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ある大学生の日常をエッセイ調にかっこつけて書く。

11都市目:イルン/アンダイエ(2)〜Across the border〜

朝起きて、別室のシャワールームで顔を洗い、目を覚ました。パッキングをして、外に出ようとすると、鍵が硬く開かない。30分は格闘しただろう。なんとかしてドアをこじ開け、外に出た。代金は払ってあるので、声の高い女主人に声だけかけてホテルを立った。

「Agur!(さようなら!)」私はバスク語で言った。女主人もキンキン声でAgurと言っていた。

今日最初の任務は、朝食を食べること。私はついた時にうろちょろしていた広場のあたりをうろついた。すると、朝食を食わせるバルが何軒か並んでいた。

そのうちの一軒で、オレンジジュースとクロワッサンを食べた。あいも変わらずオレンジジュースは手絞り、クロワッサンは甘かった。オレンジジュースはビルボと違って冷えていて美味しい。食事は、イルンの圧倒的勝利。もはや住んでもいいレヴェルである。

バルのテレビではニュースが流れていた。テロのあったバルセロナに首相だけでなく国王が来ていた。案外仲良くやれているとその時は思った。裏では、独立に歯止めを効かせるためのテロの政治利用だなどと言われていることをまだ知らなかったからだ。

勘定を払った。朝食は大抵4ユーロ前後。スペインの物価と時間の感覚に慣れて来た。これでフランスで生きていけるのだろうかとふと不安になる。明日にはフランスだ。ついこの前までいた国だというのに、なぜだか、フランスが得体の知れぬ国のような気持ちになってくる。

 

それから、すぐに国境へと通じる道を歩き始めた。どれくらい時間がかかるのかわからなかったからだ。道は長いが、曲がりくねってはいなかった。真っ直ぐだった。だが高低差がある。初めは下り坂、途中で登りになる。

少なくとも10kg以上の荷物を担いでいたので、休み休み歩いた。それに、スペインにお別れを言うのだから、それくらいやったらゆったり歩かねば。スペインはハマるとよく聞くが、本当にハマる。麻薬より依存性がある。そんな国とのお別れだ。

国境へと通じる道は特別なものではなく、郊外にありがちな道だ。公園には人がまばらで、時折暇を持て余した老人が犬を連れてやってきたり、子供達が遊んだりしている。ベンチに座って空を見つめると、雲ひとつない快晴である。そういえば、カナダのモントリオールに行った時、サンルイ公園で空を眺めたことがあった。あの時、じっくりする時間の良さを感じたのを覚えている。

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よいしょとバックパックを背負い直し、道をまた歩き始めた。暖かかった空気はだんだん暑くなる。私は昨日思い浮かべた異邦人の歌の続きを思い出そうとした。

市場へ行く人の波に 身体を預け

石畳の街角を ゆらゆらと彷徨う

祈りの声 蹄の音 歌うようなざわめき

わたしを置き去りに過ぎて行く 白い朝

時間旅行が 心の傷を

なぜかしら 埋めていく不思議な道

さよならだけの手紙 迷い続けて書き

あとは悲しみを持て余す 異邦人

この道を幾人の人が歩いたのだろう。巡礼者か、兵隊か、商人か。今ではよくわからない。今あるのはただの郊外の道だ。国境もゆるく、平和な道だ。

 

しばらく歩くと大きな橋が現れた。その橋には名前らしきものは見当たらない。サイクリングする人や、歩く人が何人かいるだけだ。だが紛れもなくその橋は、スペインとフランスの国境を越える橋だった。

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深呼吸を一つして、橋を渡った。橋は川を跨いでいる。川は静かに流れている。向こうには緑の山が見えている。このような穏やかな自然に、人間は国と国と線を引いた。どちらがスペインでどちらがフランスかなど、この川は知らない。だが私たち人間にとっては大きな川だ。この川はを超えて仕舞えば、私はスペインに別れをいうことになる。

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橋を渡っても、大して変化はなかった。シェンゲン条約とはそういうものだ。国の役所があるわけでも、閻魔大王の尋問があるわけでもない。変わったといえば、標識にある言葉がフランス語になったことくらいである。だがそんな些細な変化でも、その文字はフランスの面影を感じさせた。

ふと振り返って見た。すると、赤い屋根に白い漆喰の建物がたくさん並んでいる。あそこが、スペインである。そして今私はフランスにいる。私は心の中で呟いた。

「Adios, gracias」と。

今回の一人旅は、ここで終わった。私はふーっと息を吐いて、何もないガタガタの道を歩いてアンダイエ駅まで向かうことにした。

11都市目:イルン(1)〜異邦人、あるいは旅の終わり〜

マドリードからトレドへ向かうバスとは、明らかに違う風景が外に広がっている。周りは緑、緑、緑。山も緑。ところどころにある建物は、白い漆喰で塗られ、屋根はオレンジ色だ。まさにバスク地方の道だ。日本人にとっては、マドリード付近の荒地が広がる風景よりも、道の狭さも相まって懐かしさすら感じさせる風景である。

バスはまず、美食の町にして、最近ではリゾート地として人気を出し始めたサン・セバスティアン(ドノスティア)で停車した。昨日だったか、ここでは花火大会があったはずだ。テロがあるまでは、ここに行くつもりだった。小綺麗な街並みで、太陽が輝いている。ここも見てみたい、というか、ここのバルでも飲み食いしたいが、ビルボは良い町だった。またいつか来れる時に行こうではないか。

ほとんどの客がドノスティアで下車した。バスはほぼ空っぽ状態で発車し、数分で目的地イルンの町に到着した。

 

イルンのバス停は純然たる田舎だった。イルン駅があるが、どこか裏寂れていて、街の中心がどこかもわからない。だからとりあえず、バスを降りる人々の行く方へと向かった。一本道があり、周りにはオレンジと白の建物だ。だが、村というよりも町らしく、建物の背は高くてぎっしり詰まっている。それでも地方都市の雰囲気は感じる。

徐々に徐々に住宅以外の建物が増えてくる。たぶん街の中心は近づいているのだ。だが今までは大きな街にいたので、中心部の雰囲気を感じられない。まだ土曜だというのに、閑散としている。ビルボに着いた時、大都会ではないなと思ったが、イルンを歩けば、ビルボは都会だと気付かされる。

この街は暖かかった。私はコートを脱ぎ、腰に巻いた。しばらく歩くと人もまばらに出てくる。町の看板はバスク語スペイン語の二言語併記、まだここもエウシカル・エリア(バスク国)である。しかし、ビルボと確実に違うのは、何食わぬ顔で看板に「あちらはフランス」と書いてあるのだ。そう、ここはフランスとの国境線の引かれた町である。スペイン側はイルン、フランス側はアンダイエという。

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しばらく中心街を歩くと、大きな広場が出てきた。といっても、バルセロナのレイアール広場やマドリードのプエルタデルソル、ビルボの旧広場のような真四角の厳しいものではなく、単純に広い価格が空いてしまったという雰囲気だ。私はそこにあったベンチに座った。この街にはベンチが多い。陽が傾き始めていた。私は終わりを悟った。遥かなる旅は終わった。まだ本当の終わりではないが、ひとり旅は一区切りつく。感慨もあったが、冷静でもあった。明日からは、ボルドーで一週間フランス語の勉強をしつつ、体の休息を取ろう。頭は使うだろうけど、体には休息が必要だ。なにせ10kgを担いでここまできてしまったのだから。

広場にはツーリストインフォメーションがあった。こんなにも簡単にツーリストインフォメーションが見つかったのはアヴィニョン以来だ。ホテルを取ってしまおう。フランスへの行き方も知りたい。私は立ち上がりリュックを担いだ。

「Kaixo! ¿Hablá ingres?(こんにちは、英語話せますか?)」ツーリストインフォメーションなんだから英語が話せるのはわかるが一応エチケットだ。

「Lo siento, no puedo(ごめんなさい、できないの)」とサバサバした感じのおばさんが言った。珍しい。まあなんとかなる、ケ・セラ・セラだ。

「OK...¿Hay una mapa de Irún?(イルンの地図ありますか?)」

「Si, vale.(もちろんよ)」とおばさんは地図を出してきて開いて見せた。

「Gracias. ¿Dondé está las pensiones?(ペンシオンはどこにありますか?)」

「Hoteles, hostales y pensiones son aquí(ホテルやオスタル、ペンシオンはこの辺にありますよ)」おばさんはそう言って、ペンで場所をなぞって見せた。

「Vale, gracias...y...dondé está...(わかりました、ありがとうございます。それで…どこに…)」まずい、フランスという言葉を忘れた。

「¿San Diago de Compostela?(サンディアゴデコンポステーラ?)」とおばあさんが尋ねた。薄々気づいてはいたが、この街はフランスからのサンディアゴデコンポステーラの巡礼路にあたるようだ。だが、ちがう、私は巡礼者ではない。

「No. Francia(いえ、フランスへの行き方を教えてください)」思い出した。

「¡Ah, Francia! Esto, aquí, y eso Hendaya, Francia(ああ、フランスね。ここが現在地で、これがエンダイヤ、フランスよ)」おばさんはそう言って指差した。それなりに遠い。バスを使おうかと思っていたが、そういうバスはなさそうだ。それなら…歩いてしまおうか。

 

礼を言って、ツーリストインフォメーションを出た。ホテルがあると言われた場所を探すためである。歩いていると、左の方向に大きめの道があり、坂を下って向こうの方まで伸びていた。どうやら、その先に、フランスはあった。よし、歩こう。明日になったら歩こう。国境といっても、この前断念したヴェトナムーカンボジア国境とは話が違う。シェンゲン条約があるのでパスポートチェックすらない。だから、歩いてやろうではないか。なんとなく不思議な感覚だった。

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ホテル街を探したが、どうにもこうにもみつからない。歩けば歩くほど、この街の暮らしに触れ、良いところなのだな、住んでみたいなという気分になったが、肝心のホテルがなかった。

日も暮れそうになっていて、これは野宿パターンかと思っている時に、四十代くらいの恰幅のいい男が通りかかった。目があったので、

「¡Holà! ¿Hablá Ingrés?(すみません、英語話せますか?)」と話しかけた。ツーリストインフォメーションで英語が通じないんだ。無理だろう、と思ってはいた。答えは案の定、

「No, lo siento(いや、ごめんね)」である。

わたしはもう強引に地図を広げ、ホテルがあると記された場所をさしながら、

「¿Dondé aquí? ¿Dondé está pensiones?(これはどこですか?ペンシオンはどこにありますか?)」と尋ねた。

男は地図をじーっと見ると、着いて来な、と手招きをした。私は大柄なその男性の行く道をついていった。

「¿De dondé ères?(どこから来たんだい?)」と男は尋ねた。

「Soy de Japón(日本です)」私は語学教材のレッスン1のようなフレーズで答えた。そのとき、なぜかふと、どうして過去の人が英語を話せないのかがわかった。そうか、だって、この町は英語じゃなくて…

「Vous parlez français?(フランス語話せますか?)」私は尋ねた。

「Oui, un peu(少しならね)」やはり。

「Je cherche le hôtel ou la pension pour dormir ce soir. (今晩泊まるためのオスタルかペンシオンを探してるんです)」と私は言った。

「D'accord, mais il n'y a pas d'hôtels ni de pensions d'ici(けどこの辺にはないよ)」と男はいう。なんと。話を聞けば私は道を間違えており、駅の方にホテル街があるらしい。やらかしたようだ。

