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旅、映画、食べ物、哲学?

一号線を「南下」せよ 〜霜月江戸前一巡道中・其一〜

東京湾を一周してみよう、と思いたったのはいつのことだったろう。

私にとって旅することは、一種の薬のようなものだった。疲れを取る薬では無い。好奇心を満たすためだけでも無い。好奇心に関してはそう言う側面もある。だが、私にとって旅することは、なんというか、生きていく上で欠かせないことになっていた。私が元来持っている弱い部分とか、閉じた心、曲がった心と対峙する場であった。つまりは、自分を見つめ直すことだった。だが状況がガラリと変わってしまった。

どうにもこうにも、にっちもさっちもいかないし、いっそのことどこかへ行こうと思っても、最近じゃ国外へ行くこともままならない。国の外、自分の母語が通じない世界、だからこそ自分が引きずってきたものを一旦捨てられる場所が好きだったから、「じゃあ国内で」と言われても気持ちが乗らなかったし、そもそも気乗りしない状態で無理やり行動する元気は満に一つもなかった。だから、「東京湾一周」を思い立って、行動にまで移せた、というのは、私の心の中でのごたごたが一旦落ち着いて、それでいて、どうにかしなければいけない、と言うふうに考えられるようになったということである。

だが、ただ電車でぐるりと1日もかけずに東京湾をまわっても面白く無いし、そんなことしたって、私が今望んでいることにはならないだろう。だから私は歩くことにした。最近落語や講談を聞くようになった影響もあるかもしれない。江戸時代の人は江戸から旅に出るときは基本的に歩いている。それがどんなものか知りたい。その願望は昔からあった。だから、今回は、とりあえず横浜まで歩いてみようと言う気になった。使う道はもちろん、「東海道」。『東海道中膝栗毛』や「東海道五十三次」で知られる、あの「東海道」だ。

 

かくして私はこの旅を決行したのだ。

いつものようにスポティファイで落語を聞きながら、私の自宅がある武蔵国国府周辺から江戸まで「つーっと」中央線に乗る。神田で乗り換え、向かうは日本橋、である。そう、東海道の起点だ。

とはいっても、今回は急を要したので、正直何も調べていない。ただ、なんとなく記憶にある「東海道は現在の国道一号線」という情報だけを手に旅をスタートさせた。ところが、いざ日本橋についてみると、「国道一号線」がわからない。

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日本橋には「道路原票」なるものがあった。いくつかの国道の起点だということを示すものだ。とは言っても、やっぱり一号線がわからないので、私は「中央通り」を進むことにした。日本橋を丸の内方面に渡り、そのまま「まっつぐ」進む道だ。銀座のほうに行く道だから、私も何度か歩いたことがある。左手に高島屋、右手に丸善、正面の正面は銀座、もっと向こうは新橋、と言った具合の道である。

だが歩けば歩くほど、心の奥でモヤモヤが広がっていく。本当にこれは一号線なのだろうか、と。せっかく東海道を歩くんだから、ここはやっぱりちゃんとしておきたいではないか。そこで私は、東京駅のそばにあった立て看板式の地図を見てみることにした。すると案の定、私の歩いている中央通りは国道一号線ではなかった。おもしろいじゃないか。いきなりトラブルときてやがる。私はこの状況を楽しむことにした。

国道一号線は日本橋から一度皇居(旧江戸城)方面に向かい、そこでおれて、内堀沿いに、帝国劇場や第一生命、帝国ホテルがある道と合流する。それから先は日比谷公園で堀に沿って折れる。言葉で言われてもしょうがないかもしれないが、地図をご確認いただければと思う。とにかくそんな感じなのだ。私は東海道江戸城の目の前を通るはずがないと思っていたから、一号線がそこを通っているなんて思いもしなかったのだ。実をいうと、この私のカンがあながち間違いではなかった、ということを後で気づくことになる。それはまた先のお話…。

さて、私は中央通りからなんとかして一号線へと合流する道を探り当てて、東京フォーラムの方へと向かった。日本橋まで戻るのはやめた。今、そこがどこだろうと、私が歩いている道が、国道一号線なのだ、と嘯いてみる。要するに、面倒だったのだ。これから道中長いわけだし。

そんなこんなで、私は東京駅を超え、東京国際フォーラムを突っ切って、ビックカメラ沿いに歩き、途中で厠を拝借し、皇居の方へとでた。やっとこさ、国道一号線の旅がスタートしたわけだ。

 

