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旅、映画、食べ物、哲学?

国を作る

京都のバーには、新撰組由来の名前のカクテルが置かれていた。近藤勇土方歳三藤堂平助原田左之助などなど。土方歳三を飲んでみたが、ジンジャーが強く効いていて、キリッとした感じがどこか「鬼の副長」と呼ばれて恐れられた土方の人となりを表現しているような気もした。

その、土方歳三から、話は私の大好きな歴史上の人物である榎本武揚の話になった。榎本武揚。彼の名前はあまりにマイナーすぎる。知っているという人でも、おそらく二つの歴史的事項とのつながりでしか知らないだろう。「五稜郭の戦い」で、恐れ多くも「官軍」に最後まで抵抗した幕府側の人物。そしてその敗戦後、奇跡の復活を遂げ、ロシアと交渉し、「樺太・千島交換条約」を締結した男。あるいは、「大津事件」の対応のための中継ぎ、「郵便マーク」が生まれた時の逓信省大臣、などといったことを知っている人もいるかもしれない。だが、彼はあまり有名ではないのは確かだ。

それでも、私は榎本武揚が好きである。あの時は「面白い人物」と表現したが、もちろんその表現が私の心情にぴったりあっているわけではない。榎本武揚には惹かれるものがある。だが、何がそんなに力強い魅力を生んでいるんだろう。実はあまり考えたことがなかったとも思う。あまり考えない中で、私は榎本武揚を描いた小説を読み、榎本武揚が出てくるドラマを何本か見て、そして高校卒業の春、一人で卒業旅行と称して箱館へ向かったのである。だが、おそらく、彼に惹かれたのは、やはり「国を作ってしまった」男だからだと思う。

 

榎本武揚の生涯については、語るつもりはないし、語る資格もない。私は歴史家ではないから、史料もあるわけではない。だが、彼は紛れもなく国を作った。

幕末、オランダ留学へ行った榎本武揚は、帰国するや幕府が崩壊しかけているところに出くわす。いわば浦島太郎状態である。その後奮戦するも、将軍(大政奉還後なので「大君」)徳川慶喜は反幕府の薩長勢力に恭順してしまい、江戸城無血開城となる。徳川家は駿府に移されることになるが、駿府での収入は徳川家家臣の人数に明らかに合わない。榎本武揚はそこで、家臣団が蝦夷地と呼ばれた北海道で開拓をし、自治権を得ることを求めたのだった。

これは国ではなく、単に家臣団が蝦夷に移動しただけであり、のちに徳川家の誰かを領主にしようとしていたという説が有力なのだが、私としては、榎本武揚に国を作る意志のようなものがあったのではないかと思えてならない。蝦夷を占拠した後の彼はといえば、オランダで学んだ万国公法(現代で言うところの国際法)を応用し、プロイセンアメリカ、ロシア、英国、フランスなどと渡り合い、手が出せない状態を作って独立を維持し、フランス軍事顧問団の助言を受けて斬新な作戦(アボルダージュ作戦。敵軍の船をそのまま掻っさらう。これは失敗した)を取り入れ、さらには国の幹部を入れ札(将校以上による選挙)で選ぶという部分的な共和制を自治州に適用している。いろいろ理由をつけられるが、だがやはり一種の情熱が見え隠れする気がする。特に選挙である。なぜ共和制なのか? 明らかに合理性だけでは片付けられない。榎本軍には会津や仙台、新撰組幕臣など様々なバックボーンを持った人がいたから、選挙制を敷いたという説もあるが、それだけだといえるだろうか。政権を得たいなら、自分が棟梁になると宣言すればいい。正当性が欲しければ、同行していた老中筆頭板倉勝静に迫れば良い。なんなら、板倉勝静、永井尚志などの高位の人物に会津など諸般の筆頭を集めた合議制でも良い。それでも、榎本武揚は選挙を選んだのである。日本では基本的に農村レヴェルでしか行われていなかった新しすぎる制度である。それに、徳川家の人間をその後でトップに据えるとしても、選挙で成立させた体制をそれですぐさま変えることはできないだろう。

彼になった気持ちで考えると、時代の情勢はかなり悔しかったに違いない。オランダでいろいろなものを吸収し、さあ、今度は自分たちが国の舵取りをする番だ、という矢先に、いつの間にか主導権を奪われたのだ。しかも、相手はあろうことか、共和国でもナポレオン式帝国でもなく、古の平安の香りがする太政官制度を復活させようというではないか。夷狄を排除せよとついこの前まで声高に叫んでいたものたちがそのようなことを言っているというではないか。これは承服できない。ないならば……作ってしまうしかないのである。自分たちの国を、である。榎本武揚箱館の戦いに敗れるが、その後、明治政府の中枢に入り込む。そこでも彼は理想とする国を作ろうとした。そのため、何度も政府から罷免されているらしい。

彼の面白い点は、作ることに主眼を置いたことだったと思う。幕末において、長州や薩摩も、会津奥羽越列藩同盟も戦いに執着していたように思える。だが榎本武揚は、そうではない。彼はあくまで作ったのだ。彼の目的は薩長政府の転覆ではない(ように思う)。蝦夷の地に幕臣たちの土地を作り出すことだった。

 

こういう話はやはりワクワクする。私は昔からこういう話が好きだった。

古代ローマに興味を持つきっかけは「なぜ共和国から帝国になったのか」という青い理由のせいだったが、塩野七生の『ローマ人の物語』を読んでいて、まず最初に心をつかまれたのは、ローマ建国に際するあれこれだった。流れ者だったロムルスとレムスが一つの国を作る。それからギリシアに学びつつ、元老院、市民集会などのシステムを作ってゆく。そしてユニウス・ブルトゥスの「革命」で国王を追い出し、新たな国づくりが始まる……。あれには胸が躍った。