あるいていると、向こうの方で食事の匂いがした。男はそこを指差し、

「Voilà la fête(ほら、祭りをやってるんだ)」と言う。さすが同じバスク地方。ここにもグランセマナはあるのだ。

「Ah, oui. En effet, j'ai vu une fête à Bilbao aussi. J'étais à Bilbao avant d'Irún(ほんとだ。じつはビルバオでも祭りを見ましたよ。イルンの前はビルバオにいたんです)」

「C'est vrai? Très bien. Pourquoi tu viens ici?(本当かい?いいね。どうしているんに来たんだい?)」

「Car j'irai en France demain, j'étudierai français au Bordeaux.(明日フランスに行くからです。ボルドーでフランス語を勉強するつもりです)」私は答えた。明日にはボルドーにある。変な気分だ。だがもうこれは終わるのだ。

先ほどまで歩いていた道までやって来て、男は駅の方を指して、そこにホテルがあると教えてくれた。

「¡Buen viaje!(良い旅を!)」と男はいった。

「¡Muchas gracias!(本当にありがとうございました!)」私はそう言って、駅の方に引き返した。

 

空はオレンジがかり、道には人影も増えて来た。多分さっきまではシエスタだったのだ。

最初に入ったペンシオンで部屋はありますかと尋ねると、あるらしい。昨日の経験上、とってもホッとしてしまった。しかし値段を聞くと80ユーロだという。少し高い。安くならないかと聞いたが、安くしてくれるかはなさそうだ。私は他を見て見る、とその場を離れた。慣れたもんだなぁと我ながら思った。

次に行ったのは裏にある、テラス席のついた巨大なホテルだった。どうやら巡礼者ようである。60ユーロという。ちと高いが、面倒になってそこに泊まることにした。

「二つベッドがあって、シャワーは別室だけど、使うのはあなただけですよ」とやけに高い声のフロントのおばさんが言った。

「わかりました」私はそういい、言われたとおり二階に行った。

部屋はやけに広かった。2人用のドミトリーという感じだ。しかし1人しかいない。そしてドアの鍵がやけに固かった。実は帰りの日に閉じ込められかけたというのは秘密である。

窓の外には線路があった。その線路はフランスに通じているようだった。線路の向こう側には、小さなバルがあって、地元のおっちゃんが集まっていた。ここはそう、宿場町なのだ。巡礼路が通り、国境線が敷かれた、まさに宿場町だった。雰囲気は東京の多摩地区にも似ている。多摩は私の本拠地なので、この町はやけに親近感がわく。私は部屋で休んだり、所用を済ませたりして、七時くらいに夕飯を食べに外に出ることにした。窓の外の日は傾き、ノスタルジックな風が吹いていた。

 

 

 「バルはあっちの方にあります。でも、スペインの習慣で大体は20時からしかやっていませんよ」とキンキン声の女主人が言った。

「ええ、わかりました。アグール」私は言った。時刻は7時。スペインの風習に苦言を呈する人が多いのだろうか。だが私はもう分かっている。散歩をしたいので、織り込み済みである。

線路の上を走る高架橋に登り、メインストリートへ。向かうは先ほど道を教えてくれたおっさんが指差して「祭りだよ」と言った場所だ。ここまで来たら祭りに行くしかない。あのおっさんもいるかもしれない。

 

そこは公園だった。いい雰囲気だ。子供が遊具で遊び、母親がママ友と談笑し、おじいさんおばあさんがベンチに座る。イルンは生活感であふれている。

公園は二段構造で、入ると木が生い茂っているところに出て、階段で降りると、遊具があるコーナーになる。私はしばらく木のコーナーでくつろいで、下に降りた。下の方でどんちゃん騒ぎの音が聞こえたからである。

祭はビルバオよりも小規模だ。だが主体はやはり若者で、道路を囲んで車にひゅうひゅうと口笛を送ったり、楽器を演奏したりしていた。楽しそうだが、なんとなく、デンジャラスな雰囲気を感じた。マイルドヤンキーのお祭りという感じで、異邦人を受け入れてくれる感じはしない。だから私は、若者はねぇと怪訝そうに見守る老人たちとともに、遠巻きに見ていた。

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しばらくして、私は引き返した。そろそろ店を探そう。空もますますオレンジ色になって行く。

ビルボよりは暖かい風に吹かれながら、ホテルがあるブロックの反対側を歩いた。子供づれがたくさんいて、町中にあるベンチで団欒がある。老人たちも腰を落ち着けている。この街の活気はどうやらこの時間帯から生まれてくるみたいだ。大きな広場のそばにあるバルには大勢の大人が詰めかけていた。広場では子供たちがサッカーをしていた。私はベンチに腰掛け、しばらくそのサッカー「イルンリーグ」の行方を見守った。

ふと、私は「異邦人」というタイトルの歌を思い出した。

子供たちが空に向かい 両手を広げ

鳥や雲や夢までも 掴もうとしている

その姿は 昨日までの 何も知らない私

あなたに この指が届くと信じていた

空と大地が 触れ合う彼方

過去からの 旅びとを 呼んでる道

あなたにとって私 ただの通りすがり

ちょっと 振り向いて みただけの

異邦人

コートを使わないサッカーは懐かしかった。よく小学生の時にやったものだ。子供達の影は長く伸びる。ノスタルジックな夕日がやけにさっぱりとした気持ちを呼び寄せる。

私はもう少し歩こうと、一本入った道の坂を降りてみた。バルが並んでいた。しかし、しばらくすると線路に行き着いた。歩くのも大概にしよう。歩くのは私にとって酒のようなもので、溺れれば抜けられなくなる。

 

入ったバルは、「サッカースタジアム」の目の前だった。一番客入りが良かったのだ。

いつまでたっても慣れないもので、恐る恐るバルに入り、カウンターで待った。しかし、私がアジア人の若造であるためか、カウンターのおじさん2人は私の方に目を向けようともしない。だから私は声をかけ、ビールを頼んだ。皿が配られれば、ゲームスタートだ。

カウンターのおじさんに食べたいものを指差し注文し、もらった。手始めはサーモンだ。食べてみるとすごくうまい。どうやらイルンは良いバルの街のようだ。

地元の悪じじトリオと見える三人組がやって来て、ワイン片手に何やら話している。絡まれたかったが、相手は絡んでこなかった。私はビールを飲み、何皿かピンチョスを食らった。どれも最高に美味かった。私は会計を済ませて外に出た。何品食べたかは自己申告だった。

もう一軒行こうかと思ったが、なぜだか力が出ず、腹五分目くらいな胃袋を抱えながら、少し歩いた。国境へと通じる道は夕日に輝き、美しかった。それからホテルへと戻った。

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やはり旅は一度終わろうとしていた。しかしこの旅は、いつもとは違う。別の形に姿を変えながら私の中を生きる。進化する。創造され続ける。だから、明日からは全く別のことが待ち受けているのだ。明日からはそう、異邦人としての旅ではなく、住む旅が始まる。そしてその前に、我が人生初となる、徒歩での国境越えである。そう思うと、胸が奮い立った。

10都市目:ビルボ(4)〜グランセマナ〜

酒には強いほうなのだが、翌朝に響くことが多い。起きられないというのではない。起きてしまうのだ。2時間毎くらいに起きる。

三軒のバルをはしごし、ジェニファーやムスタファと飲んで、その時は全く平気だったが、起きてみると5時くらいだ。帰って来たのは2時半くらいで、寝たのは3時くらいだろう。とりあえず、とシャワーを浴び、私は睡眠時間確保のためにもう一度寝た。次に起きたのは、七時半くらいだった。荷物を詰めて、階下に降りた。この街に残るにせよ、計画通りフランスの方へ行くにせよ、このホテルは出ないといけない。

「Egun on!(おはよがんす)」と昨日とは違うフロントのお姉さんに言った。思いがけぬバスク語に驚いていたが、笑顔でKaixo!と返してくれた。

「チェックアウトをお願いします」と私は言った。今回は部屋番号も完璧に覚えていたのでことはスムーズに進んだ。とりあえず、重い荷物を預かっていてもらいたかったので、

「荷物を預かっていてもらえませんか?」と尋ねた。

「いいですよ。ちょっとお待ちください」お姉さんは階段の下にある柵を開けた。まるで第一巻の時のハリー・ポッターの部屋みたいな場所に荷物置き場がある。

「Gracias(ありがとう)」私は荷物を奥の方においた。

「良い1日を」お姉さんはにっこり笑った。

「Eskerrik asko, agur!(ありがとなし、したっけ!)」私はバスク語で言って、外に出た。相変わらず涼しいが、どことなく湿っていて、2月のハノイを思わせる。

 

昨日の騒ぎが嘘のように、静かである。まずは朝食だ。バルで食べられるのだろうか。私は昨日行った、バルがたくさんある界隈に来たが、オープンしている店はなかった。朝ごはんをどうしよう、とうろちょろしていると、一軒、赤い色をしたバルが開いていたので、入ることにした。朝からピンチョス(小皿のつまみ)かと思ったが、カウンターの上に置かれているのは普通のクロワッサンだった。

「Egun on!(おはよがんす)」とバルテンダーにいい、カフェコンレチェ(ミルクコーヒー)とクロワッサンを頼んだ。クロワッサンには甘いコーティングがしてある。スペイン流の朝食だ。マドリードのバスターミナルで朝食を食った時もそうだったのだが、フォークとナイフが付いてきた。かじるのは行儀が悪いということか。にしてもクロワッサンにフォークはおかしい。

「スーモ・デ・ナランハをくれないか?」と、私の後でやってきたおじいさんが言った。スーモ・デ・ナランハとはオレンジジュースのことだ。カウンターにいた若い女性がオレンジを一つとると、オレンジ絞り器に入れた。それを見ていたら、なんだか無性にオレンジジュースを飲みなくなって切った。

「¡Perdon! zumo de naranja por favor(すみません、オレンジジュースください)」と頼むと、

「Vale(かしこまりました)」と女性店員がオレンジを絞り始めた。

しぼりたてとあって、微妙にぬるくて、酸っぱいジュースだったが、これがリアルなのだ。朝のバルはやけに空いている。ビルバオも、マドリードバルセロナ同様、朝が遅いのかもしれない。

 

バルを出て、湿った空気の中歩きながら、色々と考えた。この街にい続けるのかどうか、それを決めなければならなかった。さきほど、カールとアンナが泊まっているといるユースを探してみたが、スマートフォンの検索に引っかからない。昨日のことは実は夢だったのではないか。とまあ、そんな具合で、この街にとどまるという考えも、だんだん現実味のないものになってきた。夢であるはずはないが、今日も泊まるとなれば、明日ビルバオからボルドーまで駆け抜けねばならないので、それが少しばかり面倒であったということもある。

だから、とりあえず、地下鉄に乗ってバスターミナルに行くことにした。それで、バイヨンヌ行か、国境のイルン行があれば、そのバスに乗ろう。それから、ムスタファの働くピザ屋にでも寄って、この街を去ることを告げよう。

 

久々にバスターミナルのSFチックな地下鉄駅に降り立ち、地上に出た。ここにやってきた時、初めは何も知らず、ホテルもなかった。とにかくテロのありそうなマドリードやいろいろなものから逃げていた。ビルバオは良い街だったが、それでも去ろう。

バスターミナルでトイレを済ませた後、大手バス会社アルサの窓口に行った。

「すみません、バイヨンヌ行きはありますか?」と尋ねると、

「え?バイヨンヌ?あっちじゃない?」と言う。私は隣のユーロラインの窓口に行った。確かにスペイン国内を回るアルサよりも、ヨーロッパ全体のユーロラインの方が可能性がある。

