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旅、映画、食べ物、哲学?

街の荒野で 〜霜月江戸前一巡道中・其二〜

イカレーを食べて、無知の無知から来たエゴの精算にかかる。一号線をそれて、私は一路品川へと向かうことにした。現在地は五反田。そこから品川に行くには、五反田駅のすぐそばを流れる目黒川を下ればいいようだった。

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目黒川。川を下る船は休業中。

ハイソな雰囲気が漂う集合住宅のど真ん中を川は突っ切っている。談笑するマダム、遊具で遊ぶ子供たち、スーツ姿のビジネスマン。日常の一コマが、曇ったグレーの空には裏腹の、花見の空気感の下に繰り広げられている。歩いていた時は気づかなかったが、後で高級タワーマンションを紹介している番組でこの辺りが出てきたから、もしかすると、想像していたよりもっともっとハイソ、ハイヤーソの空間を突き進んでいたのかもしれない。いずれにせよ、目黒川の周りはシャンパンのような軽やかな雰囲気があった。

だが、川沿いの並木道を歩いていると、徐々に裏寂しい感じになっていった。空もグレーなら、川もグレーだ。川が予想以上に長かったからかもしれない。タイ料理屋から出て、もう三十分が経っている。するとおそらく、2キロほど歩いている計算になる。足もだんだん重くなってくる。天気もますます悪くなってくる。

それでも先へ進もうと足に力を入れて、歩みを進めると、開けた場所に出る。もはや人間の住む団地ではなく、団地は団地でも、工業団地に突入したようだ。束をなした太い線路と車庫、そして広大な製紙工場がその団地の支配者である。煤けた空と無機質な工場は異様なほどマッチしていて、そこでは全てが灰色になっていた。敷地の広大さに、自分の小ささを感じつつ、「この道を歩いていていいんだろうか? 立ち入り禁止とかではないだろうか?」と不安に駆られながら、私はなんとか、品川がある方へと歩いていった。

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ついに迷ったかもしれない。

広大な建物が並ぶ地帯は、ほとんど砂漠のようなもので、右も左もあったもんではない。私は胸のあたりがキュッとなるのを感じた。うるさい、武者震いだ。私は無理を言って、気を確かにするべく、狭い路地へと入り込むことにした。

 

狭い路地をしばらく歩くと、私のカンは当たっていたことがわかった。路地の向こうに商店街を示す看板があり、そこには「品川銀座」の文字があったからだ。とりあえず、「品川」と呼ばれる界隈に入ったことは確かである。雲行きは怪しいが、私の心は晴れた。

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品川銀座を抜け、大きな通りを渡って、さらに古くからありそうな住宅地を進む。やっぱり、狭い道の方が性に合う。ひょっとすると、ハノイや、パリや、イスタンブルが好きなのは、そんな些細な理由があるからかもしれない。もちろん、それだけではないけれど。そういえば、道が馬鹿みたいに広いモントリオールではちょっと気が小さくなった時があったな。そんなことを思いながら、古い蕎麦屋やそういった店を横目に進む。

そうこうするうちに、私はやっと「旧東海道」にたどり着いた。開始から四時間ほどたって、やっと東海道についたわけだ。そう思うとちょっと馬鹿げているようにも思うが、往々にしてこんなものなのだ。頑なに一号線が東海道だと信じているうちは、気づくはずもないのである。

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そこ、南品川商店街は「旧東海道」として売り出しているようだった。品川宿は江戸時代の東海道五十三次、江戸から数えて最初の宿場町だ。売り出す理由もあるというものである。元に歩いていると、新撰組が宿泊した場所の碑などがたっている。だがそれ以上に面白いのは、古い寺や、江戸時代からあったんじゃないかというような畳屋なども残っていることだ。やっと東海道と合流したこともあり、私は軽やかに、道なりに、歩いた。足の重さも消えたようだ。

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旧東海道は国道一号線ではなく、国道十五号線と並走しており、南品川商店街を含め、いくつかの商店街が連なる形で成り立っている。歩いた限りあまり飲食店はなく、日用品を売る店が多い。そして、商店街と商店街の間には、たいてい小さな川が流れている。