右手に旧江戸城、左手に日比谷公園。後ろを振り向けば、旧GHQ本部。東京の歴史を一望できる場所を抜けてゆく。日比谷公園というと、私にとってはミャンマー旧正月を祝うお祭りに行った記憶が蘇ってくる。Power to the peopleを歌うも、高い声が出ずに、途中諦めて低い声で歌い始めたミュージシャンを思い出す。爆笑してしまったが、人生においてはそう言うことも必要だ。それは勇気なのである。彼は今元気だろうか。私は今、東海道を歩くと言う究極のムリを実行している。途中で足がもげそうになったときは、彼のような勇気をもとう。

暫くすると、警視庁が見えてくる。テレビドラマで良く見る風景だ。何の小説だったか、「ショートケーキ」と形容されていた。そう言われてみるとそうにしか見えない。そんなショートケーキの向かいには、あんまり知られていないが、旧法務省庁舎がある。煉瓦造りの、明治大正の雰囲気を保つ建物だ。推理小説を書いていたとき、この建物に漠とした憧れを抱いていたのを思い出す。

国道一号線は、ちょうどその場所で内堀から逸れる。桜田通りとして、法務省と警視庁の間を突っ切ってゆく。現場と法廷を引き裂くのは国道一号線なのだ。そう言う意味で、国道一号線は大事な道なのかもしれない。だけど戯言はこれくらいにしよう。

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桜田通りこと一号線は日本の政治の中枢を突っ切ってゆく。警察、検察、裁判所を抜けると、外務省が現れる。夏の暑さを思い出しながら、外務省を横目に進み、霞ヶ関という場所の無機質さに気づく。道はとにかく真っ直ぐ進む。そしてとてつもなくでかい。ここを歩き続けていると、クネクネとした路地裏の煤けた狭くて広い世界のことなど、忘れてしまうかもしれない。

 

でかい道はとにかく真っ直ぐ進む。

霞ヶ関のカクカクした界隈を越えると、そこは虎ノ門である。虎ノ門ヒルズがそびえ立っている。だがまだ気が治らないのか、道路は至るところが工事中だ。昔散歩をしていてこの界隈に迷い込んだことがあったが、その時も工事していた‥‥桜田ファミリア。なんて馬鹿なことを思いながら、私は道を歩いた。時々、道路標識が見える。「横浜まで31km」。まだまだ道は遠い。だが、さいわい足の疲れはまだきていない。ちょっとした生活臭も残す虎ノ門は、歩いていて気持のよい風が吹く。日本刀の店、ちょっとしたレストラン。そして街路樹。

広い虎ノ門をなんとか歩ききると、急な坂道が見えてくる。どうやらここは神谷町だ。見覚えもあった。2017年にトランジットでモスクワへ行ったときのビザをとった場所だ。東京タワーに行ったことも思い出す。厳重な警備のロシア大使館の向かいにベラルーシ料理屋があったはずだ。谷へ降り、坂を登る。左手には常に東京タワーがいる。まだまだキツくはない。向かう先は芝である。

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広大な芝公園が右手に見える。何度かいったことがあったが、こんなに大きかったとは思わなかった。目の前には神谷町駅前の街がある。予報外れの晴れたそれが気持ち良い。ゆったりとビールを飲むにも良さそうだ。今日横浜にたどり着いてから飲む酒はうまいだろうなとふと思った。だけど、今よりずっと足も疲れているだろうから、すぐに回っちゃうかもしれない。飲み過ぎには注意だ。そうしないとこの旅が「夢になっちゃいけねェ」。

 

高架橋をくぐると、知らない風景だ。この先は未知の場所かもしれない。そう、心躍らせながら歩く。右手に小綺麗な公園みたいなものがみえる。左手には町中華が見える。居酒屋もある。だんだんと生活臭が強くなってくる。面白い。

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暫く歩いて気づいたのは、この界隈が三田だ、ということだ。慶應義塾大学で有名な場所である。一号線を歩いていても、不動産屋や中華料理屋があって、学生街なのだなと思う。なんて呑気なことを言っていたら、目の前に巨大な煉瓦造りの建物。それもよくみると、これは建物ではなく、門だと言う。そう、慶應義塾大学である。

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上野の彰義隊薩長の軍隊と戦いを始めたとき、慶應義塾で教鞭をとっていた福澤諭吉は、戦いの音に浮き足出す塾生たちを叱責し、勉強に集中しろと言ったらしい。これはある種の美談となっているが、考えてみればこのときの福澤はどう言う気持ちだったのだろう。すごく複雑な、苦しい感情だったのではないか。それにしても上野からここまで聞こえてくる砲声とは、戦いの尋常のなさがうかがえる。

一号線は慶應義塾大学沿に折れた。私も向かって右に曲がり、一号線に従う。カーヴを描く道を歩いていると、慶應大を超えた先にハンガリー大使館があることを知った。街全体が芸術品のようなブダペシュトを思いだす…。

