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旅、映画、食べ物、哲学?

新年の抱負について

あけましておめでとう。

2000年代が始まってから、もう20年も経ってしまったのかと驚いている。いや、たった20年だというかもしれない。だが、20世紀にたとえてみよう。1900年は英国、ドイツ、ロシア、そしてオーストリアハンガリーによる帝国の時代だったが、1920年にはうち3帝国が崩壊、覇権も徐々に「狂乱の時代」を迎えようとしているアメリカに傾きつつあった。19世紀に例えるともっとすごくて、1800年はナポレオンが第一執政として活躍して二年目、1820年になると時代はもはやウィーン体制だ。そうしてみると、案外、20年はいろいろなことが起こりうるといえるのではないか。もちろん、そうでない場合もあるが。

 

さて、こういう時は今年の抱負というものを述べるものだろう。だがその前に「新年の抱負」って何だろう。これが考えてみると、案外面白いのである。

まず、「新年」についてだが、「時間の流れ」から考えてみると、これはナンセンスである。なぜなら、今日が新年最初の日である必然性はどこにもないからである。もちろん、農耕に合わせた暦が一周するとき、それは新しい年が始まると言える。だが、実際には何が変わるというのだろう?昨日と今日とで変わるのは、1日がすぎたというだけの話で、それは昨日と一昨日、明日と明後日の間にある違いと何ら変わることはない。毎日毎日、いや、一瞬一瞬が新鮮である、と考えたとしても、事情は新年否定の方に向かってゆく。なぜなら、すべての瞬間において変化があるなら、昨日から今日への日付の変更に限る必要はないからだ。日にちの帳尻合わせを考慮しなければ、それはこの日である必要は一切なく、わあわあと騒ぐ必要も一切ないのである。除夜の鐘にしたって、煩悩の滅却は毎日やれば良いのであって、なぜ365日ないし366日に一度に限っているのか。仏道に反してやいないか?

 

ところが、私たちは区切りをつけたがる。それには相応の意味があると思っている。「新年の抱負」は、「生き方」に関わっている。私たちは、一年の終わりに自分を振り返り、新年になれば自分を変えられるというような気持ちになる。それが本当かどうかはその後の身の振り方に関わっている。変わると思わなければ変わらないし、変わらないと思っていれば変わらないだろう。というのも、私たちは人生の多くを、「習慣的」に、「傾向」に従って生きているからだ。

例えば、自分勝手に生きるほうがいいんだと思っている人がいたとする。それで、その人は心のどこかで困っている人は助けたい、助けるほうが自分にとってもいい気がすると思っているとしよう。だがこの人は、自分勝手に生きるのをやめられない。なぜか。それは、いろいろな理由があるだろうが、自分の「キャラ」を勝手に作ってしまっているからだ。そしてそのキャラを作るに至ったのは、自分の考え方の傾向のようなもので、習慣的なものかもしれない。こうなると人は、なぜか、自分を変えることができなくなるし、変える必要ないように思えてくるし、変わらないと信じるようになる。その人の中には、頑強な性格がある、という幻想がまとわりついているからだ。もちろん、人は生きていて、どの瞬間も新しい人間である、というのは簡単だ。だが人は自分を規定してしまう。

それを打開するにはきっかけが必要になる。それは何でもいい。失恋でも、回心でも、強い挫折の経験でもいい(以前「挫折の経験は?」と面接で聞かれたが、あの質問はどうかと思う。なぜなら、その人の全人生をひっくり返すほどの力をそういう経験は持っているからであり、それは極度にプライベートなことだからだ。そういうのを知りたいというのはわかるが、それは一線を超えている)。だが、心の奥底で変わりたいという衝動があるなら、それは定期的に訪れる、クリスマスや新年でもいいのである。新年という考え方はおそらく暦法によっているが、それは、自分を変えるきっかけにもなるからである。

だから、新年の抱負を人に語るのは、自分が作り出し、演出してきたキャラを壊すために、他の人の視線を変えてもらうことなのかもしれない。だから、どんな抱負に対しても、笑ってはいけないと思う。そして、抱負を口にする必要もないかもしれない。それは個人のことであり、他者の視線を吹き飛ばすつもりがあるなら、自分一人で変わるきっかけを大事に思うこともできる。なにせ、抱負は新年でなくても良いのだ。

 

だから、あえて今年は、抱負を、控えめなものにしたい。自分の人生については、もう少し時間が必要だ。今年の抱負は、「インドに行くこと」にする。

私は高校三年生の時に沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだ。全体を通じて引き込まれたが、今でも忘れられないのは沢木さんがインドのトイレに入るシーンである。インドのトイレは紙がなく、手で洗わないといけなかった。そんな状況で、沢木さんは、「また一つ自由になった」と書いていた。この「自由」が、それ以降私の追い求めるものとなった。もちろん、トイレ、というだけではない。今トイレを例にたとえたので良くなかったのかもしれないが、旅という経験そのものが、受け入れる自由を、いや、自分のもつ何らかの枠を乗り越える自由をくれる、ということなのだ。この自由を求めて、私はいろいろなところに行こうとした。

ーー箱館、ドイツ、フランス、イタリア北部、ヴェトナム、バンコクケベック台北カンボジア、ヴェトナム、フランス、スペイン、ロンドン、モスクワ、北京、イタリア南部、アテネ、ソフィア、イスタンブルバンコクヴィエンチャンハノイ、ソウル、イスタンブル、ソフィア、ベオグラード、ブダペシュト、ウィーン、プラハ、ベルリン、イスタンブル(カドゥキョイ)、ソウル(ウンソ)。

それは自由への修行だったと言える。そして徐々に、何となくだが、今までは閉ざしていた世界が開かれてゆくのを感じた。

満を持して、インドである。次はインドだ。私の心の奥底で何かが叫んでいた。しかも次は、インドで一人で行動をする。もちろん、まわりにはインドに行きたいと言ってくれる友人が案外たくさんいる。一緒に過ごしたい。だが、一人の時間は作りたい。そうも思っている。そうしてこそ、なんだろう、一つの自由が見えてくるように思えるのだ。

なぜインドか。一つには、インドがそういう意味で魅力を持っているとともに、貧困という現実が重くのしかかっている土地でもあるからかもしれない。決して理想郷ではないのはわかっている。だが無性に惹きつけられる。今は、こんな風に、概念的な言い方をせざるをえない場所に、実際に身を置きたいという衝動にかられる。二つ目は、もっと単純で、去年「ヒンディー語」をやり始めてから、インド文化にはまってしまい、最近ではカレーを作ったりもするからである。本場のカレー、本場のヒンディー語、本場のインド映画……場所というコンテクストとともに、味わいたいのである。

だから、インドに行く。2020年は、いろいろあって何かと忙しくなる。だが、インドにはいく。次の渡航先はインドと決まった。「新年の抱負」だからだ。