵のように素朴な瓢箪のようなおじさんが指を刺しているのも絵となる。

まあ以上は極端な例だが、雪舟のような写実性が高い作品でも、そこには心が写っている。タッチも繊細なもの、大胆なもの、掠れたもの、それはその情景に映る心によって使い分ける必要がある。そのため、入門書を開くと、線の種類、筆の面の使い方、などは出てくるものの、西洋のスタイルのものよりも、観察を強調しないように思う。

 

絵画は世界中に存在するが、こんなにも、色々な考えのもとに成り立っているものであるようだ。もちろん、これらは相互作用しあっている。観察に基づく印象派も、後期になってくると日本のスタイル(水墨画というより浮世絵だが)を取り入れるようになるし、逆に葛飾北斎などは西洋の遠近法などを積極的に取り入れている。イスラーム世界でも、西洋画の様式を取り入れようとした人たちもいた(パムクの小説にも登場する)。例えばインドのムガル帝国の細密画は、オスマン帝国のそれよりも、写実的なような気がする。

そのようなことが起こり得たのも、違いはあるものの、絵を描く、と言うことに、何か共通の精神性があったからかもしれない。つまり、情熱を持って永遠を作り出すにしても、現実の世界の向こう側にある永遠で完全な世界を描こうとするにしても、観察に基づき現実世界を捉えようとするにしても、そして精神統一によって風景の中に感情を捉えるにしても、相手にしているのはこの世界だということだ。

絵を描いてきた人々は、この世界を絵という形で表現しようとしてきた。絵で自らを表現する画家は、自分=世界を絵画に結実させるし、世界そのものを描こうとする場合もそうだ。この、世界を表現したい、という欲求は、不思議と強いもので、人間にとっては大きな意味を持っているに違いない。だからこそ、絵画を描くということに固執する人々がいる。だからこそ芸術が生まれる。面白いものである。絵画の技法とはそのために先人たちが試行錯誤する中で蓄積され、次の人々はそれを学び、手がかりを掴み、最後には破り捨てて、自分たちなりに試行錯誤をする踏み台とするためのものだ。

 

通勤途中、決まった場所で私は写真を撮っている。色の違いを見るためだ。面白いことに、晴れた日、曇った日、雨の日、寒い日、暑い日、などで草や水の色は全く違う。描いてみようとバッグにはスケッチブックを入れているが、自分の頭の中のものしか描いてこなかった私はなかなか取り出す機会に立ち会えないでいる。でも、間違いなく、絵を描くのは面白いものに違いないはずだ。

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