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はじめは心躍りながら歩いていたものの、だんだんと風景に慣れてくると足の疲れも舞い戻る。何せ天気が悪い。今にも降るんじゃないかと思っていたら降らなかったり、じゃあ平気かと思ったらパラパラっときたり。時々面白いものを見かけたり、歩いている動画を撮ってみたりしながら、気を紛らわした。

品川宿の終わりには、鈴ヶ森刑場がある。巨大な石碑が建てられ、グロテスクな文字で鈴ヶ森の名が刻まれている。ここは何を隠そう江戸時代の処刑場があった場所で、由井正雪の乱に連座した丸橋忠弥や、天一坊などの国家転覆を図った罪人や、八百屋お七などがここで処刑されたという。東海道を京都を背にして考えれば、品川宿は江戸への入り口だから、見せしめであった。グレーの空がその陰惨な雰囲気を増幅している。講談で畔倉重四郎が元々仲間だった火の玉の三五郎を殺害したのはこのあたりではなかったか。

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その鈴ヶ森刑場を本を片手に熱心に見ている男性がいた。私が鈴ヶ森に着く前にさーっと、すごいスピードで歩いていったが、方向からして、私と同じ、東海道を令和になって歩こうという酔狂な輩に違いない。私はその背中に、心の中でエールを送った。

 

鈴ヶ森の先で、東海道は国道十五号線と合流する。

そして間も無く、品川区から大田区へと入ることになる。大田区と言えば、神奈川県と接している区だから、ついに東京都の領域も先が見えてきた。だが油断はならない。大田区というと、東京都二十三区面積ランキング一位である。もちろん、その中を占める人工島や羽田空港の割合は大きいが、それでも十分大きい。先はまだまだ長いのだ。

国道十五号線は、国道なだけあって道幅が広かった。巨大なマンションや集合住宅がそびえ立ち、車を運転する人向けのファミリーレストランやガソリンスタンドも並んでいて、いわば現代の宿場町の様相を呈している。

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ふと標識に目をやると、「横浜まで18km」とある。虎ノ門の辺りでは30kmだったものが、もうあと少しで半分だ。ちょっと気が楽になる。まだ半分以上あると思うと、切迫感もあるが、そこまで歩いてきたのだという自信も湧く。なんにせよ、無理だと思えばリタイアすればいいのである。江戸時代の日本でも、古代ローマでも、街道沿いに一里塚が置かれていた理由がわかる。自分の位置を確かめて、息抜きするためにあるのだ。

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これもなかなか指標になる。

長く真っ直ぐ続く殺風景な道をひたすら歩く。街も人も車もいるのに、何だか荒野にいるみたいだ。江戸時代にはきっと、文字通りの荒野だったのだろう。そうでなかったにしても、きっと田畑だけが広がっていたに違いない。宿場と宿場の間に何があるかを、安藤広重も教えてはくれない。

平和島を越え、貝塚があったという大森を越え、一体どんな屋敷があったのかもわからない梅屋敷を越え、蒲田へたどり着いたときには、足が棒というか、足の裏がヒリヒリするというか、何だか気も滅入っているというか、とにかく自分が小さくなっていくような気がした。曇天に、アスファルト、時々さらりとやってくる小雨。

「どうしてこんな馬鹿げたことをしてるんだ? なぜ自分で自分の首を絞めているんだ?」

そう、私はふと思った。今までにない感情だった。そうこうするうちに蒲田駅が現れた。

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「電車に乗って横浜に直行するか?」

蒲田駅が誘惑する。どでかくて、湘南のほうにある綺麗めな駅のような見た目の京急蒲田駅は悠然と経っている。

「疲れているんだったら、何も完遂する必要はないじゃないか」

私は駅に向かう通路を登った。歩道橋のようになっている。天辺まで登り、真っ直ぐな道を見つめて、私はもう少し歩くことにした。あきらめるならせめて東京都を抜けてからだ。時刻も15時。まだまだだ。だけどちょっと休憩を挟もう。私は京急蒲田にあるタリーズ・コーヒーに駆け込んだ。

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一休み。