バイヨンヌですか?ドノスティア(サン・セバスティアンバスク語バージョン)ならありますけど」と受付のおばさんは言う。

どうやらバイヨンヌに直でいくものはなさそうだ。私はバイヨンヌでなくてもいいと思った。フランス領に入れれば、明日はTGVボルドーに行けばいい。そう思案していて思いついた都市があった。それは、イルンである。

イルンはあまり有名ではないが、バスクの町の一つで、フランススペイン国境に接している。がんばれば、歩いてフランス領に入れる。ビルバオからも遠くないはずだ。私はアルサの受付に再び行き、

「イルン行きはありますか?」と尋ねた。係員の男性は少し面倒臭そうに、

「あっちの機械でやってくれ」と言った。

どうやら、バスク地方のバスは機械で買うらしい。私は列のできていた券売機に並び、14:25発のイルン行きのバスの片道切符をたったの8ユーロで買った。いよいよ、ビルバオを離れざるを得なくなった。

 

旧市街に戻った。誰かしらに別れを伝える義務があった。カールはサーフィンへ行き、ジェニファーはサンセバスティアンにいる。後の人は居場所がわからない。ムスタファだけはピザ屋にいることがわかる。

だから私は、ムスタファの言っていたサンタマリア通りにやってきたわけだが、どう探しても、ピザ屋が見つからない。それどころか、祭りの当日だからか、バルしか空いていない。なんだか、うまくいかない。もはや私にはツキは残っていないようだ。

道の上に横断幕が掲げてあった。黒い文字で、バスク語が書かれ、真ん中にバスク地方の地図が黒く描かれている。その地図の右と左から赤い矢印が描かれているところをみると、「独立だ!侵略を許すな!」的なことだろう。こちらも、やはり戦っているのだ(調べてみたところ、実は、「バスク政治犯、難民よ、我が家へおかえり(Euskal preso eta iheslariak, ETXERA」)。

行くあてもなく、旧市街をうろついた。昨日よりも賑わっている。さすが祭りの日である。昨日からいた操り人形にピアノを弾かせるパフォーマーも心なしかより楽しそうだ。所々に独立心が見えるものもあった。祭りの時はそれを押し出すのかもしれない。中には、英語で「バスク国へようこそ!私たちは今、独立したバスク共和国を立ち上げています」と書いた横断幕もあった。やはり、独立したいと言う思いは大きいようだ。私は間違っていた。ここは、ビルバオではなく、バスク語読みで、ビルボなのだ。いや、バスク語ではなく、エウスカラなのだ。さすがに、バスク自治州の州都は違う。もしサンセバスティアン(ドノスティア)に行っていたら、これをみることはなかっただろう。

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バスク国(Euskal Herria)の旗。赤はバスク人、緑はバスク人の民会の開かれたゲルニカのオークの木の緑、白十字カトリックバスク独立運動の合言葉は「7=1」.

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川沿いを歩くと、向こうに山が見えた。どこかでみたことがあるようで、どこでも出会ったことのない景色だった。ビルボは変な町だった。ヨーロッパだが、ヨーロッパと違う。スペインだがスペインの範囲気はない。それは紛れもなく、バスクなのだった。

そうだ、昨日の夜フランス人のおじさんが言っていたグルッケンハイム美術館に行こう。確かあれは川の向こう側にあったはずと思い出し、川を渡ってみたが、そのような建物はない。どうも、今日はよくない。

 

旧市街に引き返した。美術館とは逆方向に行っているようだったので、そちらへ向かって行くことにしたのだ。中心部では祭りの準備が始まっていて、模擬店のようなものがたくさん並んでいた。さすが現代アートの街だけあって、店の装飾もものすごい。印刷されたやつをそのまま張っている台湾人や「フランクフルト」とだけ無造作に書く日本人に見せてやりたい。立体的な人間の顔、なぜかソ連がモチーフのレーニンやトロツキーの似顔絵。まるで芸大の文化祭である。

そこには文化祭の前夜祭の雰囲気があった。みんなせっせと組み立て、みんなせっせと何かをしている。ちょっと切ない気持ちになった。高校の頃から、文化祭の時はいつも真ん中に立って何かをやってきた。何かを作るのが好きだった。それだけが胸の奥にある熱のやり場でもあった。私は楽しさと切なさが入り混じる祭りの場所を歩いた。

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川沿いの遊歩道は公園のようになっていた。時折謎の現代アートが現れる。みな、祭りに行くのだろう。私は祭りには参加できない。留まればいい。しかしそれができなかった。向こうの方に赤と緑の巨大な橋があった。バスク色だ。バスクの旗の色だ。そしてその橋の向こう側に、不思議な形の建物があった。まぎれもなく、それこそがグルッケンハイム美術館だった。

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橋は高かった。まるで展望台に登るがごとく階段をひたすら登って、橋の上にたどり着く。その橋を渡れば、美術館はすぐそばであった。橋からはビルボの街並みが一望できた。細い川が流れるその街は緑と白の町だった。

グルッケンハイム美術館は現代アートの美術館だった。橋を降りると、すぐにこの美術館の象徴の一つである蜘蛛のアートが現れる。それは、東京の六本木にある蜘蛛のアートと全く同じものだ。世界中に考える人の像があるのと同じである。遊歩道に突然現れる蜘蛛の像の股の下を自転車が走ってくぐって行った。

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建物は近未来的で、目の前に銀色の球体が積み上げられたアートがある。その近くにはたくさんのパフォーマーがいた。それも含めて美術館なのかもしれない。ジャグリングする人、彫像のフリをする人、シャボン玉を作る人……。親子連れが楽しそうに歩き、カップルが笑いながら歩いている。気候は穏やかで、涼しい。

バスの時間もあって、美術館の中に入る時間はなかった。それでも、美術館の周りには十分たくさんの現代アートが並んでいて、目を楽しませてくれる。特に気に入ったのは銀の球が積み上がったアートだ。何を意味しているのか、それが美しいものなのか、そう言うことは全くわからないが、なんとなく惹きつけるものがあった。

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美術館の横の階段を上ると、ガイドブックで見たことのある巨大な猫が鎮座ましましていた。と言っても、「注文の多い料理店」のように人を喰らおうとしているのではないし、猫バスでもない。その猫は巨大な植木であり、植木をカットして猫の形にしているのだ。祭りの雰囲気とはまた違う、終始静かな雰囲気が流れていた。

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ふと目を横にやると、ツーリストインフォメーションがあった。昨日探しに探して見当たらなかったあのツーリストインフォメーションだ。くそ、ここまできていれば…とも思ったが、まあ、これが旅である。そしてこれが、人生でもあるわけだ。と、ちょっぴり軽薄なことを言いつつ、私はグルッケンハイム美術館の敷地を出て、新市街の方へと向かった。

 

新市街は相変わらず清潔感があった。やはりこの街、どの街とも違う。もちろん、どの街もそれぞれの特徴を持っている。だが、ビルボには形容しがたい何かがあった。

水を買いたかったが、そういう店はなさそうだった。そうこうするうちにロータリーにたどり着いた。昨日の午後、さまよい歩いた場所だ。向こうの方に緑の山がある。強いて言うなら、スイスに似ている。そろそろ潮時だ。ホテルでバックパックを受け取ろう。私は針路を旧市街に向けて歩き始めた。

旧市街に近づくにつれて、祭りの雰囲気が高まってくる。この街に未練がないわけではない。むしろ未練タラタラである。私はこの街をまだよく知らない。それに、昨日できた友達もいる。だけど、こう言う別れもまた旅なのだ。ビルボのグランセマナ(バスクの夏祭り)は今宵始まる。だが、私のグランセマナは終わったのだ。

橋を越えて、朝よりも一段と盛り上がりを見せる広場に腰掛けて、祭りの前の雰囲気を味わった。老若男女が楽しそうに歩いている。目の前にいるおじいさんは家族と喋りながら何かを食べている。祭りは始まる。

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「祭りをやるんですね」と私はホテルのフロントのお姉さんに言った。

「ええ。今日からですよ」フロントのお姉さんは答えた。

「実は今日ビルバオを離れなきゃいけないんです」

「えー? そうなんですか。じゃ、また別の機会に、ってことですね。本当に素晴らしいお祭りなんです」お姉さんは熱っぽく語る。

「いれたらいいんだけど」と私は言った。それは自分自身に対する言葉でもあったが、いる気はない部分がなんとなくあるために、空っぽの言葉でもあった。だが、いたいという気持ちはあった。やはり、明日ボルドーにたどり着くには、今日ビルボにいてはならないのだ。それに、このホテルは高すぎる。「荷物を受け取りに来ました」

お姉さんは頷いて、カウンターから出てきて、例の階段下の物置の中に入った。どうやらあれからたくさんの人が荷物を預けたようで、大量のスーツケースがあった。私のリュックサックは奥の方に入ってしまっていた。

「これですね?」というので、私は頷いた。お姉さんがリュックを持ち上げようとして、わっという表情をしたので、私は、

「重いですよね」と笑いながら言った。

「はい、驚きました。たぶんわたしより重いです」お姉さんはそう言うと笑った。結局私が責任をとってバックパックをとることにした。人間とは不思議なものだ。重いリュックもいつの間にやら、たいして重くも感じなくなるのだから。私はよっこらせとリュックを担いだ。

「それでは、Agur(したっけ:さようなら)!」

「Agur! 良い旅を」

「Eskerrik asko(ありがとなし)」

 

食事でもしておこうかと思ったが、祭りの前の昼とあってどのバルも超満員だった。それに、バスの時間も迫っている。今日の昼食は抜きだな、と思った。初めてではない。バルセロナを去るときも昼は抜きだった。私はバス停へと向かう地下鉄に乗り込んだ。プラットフォームは相変わらずSF調である。

バスターミナルにバスは来ておらず、私はベンチに腰掛け、隣で遊ぶアラブ人家族を眺めながら時間を過ごした。しばらくして、向こうの方のターミナルにバスがやってきた。表示を見ると、どうやらイルン行らしい。私の乗るバスだ。サンセバスティアン(ドノスティア)経由だそうだ。今頃、ジェニファーがいる町だ。私はリュックを預け、バスに乗り込んだ。ドイツ人の青年の団体がいる。隣に座った16くらいの青年に、

「¡Hola!(こんにちは)」と話しかけてみたら、ドイツ語訛りらしき「¡Hola!」が返ってきたので、多分ドイツ人だ。

しばらくするとバスが動き始めた。これより向かうはイルン。スペインの果て、フランスの果ての山の町である。そして、今回の旅の第一部の終焉を告げる町でもある。

10都市目:ビルボ(3)〜熱狂の街〜

ブラスバンドの音が聞こえてくる方へと歩いて行くと、そこには人だかりがあった。真ん中では四人はどのブラスバンドが楽器を弾き、1人の人が大きな黒い旗を振っている。最初は何事かと思ったが、そういえば祭りである。いわば、前夜祭といったところだろう。ちょっと見てホテルに戻ろうかと思い、私は前夜祭の様子を眺めていた。

何やら巨大なプラカップを持った人たちが、ブラバンと旗振りの人を囲んでいる。楽器は楽しげな、あまちゃん風の音楽を吹き、曲調が変わると、みんなグイーッとしゃがむ。しゃがんでない人を見かけると、楽しそうな表情のおばさんが、「ほら、ほら、しゃがんで!」という仕草をする。しかし観光客たちは冷たくもカメラを向けるばかり。しゃがむパートが終わると楽器もヒートアップして、高らかに楽しい音を吹き鳴らす。するとみんな飛び上がり、旗手も激しく旗をバタバタと降る。まさに熱狂。何が何だかわからないが、楽しい。私は傍観者でいるのがなんだか嫌になって、グーっとしゃがんだり、立ち上がったりしてみた。やはり一体感が違う。気分は明日も祭りに出る人だ。明日はもうフランスへと行くというのに…。

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しばらくすると、さらにあまちゃんの雰囲気を醸し出す歌が流れ始めた。周りの人たちは、有名な曲なのか、反応して、

「パラッパラッパラッパラッパラッパラッパレ!パーラーパラッパラッパレ!」と歌い出す。そして一斉に壁に集まり、力一杯の平手打ちで、ショーウィンドウのシャッターや壁を叩き始めた。みんな大爆笑。祭りの前夜祭でなければ迷惑行為。とにかく楽しい空気だけがそこを支配していた。それからも、そのフレーズになるとわーっと人々が歌いながら壁へと向かい、平手打ちを壁にしている。私も、壁をぱしんとやってみた。よくわからないが楽しいので、私は密かに「壁ダンス」と名付けた。

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しばらく壁ダンスで盛り上がったら、群衆は少しだけ動いた。それからまた「しゃがんでウェーイダンス」が始まる。そして壁ダンスが始まって、また動き出す。壁タンスの歌はいつの間にか、別の曲に変わっていた。

Avanti! Popolo, alla riscosa!