国史にはあまり興味が湧かなかったが、鄭成功には興味があった。攻め寄せる清、陥落する明、その中で明王朝を立て直すべく、台湾のオランダ軍を叩き出し、その地に国を作る。そのストーリーはやはりハラハラドキドキである。思えば、箱館が私の最初の一人旅だったのに対して、台湾は私の最初の海外一人旅であった。

革命の物語に血湧き肉躍るのは、彼らが時の政権を転覆するからではない。理想の国を語り合うからである。革命が恐ろしくなるのは、その理想が、理想を守るための排斥に移り変わる時だ。教会は敵だ、国王は敵だ、外国は敵だ、知識人は敵だ……興奮は憎悪へと転化されてしまう。だがその興奮の根元には国を作ることへの強い気持ちがある。破壊や現状への不満もなくはないが、それ以上に、作ることへの意志がある。

心を動かすのは、何かを作ってしまおうという心である。それができるかもしれないという希望である。もはや妄想ではない。それゆえ、歴史の中でそれが吹き飛ばされてしまう時、私たちは悲しみと悔しさを覚える。それが実現した後で、あらゆることが重なって、悪い形に歪んで行く時、辛さを覚える。もちろん歪むことは決して悪くはない。世界を変えるなら、生活に合ったものでないといけない。机上の空論は誰も求めていない。しかし理想に執着しすぎたり、逆に利益を求めすぎることでおかしくなるのは辛いのである。それはともかく、歴史の中で国を作ろうともがく人々に、私たちは心揺さぶられ、思い入れを感じてゆく。

それはもしかすると、私たちは国を作ることがないからかもしれない。国を作るのは大変だ。まず既成の制度の外に出なければならない。そして一から作り直す。一から作るからこそ、私たちの心の奥底にある創造への衝動のようなものが満足される。だがそんなこと、普通はできない。というか、思いつかない。

 

なにも、国家という形態を持ったアレを作る必要はない。仲間とともに、自らを表現する「王国」を立ち上げることも、立派な国造りである。独立、戦争、そんなものは必要不可欠ではないのだ。

インド映画「きっとうまくいく」の主人公ランチョーは、学ぶことが好きだ。彼はいろいろあってデリーにある超名門工科大学に入り、優秀な成績を修めつつ、就職や成績のためだけにスパルタ指導を行う学長の方針に反発してゆく。この先は完全なネタバレで申し訳ないのだが、ランチョーは大学を出た後、小学校の教師としてインド北部のカシミール州ラダックで学校を経営することになる。この学校は普通の学校ではない。成績や就職ではなく、純粋な知的好奇心と創造力の場なのだ。生徒たちは自分で発明をし、生き生きとしている。この小学校は、ランチョーの作った国なのだと思うのだ。彼もまた、国を作る人だった。だからこそ、私はこの物語に心惹かれたような気もする。

ランチョーのライバル(ランチョーが勝手にライバル視されている)で、社会の既成概念の住人とも言えそうな元同級生チャトゥルはランチョーが小学校教師をやっていると聞くや、嬉しそうな顔でこのようなことを言う。「俺は大手外資系企業、成績第1位だったあいつは小学校で、「AはアップルのA」なんて教えてる。勝ったのは俺だな!」と。チャトゥルが大学時代から成績や評判を追い求める人間だったのに対して、ランチョーはそうしたものには無頓着であった。どちらがよいというのではないはずだ。なにせ、ランチョーは自分の王国を作り上げることができたのだから。そしてそれは、「国」を作ろうとした人々と同じように、既成概念を飛び越えなければいけなかった。飛び越えたが故に、国は作ることができるのだ。いや、それは違う。既成概念を飛び越えたというか、もはやそれすらなかったのかもしれない。自分に忠実にあっただけなのかもしれない。

 

もう一点、国を作るということには、大きなものがある。それは、一人の人間だけのものではないということなのだ。榎本武揚も、ランチョーも、一人で何もかもやるわけではない。榎本武揚には同志がいた。旧幕臣の松平太郎、旧幕府陸軍大鳥圭介新撰組土方歳三フランス軍事顧問のジュール・ブリュネ、医師高松凌雲……。榎本武揚に乗った人物たちだ。「きっとうまくいく」だって、ランチョーは、大学時代のお世話がかりだった「ミリ坊主」を仲間に入れて学校を作っている。もちろん子供たちもいる。

昔、フランス人の郵便局員の話が好きだった。その郵便局員は、拾ってきたものを集めて、自分の理想の屋敷を作り上げた。あそこまで行けば彼の国のようだ。しかし、民はいない。同志もいないのである。郵便局員の静かな喜びも惹かれるものがあるが、それは国を作る物語にある爆発的な喜びとは質の異なるものである。仲間がいて、一見「馬鹿なこと」と一蹴されそうな、自分たちの国を作り上げる。そこにも国を作ることの魅力がある。

しかし、だからこそ、国を作ることは、必然的に誰かを巻き込むことになるのだ。

 

私事だが、今人生の岐路に立っている。いつか私は国を作ることができるのだろうか。岐路に立ってしまったからにはもはや、国を作ってみたいものである。一方でこれは私だけの話ではない。どの人も、もしかすると、それぞれの望む国を作ることができるのかもしれない。そしてそれが、その人を本当の意味で生かしてくれるのかもしれない。作るということには力がある。思えば、黒澤明の「生きる」という映画もまた、そういう話でもあったように思う。もちろん、国家の話ではない。革命の話でもなければ、独立の話でもない。血の流れる話でも、銃弾の飛び交う話でもない。自らの表現の話である。人生の表現の話である。理想の話である。自分の「国」の話である。