 

三田のグニャリと曲がった道を歩いていると、荻生徂徠の墓やら、イスラエル料理屋やら面白いものも見つかった。知らない道は歩くだけで面白いものだ。だが、その一方で、私は最初の足の疲れを感じ始めていた。日本橋から7km地点のことである。

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国道一号線は白金に入った。いわゆるシロガネーゼがすむ場所である。右手には巨大な明治学院大学とその附属の教会。道は広く、マンションが立ち並んでいる。足に疲れがたまると、世界がやけに馬鹿デカく感じる。そしてそんな私の心象風景に呼応してか、先ほどまで晴れ渡っていた空も雲行きが怪しくなっていった。足取りも遅くなり、生まれたてのひよこのように、歩幅も小さくなる。さっきは十分おきくらいに見えていた日本橋からの距離を示す「1km塚」もぱたっとみなくなった。私は道端の植え込みのそばに座り込んだ。

ふぅ、と息をつき、先ほど買った水を一口飲んだ。よし、進もう。まだまだだ。せめて、10kmまでは行こう。道路表示によれば、ちょうど五反田あたりだろう。東海道といえば品川だから、そこからなんとか品川に行って、そこで昼食だ。ちょうどいいじゃないか。私は立ち上がって歩き始めた。

 

それからは登ったり降ったり、曲がったり、真っ直ぐだったりで、結構大変だったが、私はなんとかサイズ感がでかい白金の住宅街を超えた。すると、坂を降りたところに駅が見えた。五反田だった。こんなに五反田にテンションが上がったことはないだろう、というくらいテンションを上げて、私は疲れの溜まった足を持ち上げたりおろしたりして、意気揚々と五反田へと向かった。

五反田はたぶん、はじめて訪れた街である。よく見かける東京の街だ。おしゃれなチェーンのカフェがあり、ラーメン屋があり、そしてそういう感じのお店がある。この五反田で昼食と行くか、それとも品川まで頑張るか、私はちょっとだけ悩んだ。やっぱり趣的には、品川だろう。なんとなれば品川は、東海道最初の宿場町だからだ。お腹は空いている。とりあえず、立て看板の地図を見つけて、眺めることにする。

どうやら品川は山手線的には大崎の次らしい。どれくらいの距離があるのかはわからない。だが、まあ頑張れなくはなさそうである。足は疲れているが、なんとかなるだろう。だが少々気になるのは、品川方面に行く道と国道一号線が違う方向へ向かっていることだ。品川は東海道沿ではないのだろうか。

疑念はありつつも、私はすこしがんばることにした。国道一号線を南下すれば、どうにかこうにか品川にたどり着けると信じていたのである。そういうわけで、五反田の町を出て、坂を登った。

 

だが、立て看板の地図が植え付けた小さな疑念が私の心の中でぐんぐんと育っていく。品川にはたどり着かないのではないか。いや、そもそも、東海道と国道一号線は一致していないのではないか。これは私の午前中の行動を全く無に喫する可能性を持つ危険な疑いだった。私は東海道を歩いていると信じて進んできたのである。だが疑念は膨らみ続けた。私は立ち止まった。

私はそそくさとスマートフォンを取り出し、「東海道」を検索する。いくつか調べていたら、どうだろう、「旧東海道」は案の定、国道一号線ではなかった。空の雲はもっと分厚くなり、雨が降ろうとしていた。そういうことだ。道理で、品川にたどり着かないわけだ。道理で、江戸城の目の前を抜けるわけだ。

ちょっと調べれば、そんなことは分かったはずだった。だけど私にはそういうところがあって、そうやっていったん表に出した自分の思い込みを引っ込められないのだ。真っ直ぐ行くことが正しいと信じて疑わなかった。

ここに、二つの道があった。このまま一号線を進み続けるか、それとも、東海道へ向かうか、だ。調べたところ、旧東海道の方が、一号線よりも良さそうだった。というのは、一号線をこのまま進めば、市街地から離れたところをひたすら歩くことになるのだ。それを続ける元気はないだろう。ここから品川へ向かうのが得策だ。私は思い込みの道からくるりと背を向けることにした。

コンビニで新しい水と折り畳み傘を買う。品川へ向かう道を歩くと、すぐに大崎へたどり着く。飲食店が並んでいる。チラリと美味しそうなタイ料理屋が見える。品川で食べるなんて悠長なことを言っていたら、ひもじいまま歩き続けるかもしれない。というか、足がもう限界だ。よし、ここで食べよう。

歩き続ける方が惰性である。私は勇気を持ってタイ料理屋へと入っていった。

今までの歩き方は、もうしない。