進め!人民たち、解放へ!

Bandiera rossa, bandiera rossa!

赤旗へ!赤旗へ!

Avanti! Popolo, alla riscosa!

進め!人民たち、解放へ!
Bandiera rossa, bandiera rossa!

赤旗へ!赤旗へ!

Bandiera rossa, trionferá!

赤旗、それは勝利の旗!

Viva il communismo e la liberta!

共産主義万歳!自由万歳!

一瞬驚いた。それは紛れもなくイタリアの社会主義者の革命歌なのだ。確かにキャッチーなフレーズなのだが、意味はわかっているのだろうか。誰もが楽しそうに歌っている。

もしや、社会主義者のデモに参加してしまったのか、などと思ったが、雰囲気が違う。そういうことは関係ないと言えるほどにこの歌は浸透しているのかもしれない。カタルーニャ独立運動が、スペインの税制に反対する金持ち中心のものであるのに対し、バスク独立運動は労働者運動と関わっているのかもしれない。そういえば、歴史を見ても、スペイン内乱の時、バスク社会主義系の共和国側に加わっている。

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革命家を歌うお茶目な行進は時折止まり、壁ダンスを決行する。そんなこんなの繰り返しをしていると、黒ハンチングを被ったスペイン人が声をかけてきた。私は白いハンチング姿だったので、同胞というような感じだろうか。

「Hey! Brother!」と握手を求めてきたから、私もノリで、イェーイと握手を返した。するとこっちへ来いという。いってみると、私を胴上げしたいらしい。多分生まれて初めて胴上げされたと思う。

「あんた、どこの出身だい?」とアジア系の顔で、きついコックニーなまりの若い女性が聞いてきた。

「日本だよ」と答えると、

「へえ、日本かぁ。あたしあね、イギリス。ルーツはヴェトナムだけどね」と女性はいう。名前はジェニファーだという。やはりイギリスか。それにしてもヴェトナムとは、奇遇だ。私も……ヴェトナムには二度いっているから親近感がある。

「イギリスのどこ?」と聞いてみた。イギリスも二度いっているから親近感がある。

バーミンガムよ」そうか、てっきりロンドンかと思っていた。

「こっちはカール」とジェニファーは紹介した。隣にはひょろっとした感じのいかにもゲルマン系の私とあまり年の変わらないであろう男がいた。人の良さそうな顔で、カールは手を差し出した。私も握手で応じた。

「僕はベルギー出身だ」とカールは流暢な英語で言う。

「こっちはアンナ」とジェニファーは、近くにいたターバンをした女性を紹介した。握手を交わし、

「どこから来たの?」と尋ねると、

「イタリア」と答えた。

「わたしはサビナよ、スペイン人」と別の女性が言った。鼻筋の通った綺麗な顔だ。

「俺はリカルド」サビナの彼氏のような感じのワイルド系の男が言った。

「俺、カルロ」と言ったのは、先ほどの黒ハンチングの男だ。あまり英語はできないみたいだ。

「あたしたちさっきあったのよ。あんたもユースホステル?」とジェニファーが言った。そうか、さっきあったのか、いい街である。

「実はホテルなんだ」というと、ちょっとだけ驚かれたし、なんとなく階級の差を出してしまった感じがしたが、「ペンションとかオスタルが空いてなくてね」と付け加えたら、納得してもらえた。

「僕のユースが空いてたと思うけど」とカールは言った。うつるのも面倒なので、一応場所だけ聞いておいた。カールとアンナは同じユースらしい。

群衆が移動した。赤旗(Bandiera rossa)歌ったり、壁ダンスをしたりしている。私たちもその流れに乗った。今回はあまり止まらなかった。目的地があるようだ。群衆は旧市街と新市街を隔てる橋のそばに来て、やっと止まった。そこは劇場の裏で、祭りの出店がたくさん並んでいたがやってはいなかった。出店の看板にはなぜか、鎌とハンマーが描かれていて、労働者の絵が描かれている。やはり社会主義運動の団体に紛れたのか。これから打ちこわしでもするのか。まあいざとなれば仕方ない。バスク独立のため、戦ってやろう、などとアホなことを思っていると、しばらく演奏があった後で一部の人たちが二手に別れた。何が始まるのかとみていると、肩を組み、向かい合った。これはどこかでみたことがあるなと思っていると、花一匁である。だが、人の移動などはなくひたすら、「かーって嬉しい、はないちもんめ」のパートを繰り返している。でも、楽しそうだ。

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見ていると、ジェニファーに呼ばれた。そこにはガタイの良い、しかしメガネの丸顔は優しそうな北アフリカ系と思しき男が立っていた。

「この人あムスタファ。モロッコ人だよ」と紹介を受けた。

「こんにちは。よろしく」私たちは握手した。 

「よろしく」ムスタファは優しそうな声で言う。

「実は」と私は切り出した。「درست العربية في جامعتي(大学でアラビア語やってたんだ)」

「本当かい?どうだった?」ムスタファは尋ねる。

「難しかった。もうあんまりできないよ」私は笑いながら言った。

「使わないと忘れるからね。僕の英語もそうさ。モロッコではホテルで働いてて、その時に使っていたから覚えていったって感じだなあ」ムスタファはいう。

「へえ、なるほど」

「ねえねえ」とジェニファー。「あたしたち明日もここで集まるんだけどさ、あんたも来る?」

「明日は祭りの当日だろ? だから花火が上がるんだ。サンセバスティアンとかいろんな祭りで優勝した花火師が来るんだよ」ムスタファは言った。

「実は明後日までにボルドーについて、フランス語の勉強をしないといけないんだ。そのために明日にはフランスのバイヨンヌに行きたくて」私は言った。

「そうか。じゃあバイヨンヌまでの行き方を調べてあげるよ」と言うと、ムスタファはスマホを取り出して、アプリをつけた。

「ありがとう」

 

その後、パレードは解散した。だが、夜はまだ終わらなかった。一行が街の方へ向かったので、

「どこに行くの?」と尋ねると、

「どこかでもう一杯」と言うので、ついて行くことにした。ここまで来たらとことん付き合おう。

一行は旧市街の一角にある、店の前にやって来た。「マジックアワー」に出て来るホテルのように、道の真ん中にバーンとたった店だった。まるで映画のセットのような雰囲気の店に、先ほどの行進に参加していた大量の人が入っている。ワイワイガヤガヤしているが、もう1時半である。まあ、祭りにそんなこと関係ないか。

私はバルの中に入ると日本流でとりあえずビールを買った。とりあえず、と言っても、本日5杯目だ。しかし不思議と酔ってはいない。「Una cervesa, por favor(ビールください)」と頼むと、スペイン人のリカルドが喜んでいた。

みんなのところに行くと、黒ハンチングのカルロがサビナに何かスペイン語で言った。しばらくしてサビナは私に、

「カルロは日本に行ったことがあるの」と教えてくれた。

「日本のどこ? えーっと……Dondé...¿ir?」と尋ねたら、

「トーキョー、キョート、フジヤマ…」とカルロは答えた。私は意味もなく彼と握手をしてみた。カルロは、はははと笑い、私の白ハンチングをとって、彼の黒ハンチングをかぶせた。

「Brother!」とカルロは言った。

「彼の方が似合う」とリカルドが私の方を指してカルロに言った。カルロは残念そうに私の帽子を私にかぶせ、自分の黒い帽子をかぶった。

あたりは熱狂の渦に包まれていた。皆が酒を飲み、騒いでいた。私はバルの端の方にいたジェニファーに声をかけた。

「ヴェトナム出身なんだよね?」ともう一度確認したら、

「ええ。あんたは?」と聞いてきたので、

「いや、僕は日本だけど、ヴェトナムが好きで二回行ったんだ」と答えた。

「へえ、そうなんだ」

「ヴェトナムのどこなの?」

「フエだよ」とジェニファー。「フエで生まれたんだけどね、その後で家族みんなでイギリスに移ったんだ」

「フエか。今年行ったよ。ほら」と、私は写真を見せた。

「本当だね、これが私の故郷。あんまり覚えてないんだけどさ。これからどこか行きたい国とかあるかい?」

「またヴェトナムに行きたいな」と答えると、ジェニファーは爆笑しながら、

「別のとこに行くべきだよ」と言った。多分生まれ故郷というのはあまり魅力的には見えないのだろう。

「あとはインドとかイラン、トルコも行きたいな」

「いいね。いいとこだと思うよ。ところであんた本当に行くのかい?明日から祭りだってのに」

「そうだな…」私は迷いつつあった。ここで出会った連中ともう1日遊ぶのもありなのだ。「実はこの街に来た時祭りのこと知らなくて…ついさっき知ったんだ。だから今は迷ってる。残るかもしれない」と私は言った。

バイヨンヌに行くんだったら、ブラブラカーを使うといいと思う」とジェニファーは言った。

「ブラブラカー?」

「うん。カーシェアリングのこと」ジェニファーは、カールを呼んだ。「ブラブラカーのこと、教えてあげな」

「ブラブラカーは、車を持っている人と車に乗りたい人を繋げてくれるんだ。どこどこまで行きたいって登録すると、そこまで乗っけてくれるんだ。バスより安いよ」とカール。

ヒッチハイクみたいなもの?」

「そうだね。でもネット上でやるんだ」カールは言った。私は礼を言ったが、なかなかハードルが高そうな交通手段だったので使うつもりはなかった。

ムスタファのところに行くと、彼は大きなプラコップに入ったワインのようなものを飲んでいた。「これは、カリモーチョっていって、ここではよく飲まれてるんだ」とムスタファは言い、飲めというように渡して来た。味はスカッとしている。

「ワインとコカコーラのカクテルだ」とムスタファは言った。

「初めて飲んだよ、うまいね」私は言った。「ムスタファはモロッコから来たの?」

「いや、今はビルバオに住んでるんだ。ピザ屋で働いてるよ。よかったら明日来てよ。10時くらいからやってる」ムスタファはそういうと場所はサンタマリア通りだと教えてくれた。

「じゃあバスク語は話せるの?」と試しに聞いてみると、

「いいや、あんまり。挨拶程度だよ」という。

バスク語に興味があるんだ」と私は言った。

「よく使うのは、こんにちはのKaixo(カイショ)、ありがとうのEskerrik asko(エシケリクアシコ)、さようならのAgur(アグール)かなあ」ムスタファはそう言ったが、だいたいどれも知っているものが多かった。きっとバスク語で話す人は多くないのだろう。

「今までどこを旅してきたんだい?」とムスタファは尋ねた。

「まずはパリについて、リヨンとかトゥールーズを通ってバルセロナに入って、マドリードからビルバオに来たんだ。で、それから、ボルドーに行くってわけだ」と言うと、ムスタファは顔を曇らせて、

バルセロナの災難は聞いた?」と言った。

「もちろん。あの1日前にいたんだ」私は答えた。

「1日前か…ひどい話だ」しばらく沈黙があった。私もあまり話したくなかったので、

バイヨンヌまでどうやっていけばいいんだっけ?」と尋ねた。

バイヨンヌに行くには、直通がないから、フランスのエンダイエに行かないといけないよ。そこから電車に乗るか、バスだ。もしくはサンセバスティアンまで出ればなんとかなるかも」ムスタファは言った。予想外に、バスク自治州の都ビルバオは交通の便が悪いようだ。「明日までビルバオにいれば、もう少し変わるかもね。明日は祭りの日だから」

なるほど。それならもう1日いた方がいいのかもしれない。だが、ボルドーに行く前にフランスに入ってしまいたいような気もした。それに、迷った時予定通りに進んだおかげで、私はテロから救われたのだ。かなり葛藤していた。

「もう1日いたらいいよ」とカールも言った。「部屋なら僕のホステルにありそうだ」

私は少し悩みながらも、いることにしようかと傾きつつあった。花火でもなんでも来い。ここで死ぬなら、それはそれで本望じゃないか。それでも決断はできなかった。

すると、サビナが声をかけて来た。

「カルロが日本に行くかもしれなくて、その時は連絡を取りたいからメールアドレスが欲しいんだって」

私はカルロのスマートフォンに自分のメールアドレスを書いた。カルロは

「アリガトー」と日本語で言った。

「デナーダ」私はスペイン語で言った。

「そういえばみんなはどこから来たの?」私はサビナとリカルドに尋ねた。

「俺たちはマドリードから来たんだ。祭りを見にね」とリカルドが言う。グランセマナは全国で有名なのか。いわばねぶたを見にくるようなものである。

「へえ。マドリードは昨日までいたんだ」私は打ち明けた。

「そうなのね。どう?スペインは」サビナは尋ねた。

「Me gusta español(スペイン語が好きです)」とスペインが好きというつもりで答えると、

「España(スペインが)ね」

「あ…」みんなで笑った。

「あたしたちそろそろ戻るよ」ジェニファーが切り出した。カールも、ムスタファも、アンナも帰るらしい。私も潮時かもしれない。

「ブラザー、また会おう」カルロはそう言って私にハグした。

「会えてよかったわ」とサビナはスペイン風の別れの挨拶をした。リカルドとも握手を交わした。

 

ホテルまではムスタファが案内してくれた。カールとアンナは同じユースへ戻り、ジェニファーはムスタファの家に泊まっているらしい。

「また明日!」と誰ともなく声が上がった。

「もし明日もあることにしたら、会おう!」私はそう答えた。この時は、悶々とした気分も晴れていた。

10都市目:ビルボ(2)〜はしごの夜〜

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

本来なら、旅の第1部(8/10〜8/20)を書き終えて、新年の話でもしようかと思ったが、まだ終わっていないので、ビルバオの続きを話そうと思う。

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さて、やっとの思いでホテルを見つけたわたしは、外に繰り出した。もう夕食の時間だ。街も夕方の雰囲気である。わたしはホテルの人に教えてもらった、バルのたくさんある界隈に行くことにした。今日は飲みたい気分だ。いろんなことがありすぎた。それに、バルといえばバスク名物。たらふく飲もう。

まず立ち寄ったのは、大きな広場だった。スペイン式の真四角のピロティ風の広場の真ん中にはステージが設けられ、祭りの前夜祭の空気感を醸し出している。とはいっても、広場を取り囲むようにバルがたくさんあるので、誰に入るべきか迷う。わたしは何周かして、一番賑わっているところを狙う「リヨン計画(3都市目:リヨン〜リベンジするは我にあり〜 - Play Backを参照)」を実施することにした。

しばらくうろついていると、広場の入り口付近に良さそうなバルがあった。バルでの一杯やり方は知っていたが、なんとなく人恋しく、手前で飲んでいる女性に声をかけた。

「どうしたらいいでしょうか?バルは初めてで」と言うと、

「カウンターの奥の人にオーダーするのよ」と返した。女性は、すると、カウンターのところにいる人を呼んでくれた。カウンターにいる人はお皿を私にくれた。お皿をもらったということはバルの食事が始まるということだ。

「Gracias(ありがとう)」

「De nada(なんでもないわ)」

「¡Una cerveza, por favor!(ビール一つお願いします!)」と店のおばさんに頼んだ。それから、生ハムピンチョスを指差した。バスクはバルの本場であると共に、生ハムの本場でもある。それから青魚も。要するに、バスクは呑んべえ天国である。

バルは立ち飲み屋のようになっていて、店内も大きくないので人がワイワイガヤガヤと詰め込まれている。私はビールを飲み、ハムをつまんだ。うまい。誰かと話したかったが、周りにいる人たちは団体客ばかりであまり声をかけやすそうではない。残念だが、仕方ない。今までの旅の中で、これほど人とのつながりを求めたことはないし、普段だってそうだ。だが、この日はそれが必要だった。

私は会計をすませると、すぐに別の店に移ることにした。空腹のまま広場をうろちょろしたが、どこに入るか検討がつけられない。どこも繁盛していそうだった。それなので、「バル・ビルバオ」という由緒正しそうなバルに入ることにした。適度な混み方だ。

「Kaixo!(おばんです)」とバスク語で挨拶をして、席に着いた。バルを切り盛りしている人は忙しそうだ。声をかけるのも大変そうである。それにどの人も、どことなく顔つきが険しく、筋肉質だ。しかし、とりあえず……

「Una cerveza, por favor(ビールを一杯)」と頼んだ。それから、お皿をもらってゲームスタートである。

今まであまり説明しなかったが、一応ここで説明しよう。バルのルールは単純である。まず、挨拶、それから、お皿と一杯目をもらう。お皿をもらったら、基本的に、自分の手の届くピンチョスは自分で取る。ピンチョスは大抵、下にパン、上に生ハムや魚などの「ネタ」が乗っており、それを貫くように爪楊枝がぶっ刺さっている。この爪楊枝が大事だ。「君の名は」よろしく、「爪楊枝が入ってるんですけど」とクレームをつけるわけではない。そうではなくて、この爪楊枝の数がとったピンチョスの数になるのだ。だから会計の時は、その爪楊枝の数を数えて、店員に申告する。回転ずしで例えるなら、お皿になるわけだ。みなさんも、バスク地方に行く機会があったら試してほしい。まあ、このような知識、なければない方が、会話の種になって良いのだが。

席に着いてみると、どうだろう。目の前に、昨日、一昨日とマドリードで通い詰めたバルで私が気に入った青魚にドライトマトを乗せたピンチョスがあるではないか。私はすぐさまそれを取り、パクリと食べた。マドリードの方が味が薄く、食べやすかった。しかし、しょっぱいビルバオスタイルのピンチョスも、酒と一緒となるとかなり場に映えてくる。しょっぱさが口に残っている中に、ぐいっとセルベサ(ビール)を流し込めば、気分も最高だ。

その勢いで、私は幾つかピンチョスをぱくつきながら、ビールを飲んだ。どれも味が濃いめで、酒が進む味だった。極上のピンチョス、とまではいかないが、飲み屋としては良いのではないか。などと、評論家ぶっていると、バスク人のおっさんが入ってきて、店員に、

「Aizu! Txacolia mesedez(アイスゥー!チャコリア・メシェデス:ええが?チャコリさ、一杯ほしいんじゃけんじょ)」と頼んだ。

チャコリ。それはバスクの地酒だ。スペイン語会話でも、バスク語の本でも目にした単語だった。これは試さずにはいられない。わたしも、

「Un chacoli, por favor(チャコリを一杯お願いします)」とビールを飲み干すなり頼んだ。いかつい店員が、おもむろに瓶を取り出し、高い位置からグラスにじょぼじょぼじょぼっとチャコリを注いだ。高い位置から、まるで「相棒」の杉下右京のごとく、あるいは中川家の真似するお茶を入れる中国人のごとく、注いで見せるのが、チャコリの飲み方のようだった。

目の前に置かれたのは、シャンパンのようなお酒だった。スパークリングで、白。私にとってシャンパンは好きでも嫌いでもない代物だったので、案外普通だなあという気分で飲んでみると、そこまでの驚きがあるわけでもなかった。強いて言うなら、フルーティで甘い。酸っぱさよりも、どことなくメロンを思わせるすっきりした甘さがある。飲みやすいので、すいすい飲めてしまう。

ふと左に目をやると、スタイリッシュなおじさんが一人で飲んでいた。おじさんはスペイン語ができないのか、身振り手振りで店員と会話している。例えば、奥の方にあるピンチョスがほしい時は、「卵のやつ」程度の英語を話しながら、大皿を指差す。すると店員は、隣にいる女性の店員の方を悪戯っぽく指差して、「この子がほしいの?」という顔をする。おじさんははははとごまかす。店員はボケるのをやめて、お皿から卵を持ってくる。多分このおじさんも一人旅の旅人なのだろう。

「Hola(こんにちは)、旅行者ですか?」とわたしはおじさんに声をかけてみた。

「ええ、そうです」とおじさんはちょっと驚いたように答えた。

「僕もです。どちらから?」と私は言った。

「フランスです」おじさんは答えた。

「へえ。Je parle français un peu(フランス語ちょっとだけ話せます)」と私は言ってみた。おじさんはますます驚いた顔をした。それから何やら言ったのだが、周りがうるさくて、聞き取れなかった。多分フランス語だ。

「Pardon?(もう一度お願いします)」というと、

「ヨーロッパは長いんですか?」と英語で言う。英語になってしまったが仕方あるまい。

「いえ。これはヴァカンスなので、日本から」と答えた。

ビルバオはいつからいたんです?」

「実は先ほど着いたばかりなんです。実を言うと、祭りの前だって知らなくて、危うくホテルを取れないところでした」私はちょっと笑いながら先ほどまでのことを話した。

「で、結局取れたんですよね?」とおじさんは不安げな表情で尋ねる。

「ええ、なんとか。でも、僕のような貧乏な学生旅行者にとっては高いホテルになってしまいました」私は慌てて付け加えた。

「わかりますよ。私だって昔は学生でしたからね。私の方は、ビルバオの祭りのことは知っていたので、ネットで予約しましたよ。でも、明日には出ないといけないんです」おじさんは言った。

「僕もなんです、残念ながら」

「そうかあ……」

ビルバオにはいつからいらしたんですか?」

「わたしは、二日前です。このバルもずっときていますよ。ここの人たちは本当に面白い。あなたはどうしてこのバルに入ったんです?」おじさんは尋ねた。

「ええっと……人がたくさんいたからです。あなたは?」と答えるとおじさんは笑って、

「ガイドブックに書いてありました」なーんだ、そういう店なのか。有名なようだ。確かに、バルの中には、スペイン人の他に、ドイツ人などいろいろな人がいる。さきほど、スペイン語が流暢で神経質そうなドイツ人のお母さんがオーダーしていた。おじさんは、さらに「スペイン中を旅しているんですか?」と尋ねてきた。

「フランスとスペインです」私は答えた。

「そうか、フランスにもね。どこに行ったんですか?」

ストラスブールディジョン、リヨン、アヴィニョンニームトゥールーズ……それから国境を越えて、バルセロナマドリード、トレドです。明後日からボルドーでホームステイをするので、明日にはスペインを出てバイヨンヌにいくつもりです」と、答えると、おじさんは、

バルセロナの不幸(disaster)を聞きましたか?」と言った。

「ええ、あれの1日前にバルセロナにいました」私は答えた。

「実は私もそうでした。それからビルバオに来たので」奇遇なことだった。同じような人がいたとは。となると、駅か何かですれ違っていたのかもしれない。しばらく神妙な雰囲気が流れたが、おじさんは話題を明るくしようと、

「どこが一番でした?」と尋ねた。

「難しいですね……バルセロナが大好きでした」私はそう答えた。おじさんは悪戯っぽく、

「フランスは?」と聞いてきた。

ニーム、好きでしたよ」とこたえると、おじさんはゆっくりと頷いていた。

「大学では何をやってるんです?」おじさんは尋ねた。

「哲学です。フランス哲学をやっています」哲学は日本と違ってフランスでは随分と市民権を得ている、そんな情報があったので、私はあえてアピールしてみた。

「哲学かぁ。もう忘れてしまいました」おじさんは笑った。「誰のやつですか? デカルト? パスカル? ルソー?」

ベルクソンです」私は答える。

「ああ、知ってますよ。でも忘れましたね、内容は。私は建築家をやってます。だからアートが好きでしてね。ヨーロッパを回っては見ています」

「アートですか、いいですね」

「グリュッケンハイム美術館みました?」とおじさん。

「まだ行ってません。ビルバオに着いたのが6時くらいでしたからね……」私がそういうと、おじさんは、

「あれは見たほうがいい。最高ですよ」と言った。

「へえ、行ってみます。そうだ、バスクに興味があるんですけど、バスク文化の博物館とかありませんでしたか?」私は尋ねてみた。昨日のトレドのセファラディーム博物館のようなものをみたかった。

「いえ、残念ですけど」

しばらく沈黙があった。わたしは、

「ここの料理でどれが一番良かったですか?」と尋ねてみた。それを食おうと思ったのだ。

「そうだな、卵かな。卵は美味しかったです。あと、あのサーモンと、ハム」おじさんはそう答えた。

しばらくして、おじさんは「私は川沿いを散歩してから帰ります」と答えてバルを後にした。私は、おじさんセレクトのサーモンのピンチョスを、チャコリと一緒に食べ、それから会計のサインを出した。

「¿Tres?(三つかい?)」と厳ついおっさんが言った。

「No, seis(いや、六つ食べました)」私は誠実に答え、バルの会計を済ませた。

 

 外に出ると日暮れの時刻だった。今まで日暮れ前には帰っていたが、今日はまだまだ飲み足りぬ。そう言う夜もあるものだ。テロにあっちゃいけない、危ない目にあっちゃいけないと思う一方で、どうなってもいいような気もしてくる。私は半ばやけくそだったのか、夜のビルバオを徘徊した。

広場の外にも、バルはごまんとあった。しかしどれもなんとなく入りづらい。やけくそな割には、入る店を選んでしまうのだ。私は交流が欲しくて、地元民たちが歌っているバルに当たりをつけた。その店の向かいにも虹色の旗を掲げたバルがあって盛況だった。そう言う地区かもしれないが、構うまい。

「Kaixo!(おばんです)」と声をかけて、バルの席に着いた。そこは二人の男性に切り盛りされていた。カップルかもしれない。

くる前にバスク語をちょっとやったので、私はここはバスク語で行こうと心に込めていた。それなので、私は、

「Txacolia mesedez(チャコリさ、いただきたいんだけんじょ)」と頼んだ。店員のピアスをした男性は少し驚きながら、静かにチャコリの瓶を出し、上から注いだ。

チャコリを手に入れた私は、カウンターにのるピンチョスを指差して、

「Mesedez!(いただきたいんだけんじょ!)」と頼んだ。これにあたる単語を忘れたのである。こんなもんだ。

店員は無言のままさらに取ってくれた。少なくとも通じてはいるようだ。

「Eskerrik asko(エシケリク・アシコ:ありがとなし)」と答えると、店員はぺこりと頷いた。

見回してみると、店は何かの競技のグッズであふれていた。それは、アスレチックビルバオというサッカーチームのものらしかった。白地に赤い線が入ったユニフォームにはたくさんのサインが書かれている。ビートルズアビーロードのジャケットにでてくるビートルズの四人にユニフォームを着せた写真が飾ってある。

カウンターの隣には常連と思しきおじいさんおばあさんがいて歌を歌っている。いい雰囲気だ。なんとなく、「紅の豚」にでてきそうである。

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親戚は関西、生まれは山梨、育ちは埼玉、途中で1年間ベルリン、そのあとは東京で長く暮らしている私にとって、こうした「地元」感は憧れの的だ。昔はちょっと面倒だなと思っていたし、いざその場にいると嫌なのだろうが、こうやって知った顔で飲み明かし、祭りをやるっていうのには憧れる。ビルバオ人でもないくせに、どことない郷愁を感じた。

もう一人の店員が近くにやってきて、何やらスペイン語で尋ねてきた。だがわからないので、

「Perdon, ¿habla ingres? Porque no puedo...(すみません、英語話しますか?あの、スペイン語は僕は…)」

「ああ、そでしたか。すません。あなたを見たことがあります、たぶん、雑誌かテレビで…」と店員、というかオーナーらしき男が言う。誰に見間違えられているんだろう。

「ええっと、たぶん違う人ですね。僕はフツーのただの日本人旅行者で…」と私は状況を面白く感じつつ、少し戸惑いながら、言った。

「すみません」店員は会釈をして向こうの方に行ってしまった。わたしの表情が固かったのか。少し反省をして、店員を呼び止め、目の前にあったトマトソース色の煮込みの器を指差して、

「これはなんですか?」と尋ねた。

「これは、レバーの煮込みです。ソースはビスケーズ風」と店員が答える。要するにモツ煮込みというやつだ。うまそうではないか。ビスケーというと、バスク地方近郊の海だ。私は一つ頼むことにした。飲み物が足りなかったのでもう一杯チャコリを頼んだ。ビールも含めてバスクの酒は不思議と酔わない。

店員がカウンター上の煮込みをチンした時は、おっ?と思ったが、まあいいだろう。大衆食堂なのだから。味はというと、ビルバオ風ピンチョスの味に慣れてきたせいか、ちと薄いように感じたが、うまかった。モツもうまい。チャコリは相変わらず風味豊かで口の中に甘さが広がる。

しばらくその店にいたあと、私は会計を済ませて外に出た。11:00くらいになっていた。だがホテルに帰る気分にはならなかった。高めのホテルだし、門限はないだろうし、単純に今すぐに寝たくはなかった。まだ、ダメだった。そう思いながら夜の街を歩いていると、向こうの方でブラスバンドの音が聞こえてきた。行ってみるしかないではないか。

10都市目:ビルボ(1)〜危機一髪〜

バスはひたすら、一面に広がる荒野の中を走っていた。太陽が照りつけ、地面に生えるのは短い草ばかり。遠くには剥き出しの山の稜線が見えていて、時々、道を見下ろすように、丘には牛の形をかたどった看板が置かれていた。テレビで見たことのあるスペインの風景が、だいたい、BGMでジプシーキングスがかかっているようなあの風景がバスの外側には広がっていた。しかし残念なことに窓際ではないので、全体的に見えるわけではない。それでもいい。バスの旅には変わりない。とにかく、流れてゆく荒野の風景を見ているだけで、心の癒しになった。

途中レルマで休憩が入った。わたしはそこのインターチェンジで水を買ったのだが、そのインターチェンジの様子は、イタリアやカナダのものと差して変わらなかったため、どこも同じなのだなと思った。10分もすれば、バスはまた動き出し、一路ビルバオをめざす。風景はやはり荒野である。4時間45分の長旅。しかし、それくらいがちょうどいい。そのうち、このバスから出たくなくてたまらなくなってくる。

16:00になると、風景が変わってきた。徐々に山が険しくなり、そびえ立つようになる。石ころしかなかった荒野には徐々に木が生え始める。高い山と山の間には大きな雲がある。バスはそこを突っ切った。するとどうだろう、岩山の風景にはまばらに木が生え始め、最後には日本で見慣れた緑の山へと大変身してしまうのだ。あたりは緑で溢れた山の風景に変わった。道は山道、曲がりくねっていて天気も悪い。先ほどの太陽は信じられないくらいだ。山道に時折見える小さな家は、白壁に赤の屋根。この土地特有の風景だという。

 

ビルバオは、イベリア半島の中でも「湿潤スペイン」という地域にある。全体的に乾燥した気候のイベリア半島の中にあって、湿潤スペインでは緑が生い茂り、雨が降っている。実際にバスで走ってみて変化の激しさに驚いた。先ほどまで荒野だったのが、いきなり緑になるのだ。

湿潤スペインと別の地域にはもう一つ大きな違いがある。それは、民族である。この土地は、バスク人の土地なのだ。スペインは、大雑把に言って、スペイン語カスティーリャ語)を話す地域、カタルーニャ語を話す地域、ガリシア語を話す地域、そしてバスク語を話す地域の四つに分けられる。このうち、カスティーリャ語カタルーニャ語ガリシア語は、それぞれ紆余曲折を経てきたとは言っても、結局のところラテン語の子孫である。つまり、かつてヨーロッパ全域を支配したローマ人の言葉を話す人たちの子孫だ。ところが、湿潤スペインに住むバスク人たちが話すバスク語は、ラテン語はおろか、英語やロシア語、アイルランド語とも全く違う(印欧語族ではない)言語なのだ。諸説あるが、このバスク語、ローマ人やケルト人といった今のヨーロッパ文明を築き上げた人たちがイベリアに入ってくる前に存在した「原イベリア人」の言葉なのではないかという説もある。とにかく、ここはちょっと他とは違うのだ。

百聞は一見に如かず。朝の挨拶を見てみれば、バスク人の言葉がいかに周りと違うのかがわかるはずだ。

スペイン語:Buenos dias

カタルーニャ語:Bon dia

ガリシア語:Bos dias

フランス語:Bonjour

バスク語:Egun on

そんなバスク人たちは、漁業と牧畜を営み、独自の文化を持っていた。ローマ帝国もなかなか手を出せなかったくらいだ。雨の多い山奥に住んでいたことも、他の敵を寄せ付けづらかった理由の一つである。ローマが滅亡し、ゴート人が入ってきた時もマイペースだったが、イスラーム勢力が入ってきて、ゴート人貴族ペラヨがバスク人の土地に亡命してきた時から、バスクの歴史は動き出す。彼らはペラヨが作ったアストゥリアス王国の成立の手助けをしたのだ。ところがピレネー山脈の北側でフランク王国が成立し、だーっと南に征服の魔の手を伸ばしてきたとき、バスク貴族たちは、北のフランク南のウマイヤ朝のどちらにつくのかを迫られることになる。そんな最中、バスク人は「どちらにもつかない」という決断を下す。それを指導したのがイニゴ・アリスタという男だった。彼はパンプローナを中心に独立したパンプローナ王国を立ち上げたのである。といってもこの国は結局南のイスラームの国コルドバの勢力身長とともに衰退していく。その代わりに、パンプローナではなくナバラというバスク人の王国が力を徐々につけてゆくのだった。

その後、サンチョ2世という国王が現れ、ナバラ王国を強化、さらにサンチョ3世の時代には、あろうことか、アストゥリアス王国の末裔であるレオン王国レオン王国から独立したカスティーリャ王国、そしてあのバルセロナを収めるアラゴン王国といったキリスト教勢力の雄国たちを次々と平らげ、北スペインを統一するに至る(戦争よりも、政略結婚でそれを成し遂げた)。サンチョ3世は自らを「ヒスパニア皇帝」と名乗ったという。彼は現在世界遺産に登録されている「サンティアゴデコンポステーラの巡礼路」を整備、中世ヨーロッパに「大巡礼ブーム」が捲き起こる下地を作った。しかし、サンチョ3世が死ぬや、国は崩壊、それ以降ナバラは弱小国家に成り下がる。ナバラ王国の王は最後にはフランス人のものになり、その領土はスペイン王国に併合されてしまった(ちなみに、ナバラ王国の王になったフランスの家は「ブルボン家」であり、ブルボン家エンリケ王はフランスの内戦に参戦して勝ち上がり、フランスのブルボン朝の開祖となる。アンリ4世である)。

スペイン王国は、カタルーニャに対してと同様に、バスク人の言葉バスク語を禁止した。特に、フランコ独裁政権下では、弾圧されもした。バスク人たちは結束し、独立を求めたが、毎度失敗した。フランコの軍隊と共和国軍の戦いであるスペイン内戦勃発時は、バスク人たちは強烈にフランコ軍に抵抗した。フランコを支援するナチスドイツは、空軍機をバスク地方ゲルニカに向かわせ、無差別に空爆をした。これは有名な話で、ピカソの絵にもなっている。フランコ政権崩壊後、バスクは自治州となった。しかし、バスク人たちはそれだけでは納得せず、フランコ時代に組織されたテロ集団「ETAバスク祖国と自由)」が幾度となくテロを繰り返していた。この抵抗運動が終わるのは、つい最近である。ほんのつい最近、ETA武装解除をしたという。今では独立といえばカタルーニャだが、かつてはバスクの方がぶいぶい言わせていたのである。

 

うねる山道を通っていると、先ほどまで雨が降らんばかりの分厚い雲だったのが、少しだけ晴れた。太い川が流れる町があわられた。さっぱりした町だ。マドリードバルセロナの「Ah ah...果てしないー!」という大都会感はなく、フランスの街ともどこか違う。なんと言えばいいのかわからないが、こざっぱりとしている。

バス停はいつもと違って地上にある。地方都市のバスターミナルって感じだ。バスが停車し、わたしもバスを降りた。空気はスッとしていて、涼しかった。昨日までのうだる暑さが嘘のようである。わたしは人の流れに従って、駅の方へ向かった。訳あってWiFiに接続したくなかったので、スクリーンショットしておいた地図を頼りにツーリストインフォメーションを探すことにした。

 

やけに近未来的なビルバオの地下鉄を使って、アバンド駅に着いた。駅の表示はやはり、スペイン語カスティーリャ語)とバスク語の二言語だ。アナウンスも、である。といっても、発音の雰囲気はそこまで変わらない。

アバンド駅を出て、グランビアなる道を歩いた。とにかくかがたくさん植わっていて、気持ちの良い涼しい風が吹いている。風通しの良さそうな服を着た女性たちが歩いている。建物はどことなくスイスのチューリッヒにあったものに似ていて、バルセロナマドリードよりも、ヨーロッパっぽいなと感じる。

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インフォメーションがあるのではないかと、グランビアのはじにあるロータリーをくるくる歩いたが見えるのは銀行とブティックばかり。どうしたものかと思って確認すると、自分が全く違うところにいると気づいた。わたしは仕方なくグランビアを逆戻りして、アバンド駅の近くにある中央駅へ向かった。インフォメーションはその側にあるはずだった。だが、探せども探せども見当たらない。

結局、全く見つからず、仕方ないので旧市街に入ってホテル探しをすることにした。またあの近未来的な地下鉄で、旧市街があると思しきサスピカレアック駅を目指した。

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ビルバオの地下鉄は、どの駅もシルバーで、長い動く歩道があって、なぜだか月エレベーターを思い起こさせられる。まるでSFである。それが、旧市街の駅サスピカレアック駅もそうなのだから笑えてくる。長いエスカレーターを登ると、見えてくるのは月面ではなく、古い建物に囲まれた広場だ。

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道幅の狭い旧市街の道を歩くと、まず町の色がバルセロナマドリードと違う方に気づく。マドリードの白、バルセロナサフラン色にくらべ、ビルバオはどことなくくすんでいるのだ。いわゆる石の色だ。山の石を使っているのだろうか。

バルコニーには花があり、建物と建物の間にはイルミネーション用のライトがつる下がっていて、バスクの旗がかたどられている。数メートルおきにバルコニーにバスクの旗が掲げてある。ビルバオ新市街のグランビアを歩いていた時はあまり感じなかったが、旧市街に来るとやはりわたしはバスクにいるのだなと感じる。

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旧市街は人で溢れ、時々ストリートミュージシャンが演奏している。しかも、ただのストリートミュージシャンじゃない。むしろ、パフォーマーというべき人が多くて、例えば操り人形にピアノを弾かせている人は、ずっと同じところでやっていた。またはなんだか浮かれムードであった。

いい街に来たかもしれない、とわたしは思いながら、ホテルを探した。オスタルがよかったが、ペンシオンという似たような感じのものを見つけたので、わたしは階段を登って入ってみた。

映画をモチーフにしたペンシオンのようで、映画俳優の写真がたくさんかかっていた。NHKスペイン語番組に似たようなのが出て来たので、驚きはしなかった。しかし問題はフロントの人がいないことだ。声をかけても出てこない。わたしは別を当たることにした。

旧市街にはたくさんのホテルがある。先ほどのペンシオンの向かいにも別のペンシオンがあった。階段を上ると、フロントにおばちゃんがいたので、

「¡Holà! ¿Hay una habitation libre?(こんにちは、空いてる部屋はありませんか?)」とテレビ受け売りのフレーズを使ってみた。

「No. Lo siento...(いえ、ありません。残念だけど…)」とおばちゃんは言った。今まではこういう展開はあまりなかったからちょっと驚いた。だが、仕方ない。別を当たることにした。

そのすぐ側にあるオスタルに入ろうとすると、インターフォンのところに「Completo(満室)」の張り紙がある。別のところもそうだった。わたしは徐々に自分がとんでもなく良くない状況にあることを悟りつつあった。

そのあと、何軒か張り紙のないところもあったが、階段を上っていざ聞いてみれば、満室だった。時刻は7時半を回ろうとしていた。わたしはWiFiを取り出し、起動して、ユースホステルの場所を検索した。そしてそっち方面に行こうと、川を超えてみたものの、どこを探しても、ユースホステルの影すら見えない。日も傾き始めて徐々に心細さも募って来る。

バルセロナで難を逃れた。生きているし、バスク地方までやってこれた。しかしこれも運の尽き。この町の路上で野宿なのか。にしてもビルバオはどうしたんだろう。なぜこうも満室が多いのか。街並みも山並みも美しいが、気分はそれどころではない。外の気温は涼しいが、変な汗をかいてくる。ストリートパフォーマーの曲は切なく、操り人形は気力なく操られる。

その後何件かいっても無駄だった。ユースホステルに空きがないことはないから、何とかしてユースを見つけねばならない。わたしはまた電車に乗ろうと思ったが、最後のあがきと目に入った川のそばのホテルに入ってみた。三つ星(最高は五つ星、普通は二つ星か、一つ星に泊まる)だが、仕方ない。他に宿がないのだ。

 

ホテルのフロントは、フロントらしい感じで、カーペットが敷かれていた。すごく良いホテルのようだ。つまり、わたしのような貧乏旅行者からすれば、非常に良くないホテルである。

「¡Holà! ¿Hay una habitacion libre?(すみません、部屋はありますか?)」と駄目元で聞いてみる。フロントのぽっちゃりしたお姉さんは、コンピュータを覗き込んだ。またダメなのか…そう、希望を失いかけた時だ。

「Si, hay una habitacion.(ええありますよ)」

普段なら驚かないことだが、この時ばかりは驚いてしまった。野宿は免れたのだ。値段が100ユーロ以上したので少し緊張したが、15000円くらいなので日本のホテルからしたらやすい方だと自分を無理やり納得させた。今まで二日で7000円とかやってきたので予定外の出費だが、なんとかなるだろう。わたしはこのホテルに泊まることにした。

「どこも満室で…なので良かったです」わたしは英語で言った。

「明日はビルバオにとって大きな日ですから」とフロントの女性は言った。

聞いてみると、バスクの祭りグランセマナが明日始まるらしいのだ。そうか、だから部屋が満員だったか。調べたほうがいい時もあるな。わたしは少し反省した。お姉さんは祭りのチラシをくれた。しかし、残念ながら、明日にはビルバオからフランス領内に入らねばボルドー留学に間に合わない。とりあえずチラシだけもらって、わたしは部屋へと上がった。

中央駅のそばにあるオテル・アレナルはこざっぱりとしていた。階段を上ると木を基調とした廊下があり、所々にバスクのスポーツであるペロタの写真が飾ってある。ペロタとは、スカッシュに似たゲームで、壁打ちをするゲームだ。普通と違うのは、ラケットを使わず、手を用いることである。ボールを手でバシンと打って、壁にぶつけ、跳ね返ってきたものを相手が手で打ち返す。これ、ならないと痛いらしい。テレビのスペイン語の番組で、出演していた俳優の平岳大が悶絶していた。

部屋は広かった。かなり綺麗で、今までのところとは大違い、強いて言うならイビスに近い。テレビをつけると、バルセロナのランブラス通りが映っていた。花がたくさん置かれ、カタルーニャ首相のプッチダモンだけでなく、スペイン首相のラホイまでいた。このツーショットはもう二度と見れまい。

過酷を極めたホテル探しがやっと終わって、張っていた神経もあって、わたしはしばらくホテルのベッドに横たわっていようと思った。が、それはそれでなんとなく滅入りそうなことでもあった。夕方のような空模様だが、一応もう夜の8時、出かけるとしよう。

あの日

30分バスに揺られ、マドリードについた。それから電車を乗り継いでわたしはオスタルに戻ることにした。洗濯物を取り込みたいし、少し休んでから夕食に出かけたかったからだ。

オスタルに戻ると、何やらパーティのようなことをしているらしく、オスタルの人々は忙しそうで、向こうの方からガヤガヤと声が聞こえていた。鍵をもらって、部屋に入り、いつもの癖でテレビをつけて、わたしは部屋に干してあった服をたたんだ。一通り作業が終わったので、テレビに目をやると、暴動のような映像が出ていた。そういえば昨日も南米の方で起きた暴動を報道していた。まだ続いているのか。テレビの中では大勢の人が逃げ惑っていた。

何か、不穏な予感がしたのかもしれない。

この暴動の様子はいったいどこなのだろう、とわたしは突然気になり、画面に出ている地名に目を凝らした。一瞬、なんのことかわからなかった。もちろん、アルファベットだから読めないわけではない。だが、そこに書かれていた文字は、納得のゆくものではなかった。

「BARCELONA」

見間違いか、いや、そうではない。それならたぶん、南米にも同じ名前の町があるはずだ。だって……こんなことがつい昨日までいた町で……

画面が切り替わる。大きな広場の画面だ。見覚えのある幾何学模様だった。紛れもなく、人が逃げ惑っているのは、カタルーニャ広場だった。逃げている人によってスマートフォンで撮影された映像は、紛れもなくランブラス通りだった。そこまで生々しく移されても、わたしは信じることができなかった。

テレビ画面に映る映像はあまりに画質が悪く、嘘みたいだった。それに、もちろんのことテレビはスペイン語なので、何を言っているのかもわからない。わたしは念のためにスマートフォンをつけて、日本ではまだ夜中なのでどれくらいの報道があるかはわからないが、検索してみることにした。案の定、ほとんど出ていなかった。しかし、一つだけ該当するものを見つけたので、見てみると、さらなる衝撃がわたしを襲った。現場は、ランブラス通り。わたしが昨日までよく歩いていた場所だ。そして犯人グループは、トルコ料理屋に立てこもっているという情報もあるらしいが、そのトルコ料理屋は、わたしが見かけたものだった。駅は封鎖されていて、その封鎖に該当されている「リセウ駅」とはわたしの最寄駅だった。全部、知っているところだった。

 

2017年8月17日17時頃、バルセロナでテロが起きた。わたしがバルセロナをたったのは8月16日の午後だから、ほんの1日ずれていれば、巻き込まれていたに違いなかった。車が目抜通りのランブラス通りに突っ込み、13人が死亡、100人以上がけがをした。IS(イスラム国)が犯行声明を出したらしい。スペインではここ数年のヨーロッパのテロに関係したものはあまり起きてこなかったから、衝撃的な出来事であった。

この日のことは、今でも生々しく覚えている。だからこそ、上手く書くことはできないかもしれないが、今後の旅にも、もっといえば今現在にも大きく関わっていることだから、書いておきたい。そんな、記事になる。普段から読んでいない方にも、普段から読んでくれている方にも、良い内容かどうかはわからない。だが、書くことに意味がある。どうか、許してほしい。

 

とりあえず両親に連絡し、ツイッターフェイスブックにも、無事であるという旨のことを投稿した。しばらく整理もつかぬまま、わたしはベッドに横たわり、ただテレビを見ていた。レストランに行く気力はなかった。

昨日、バルセロナで、わたしは本気で延泊するかどうかを悩んでいた。時間帯的に、延泊したとしても巻き込まれなかったかもしれない。だが、それでも間一髪だったのは確かだった。偶然、マドリードに移動したほうが楽で良いと判断した。ほんの偶然だった。それを思うと、胸の奥に、今まで感じたことのないものをかんじた。胸の奥に冷たい釘が縦にすーっと差し込まれ、寒くもないのに、体が震えた。恐怖で震えているのか、それもわからない。わたしは何も感じられなかったし、何も考えられなかった。怒りも、悲しみも、感じなかった。ただ、1日とはいえ、楽しく会話をしたウェイターの無表情なお兄さんや、オスタルのちょっと怖い目のきりっとしたお姉さんや、優しそうなおばさん、駅にいた人たちは今もバルセロナにいるのだということを思うと、胸の底が乱れた。人々が逃げ惑っているあのカタルーニャ広場にいた、シャボン玉を作るおじさんも、そのシャボン玉を果敢に壊しにいく少年少女も、まだバルセロナにいるのだろう。お前はラッキーだった、とその後行く先々で言われた。しかし本音で言えばそのような気になど絶対になれなかった。行ってみて、心から好きになったあの町で、テロが起きたのに、自分のラッキーさに感謝することなんてできない。こういうことがあって、神を信じるようになる人もいるかもしれない。だがわたしは余計に神など信じられなくなった。だって、神がいるなら、全員助けるべきだ。

わたしはしばらく、呆然とテレビを見ていた。たまにツイッターに心配して声をかけてくれる人に返信したり、やっと在バルセロナ日本領事館からの連絡が来たので見ていたりしながら。まだ現実感がない。だが、テレビは淡々と、バルセロナの映像を流した。やはりカタルーニャ広場の映像は、今でも記憶に残っているし、あの時も、見ていて一番苦しかった。それを見るたびに、あのシャボン玉のおじさんと少年少女の攻防戦を思い出すのだ。

時刻は20時を回っていた。とりあえず、食事に行こう。今は少し酒が必要だ。といっても、わたしは酒に強いようなので、どうも酒をあおったところで全てを忘れられるわけではない。だが、バルに行けば、誰かと交流できるかもしれない。今は人とのつながりが必要だ。わたしはベッドから起き上がって、顔を洗った。同時多発でマドリードで起こらないとも限らない。そう思うと胸の奥で何かが動くのを感じたが少し深呼吸して、わたしは外に出た。

 

昨日行けなかったハムのバルを目指したがしまっている。多分バカンスだ。わたしは昨日行ったバルにもう一度行くことにした。マドリードの街はごく普通に動いている。グランビアのところに、昨日は見なかった警察のバンはいるが、他はそこまで大きな変化はない。わたしはなぜか、なんでこんなに普通でいるんだ、と腹が立った。冷静に考えれば、マドリードバルセロナはかつては違う国だったくらいだし、結構距離もある上に、スペインは自治州国家で、バルセロナを中心とするカタルーニャも大きな自治権を持っている。だから、遠い話なのだ。そこまで警戒しないのもわからなくはない。関西に親戚のいない東京の人だって、きっと京都でテロがあっても、「怖いねえ」で済ますに違いない。それでも、警戒していて欲しかった。だからなんだというのかは自分でもわからない。

バルに入ると、相変わらず賑わっていた。自分で行っておいて、どうしてみんな普通なんだと思わなくもなかったが、わたしはそれを必死で抑え、昨日対応してくれたマット・デイモンっぽい店員に声をかけた。

「また来たよ」というと、

「おお、きたね! ビール?」と言った。まるで常連だ。わたしは少し気を良くした。わたしはビールをオーダーし、タパスを一皿取った。昨日気に入った、青魚にドライトマトが載っているやつだ。相変わらず美味い。だが、誰かと話したかった。わたしはたまたま隣にいたおばさんに、¡Hola!と声をかけてみた。おばさんは、¡Hola!と返してきたが、それ以上の展開はなかった。マットも忙しそうで、話し相手にはなってくれなかった。なんだか胸の奥がしぼむような気持ちになった。

結局、数皿食べて、店を後にした。

 

夜道は相変わらず治安が良さそうだ。二軒目に行こうかとも思った。だが、なんだか気分が乗らなかった。オスタルに戻ることにした。

シャワーを浴びながら、今後のことを考えた。まず、明日はバスク地方に移動する予定だったが、列車を使うべきか。さらに、目的地は始め考えていた花火大会をやっているというサン・セバスティアンでいいものか。サン・セバスティアンはやめておくことにした。何が起きるかわからなかったからだ。と言ってもバスク地方は全体的にこの時期は「グラン・セマナ」という祭りの一週間であり、どこに行っても変わりはしない。だが、サン・セバスティアンは最近観光リゾートとして有名になっており、もしテロリストが襲うとしたら、間違いなくサン・セバスティアンだった。だから、バスク自治州の中心地ビルバオに行き先を変更した。さらに、バルセロナからマドリード間は規制がかかっているという話を聞いたので、ビルバオ行きであっても列車はやめておこうと思った。今日行ったバス停から、バスに乗ろう。

 

こういうのは初めてではなかった。一昨年も、ドイツからフランスへタリースという列車を使った直後に、タリースでテロ未遂があった。さらにその旅で泊まったパリの宿のそばで、同時多発テロもあった。だが、こんなにもすぐに、こんなにも思い入れを強めた街で、それもこんなにもホテルの眼の前でテロが起きたことはなかった。いつもは「ギリギリだった」とくらいに思うが、今回はそれでは済まなかった。もし本当に望み通り延泊をしていて、あの時間帯までいたら、死んでいたか、大怪我をしていたか、もっと可能性のあることとしては、ここ数週間はバルセロナから出ることができなかっただろう。そもそも、最寄で使っていた駅が封鎖中なのだ。

次はない。

ふとその言葉が脳裏によぎった。次はない。次起きる時は、巻き込まれる時かもしれない。そんなことはないかもしれないが、そう思って行動する覚悟は持つべきだ。なにせ、この後、一週間パリにいくのだ。パリはシャルリー・エブド事件以降テロが立て続けに起きている。警備はスペインよりすごいが、その警備があっても同時多発テロシャンゼリゼ通りのテロも防げなかった。みんな忘れているが、フランス共和国は今、国家非常事態宣言発令中なのだ。昔なら、バルセロナで事件が起きた今、きっとどこも警備が厳重になって安全になると思ったことだろう。だが、マドリードはのほほんとしている。心を決めておこうと思った。いつも、旅の前は覚悟は決めている。だが、今回思ったのは、そんな覚悟、ただの飾りだということだ。わたしには、日本にいたときからずっと先延ばしにしてきたことがあった。それを残して、覚悟を決められるのか。だが、そう簡単にできることでも、していいことでもない。ましてや、今スペインで……。

わたしはテレビを消して寝ることにした。

 

翌日、荷物をまとめた。ずっと持ち歩いていたガイドブックはこっそり部屋に置いてきた。重かったし、今後はおそらく使わないと思った。リュックを背負い、ロビーに向かうと、おじさんは部屋の掃除をしていて忙しそうなので、お兄さんがやってきた。わたしは鍵を渡した。お兄さんもスペイン語しか話せない。

「¿Vuelve a Japón?(日本に戻るんですか?)」と聞いてきたので、

「No. Viajar España(いえ、スペインを旅します)」と答えた。

「¿Donde vas, Barcelona?(どちらに行くんですか? バルセロナ?)」とお兄さんは聞いた。一瞬この人は何を言っているんだろうと思った。いけるのか。いけるものなら行きたい。だがわたしは少し深呼吸をして、

「No. Bilbao(いえ、ビルバオです)」と答えた。

「Ah, Bilibao...bonito, ¿no?(ビルバオかあ、可愛いですよね)」とお兄さんが言ったので、わたしはにっこり笑った。

「¿Dónde aprende español?(どこでスペイン語を勉強したんですか?)」お兄さんは唐突に尋ねた。

「Por radio(ラジオで)」正直に言えば、本やテレビも見ていたが、一番熱心に聞いていたのはラジオだった。にしても、あのラジオだけでそれなりに会話になっているからありがたい。

「¡Por radio! Muy bien.(ラジオでか!いいですね)」オスタルプラダのお兄さんはそう言ってくれた。わたしは、

「Gracias(ありがとう)」と返し、支払いを済ませて、「Adios(さようなら)」と行ってオスタルを出た。グランビア駅までの道のり、わたしはただひたすらに祈っていた。マドリードでは、何も起きませんように。この人たちまで、巻き込みませんように、と。別にわたしがバルセロナを去ったせいで事件が起きたわけではない。わたしはそんな要人ではない。ただの日本人のふらふらした一人の旅人だ。それでも、案じてしまう。

地下鉄でバス停に向かいながら、わたしはやり残したことについて悩んだ。どうすれば悔いが残らないのか、悩んだ。乗り換えは一回あったが、地下鉄は簡単にバス停に着いた。

 

ビルバオ行きのバスは、12:30頃だった。ついたのは朝早かったので、数時間は間があった。だが、マドリードを回る気はなかった。とにかく、何かが起こるのを避けたかった。だからわたしは朝をバス停で食べ、昼もそこで買った。後は本を読んで過ごした。そしてやり残したことについては覚悟を決めることとした。結果や道筋がよくないとしても、だ。悔いが残るとしても、だ。わたしにとってはそれだけがとっても大事なことだった。

時間になり、バスが来た。WiFiを切って、リュックサックに詰め込んで、列に従った。わたしは心に重たいものを抱えながら、それと同時にその現実感をきちんと感じ取れないまま、バスに乗り込んだ。どうか、マドリードでは何も起こりませんように、どうか、バルセロナが無事でありますように、と祈りながら。